蓼科高原日記

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裳華房 初等量子力学 原島鮮(著)

原島鮮(著)「初等量子力学 」については、量子力学の入門書として名著の誉れ高い一冊であることは前々から承知していた。

 

しかし、既に書棚に並んではいるものの熟読には至っていない同分野に関する書籍も一冊ならずあるため、これまで手にすることはなかったのだが、破格と言ってもいい値で古書として出ているのを目にしたことから、これも何かの縁、見過ごすのも忍びない――と思って購入した。

 

20211012-初等量子力学

 

現在、なかなかこの種の本に腰を据えて集中的に取り組むことができず、今般もざっくりと読んだだけではあるけれども、その簡単なインプレッションなどを述べてみようと思う。

 


書誌的には、初版の出たのが1972年で、その後版が重ねられ、1986年には改定版も出されて、今ではその電子書籍版も利用できるようである。

 

これも、同書が長らく評価を維持していることの一つの証左と言えるだろう。

 


内容に関しては、目次をご覧頂くのが近道と思うので、私の購入した第9版(1979年)のものを以下にご紹介しよう。

 

1.光と物質の波動性と粒子性
2.不確定性関係
3.物質についての波動と重ね合せの原理 光についての重ね合せの原理
4.調和振動子
5.自由粒子の運動
6.井戸型ポテンシャルの問題
7.Fourier級数とFourier積分
8.一般的基礎
9.演算子の交換可能性と交換不可能性
10.位置演算子の固有関数と運動量演算子の固有関数
11.一次元の衝突の問題 トンネル効果
12.2つの井戸ポテンシャルの問題と周期的ポテンシャルの問題
13.中心力場内の粒子の量子状態
14.角運動量
15.水素原子
16.時間を含まない場合の摂動論
17.時間を含む摂動 選択規則
18.スピン
19.多粒子系

 

因みに、改訂版においてはやはり多少の変更がなされているらしい。

 

その内容等については出版社のWebページでご確認頂きたい。

 

 

 

 


さて、同書の最大の特徴としては、よく言われる通り、「量子力学の基礎概念が、具体的な問題に即し、数式の取り扱いを含めて、飛躍することなく丁寧に解説されている」ことであろう。

 

これが極めて有意義な志向であることは間違いないと思うが、科学においてもう一つの支柱となるべき、「何故、そのように考えるのか、」という点になると、遺憾ながらこれに答えてくれる記述は乏しいと言わざるを得ない。

 

もっとも、限られた紙数でこれを果たすことは、ほとんど不可能事ともいえるほど困難であることを考えれば、この点での満足を期待するのは過分というものだろう。

 

同書では、まずSchrödinger方程式が、「与えられた体系での等式、"古典力学的Hamiltonian=エネルギー"において、運動量・エネルギーをそれぞれ次の演算子で置き換え、その両辺を波動関数に作用させて得られる式……」といった形で、天の賜物として導入され、理論の展開についてもまた、第8章「一般的基礎」で"公理的"に下賜されるのである。

 


量子力学の考え方が、その必然性・妥当性をどのような経緯で獲得してきたかに関しては、量子力学の本は「解析力学の書籍で準備されるべき」と言い、一方の解析力学側は「量子力学の最初に説明すべき」と、互いに責任転嫁している印象だ。

 

私は当該分野については専門外ということもあって目を通した本も限られ、上の話題に言及している書籍として記憶に残っているのは、久保謙一著「解析力学(裳華房フィジックスライブラリー)」のみである。

 

原島鮮著「初等量子力学」は本文がほぼ300ページ。

 

現状でも無論優れた書籍であるとは思うけれども、あと100ページ程度増えてもいいので、上の話題を他の部分と同じ筆致で、是非詳しく解説して頂きたかった――と思う。

 


あと、細かな事柄とはなるが、個人的に、用語や文章に些か違和感を覚えた部分がある。

 

たとえば、ノルムが1である波動関数を"規格化されている"、そのような関数でかつ互いに直交するものの集合を"直交規格化系"と呼んでいるが、これらはそれぞれ、数学に倣って"正規化されている・正規である"、"正規直交系"とした方がずっとすっきりするのではなかろうか。

 

こう感じるのは、単に私が数学屋だから――では決してあるまい。

 


また、誤記の散見されるのも、もったいない点だ。

 

いずれも理解しながら読み進めば気付く類の軽微な誤りではあるが、私の読んだのは冒頭に書いたように第9版であり、ここまで版を重ねる間に修正できなかったものかと思う。

 


ともあれ、同書が量子力学の入門書として好適な一冊であることは間違いない。

 

老婆心ながらもう一つだけ、同書はあくまで初等"量子力学"であって、初等"物理学"ではないということを、無用ではあろうが申し述べておく。

 

従って、古典力学、解析力学、電磁気学、波動論、および線形代数、微分方程式を含む微積分などの一般的事項については、読者が既習であることを前提としている。

 

 

 

やし酒飲み エイモス・チュツオーラ

「やし酒飲み」は、ナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラの処女作にて、「アフリカの神話や民話が持つ奔放なイメージと生命力を見事に開花させた本書が発表されるや、ヨーロッパ文学界で絶賛を浴びた」というキャッチコピーに惹かれ、晶文社版を古書として購入し、期待して読んでみたのだが、個人的には、いやはや上手く釣られてしまった、というのが正直な思いである。

 

20211011-やし酒飲み

 

Wikipediaを参照してみても、学校教育を受けたのがわずか6年間と短いながら、『ヨルバ語の言語構造と文語的慣例を彼独創の英語散文に組み入れた』文体を駆使し、『簡潔、凝縮、不気味かつ魅力的』な、『ヨルバ人の伝承に基づいた、アフリカ的マジックリアリズム』作品を具現した――との、識者の先生方の賞賛が紹介されている。

 

さらに、私の手にした晶文社版に付された解説にも、「言葉の精錬彫琢」だの「宇宙論」だのといった仰々しい表現が並んでいるけれども、私には、そのように優れて深遠なる作品であるところの、「やし酒飲み」の素晴らしさを理解することはできなかった。

 

このような形而上学的宇宙論を超越的に御下賜頂くより、道のりは遠く険しくとも、相対論的宇宙論あるいは量子宇宙論といった正統科学・物理学を理解しようと地道に務める方が、やはり私の性に合っているようである。

 


チュツオーラについては、上に述べたような評価とは逆に、その文体やモチーフに対し厳しい批判的見解もなされているというが、これは当然であろう。

 

「やし酒飲み」についての個人的な印象を述べれば、文体はさておき、「アフリカの複数の神話や民間伝承を、ただ思い付きに従って継ぎ合わせただけ、」との感を禁じ得ない。

 

 

 

 


如何なる民族の神話や伝承においても、その内部に矛盾や齟齬は見られるに違いない。

 

しかしそれらは、歴史的スケールでの時間を通じて、それこそ真に「彫琢練磨」された後に残ったものゆえ、物語を素のまま読み味わえばよいように思う。

 

仮にそのような性質の人類の遺産を、行き当たりばったりに繋ぎ合わせ、支離滅裂さを拡大再生産しても、価値を貶めこそすれ、決して高めることにはなるまい。

 

しかし、物は言いようで、そんなところも、「何事にも束縛されない、自由闊達な精神のなせる業」として高く評価されてしまうようだ。

 


人に、珍奇なものをありがたがる性向と、「発見の功」を得てそれを誇ろうという心のあることは、「知られざる驚嘆すべき才能を新たに発掘!」といった類の謳い文句で、さまざまな人や能力の喧伝されることの如何に多いかという事実が、如実に示していると言えよう。

 

そして、チュツオーラおよびその作品に対する「世界的評価」もまた、それらが相俟って現出した一例と見るのが妥当なところではないかと思う。

 

実際、氏自身は、「やし酒飲み」での成功にも関わらず職業作家として立とうとは考えていなかったというし、恐らく取り巻き連に煽られ、せっつかれて書いたであろう後続作が、二匹目三匹目の泥鰌とはならなかったということが、それを裏付けているのではないだろうか。

 


――とつらつら個人的感想を書いてきたら、何とも否定的なことばかりになっていることに気付いた。

 

私はもちろん、チュツオーラ氏に対して何らの怨恨も持ってはいないので、もし今現在、すでにその名が忘れられかけているとしたら、少々薄情に過ぎるのではないか、と反省して確認したところ、いやいや、「やし酒飲み」は今もって新本として入手可能であり、レビューもこれを賛美するものがほとんどであることを知った。

 

このような状況なら、愚見・鈍観を幾人かの方々のお目汚しとするのも悪くはないだろう――と、ここに公開する次第である。

 

やし酒飲み―岩波文庫

やし酒飲み―晶文社