二見書房刊「釣魚名著シリーズ」の一冊に、衆議院議員を14期務めるとともに文部大臣、法務大臣などをを歴任した稲葉修の「鮎釣り海釣り」がある。
この著者の政治家としての名前は、ちょうど個人的に世の中の事に目を向け始めた頃、政治の中枢におられたことから、また相撲に深い造詣をお持ちなことも、横綱審議委員会委員としての姿を度々拝見していたため承知していたが、釣りもお好きとは存じ上げなかった。
今般この「鮎釣り海釣り」を読んで最も印象深かったのは、何と広くまた深い人脈を持った方だったのか――という点だった。
この印象は、同書に収められた釣行記の多くが、用意万端整えられ、至れり尽くせりの世話を受けながらなされたものであることに起因する。
無論、氏の職業および社会的地位からすればこれは当然のことであり、また逆に、これあればこそ、あのような経歴を辿ることができたと言うべきかもしれない。
個人的に、釣りの真の妙味は一人閑寂に時を過ごすところにあると思って(あるいは感じて)いるので、このような記事を並べられると、違和感や戸惑いを抱きがちなのであるが、不思議と今般の読書ではそんな気持ちに妨げられることはほとんどなく、興味深く頁を繰ることができた。
思うに、これはあまりにも自分とはかけ離れた世界での出来事が、そこに生きる御仁の手で描かれているためだろう。
しかしながら、単にそれだけで何ら共鳴要素がなければ、読んで興趣を感じることはないはずで、かくなる事態に陥らなかったのは、形は違いこそすれ、その文章の根底には、普遍的ともいえる釣りの風趣が流れていることを意味するように思う。
さらに、確かにお膳立ての整えられた釣行の紹介がほとんどを占めてはいるものの、仮にそれのない素朴なものであったとしても、著者はやはりその釣りを堪能するに違いないだろうということが、行間およびいくつかの懐古的記事から十分読み取れることも、共感を覚えさせる大きな要因となっているようだ。
書名が示す通り、収録されている文章は主に鮎釣りと海釣りに題が採られている。
私はいずれの釣りに関してもまったくの門外漢なのだが、同書を読んで、これらの釣りを、できれば著者のような形でしてみたいものだとつくづく思った。
無論、後者は到底望みえないけれども、前半部はできないこともない。
しかし性格的に腰が重いので、実際に行動に移すことなく、想像上の概念的愉しみで終わる可能性が高そうである。
これはこれで決して悪くはない。