蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

小松左京短編集 大森望セレクション

小松左京と言えば、改めて説明することもなく、星新一筒井康隆とともに日本SF界の御三家と称される巨星である。

 

同時にまた、「霧が晴れた時」という自選恐怖小説集のあることなどからも窺われる通り、単にSFに限らず広い範囲に亙る文筆作品、さらにはラジオやテレビといったメディアにおける活動を精力的に展開して衆目を集めたこともご存じの通りだ。

 

個人的なことを言えば、この才人のものとして接したのは文学作品のみ、しかし短編から長編まで、ジャンルに関してもそれなりに広く読んだ経験はもっている。

 


今般繙いた「小松左京短編集 大森望セレクション」は、だいぶ前にKADOKAWABOOK☆WALKER版で購入しながら、長らく未読のままほとんど忘れかけていたものである。

 

20220830-小松左京短編集

 

選者の手になる序文によると、「小松左京の小説のさまざまな面が一望できるショーケース」として編まれた一冊ということで、実際に読んで確かにその企図の達成されていることはわかった。

 

因みに、収録作品は次の通りだが、正直な感想を言えば、その多くは自分の嗜好には合わなかった。

 

・夜が明けたら
・日本売ります
・模型の時代
・終りなき負債
・牛の首
・兇暴な口
・骨
・旅する女
・流れる女
明烏
・くだんのはは
召集令状
・天神山縁糸苧環
・氷の下の暗い顔

 

そもそも、同書の選者について、大森望という名前さえ知らなかったので少し調べてみたところ、すぐ、なるほど上の齟齬は致し方なかろうと納得した次第である(笑)。

 

 

 

 


同書に収められた作品の内、具体的に好きなものを挙げれば、「終りなき負債」「くだんのはは」「召集令状」「天神山縁糸苧環」「氷の下の暗い顔」といったものになる。

 

この中の「天神山縁糸苧環(てんじんやまえにしのおだまき)」では、私の従来知らなかった「小松左京の多種多様な側面」の見事な一例を見せてもらったものの、「旅する女」「流れる女」といった作品には辟易を禁じ得なかったと言わざるを得ない。

 

それはほかでもない、物語の展開および結末といった構成の出来栄えに比して、あまりに衒学に満ちた事物情景の描写に起因する。

 

「僧正殺人事件 S.S.ヴァン・ダイン(著)」などにも書いた通り、個人的に衒学趣味は決して嫌いではないのだけれど、それはあくまで節度を保ったものであっての話で、そこを外れてはやはり自ずと拒絶反応が生じる。

 

lifeintateshina.hatenablog.com

 

凡そ粋をひけらかすほどの野暮はない――ことを、これほどの御仁が認識されていないとは到底思えず、なぜそれを敢えて決行した理由が判然としない。

 

氏の見識の深さや趣味の広さのわかる叙述が自然な形・程度に配された作品はいくらでも見られることを鑑みても、疑念は深まるばかりである。

 

上に述べた出来の覚束なさから読者の目を逸らすため、徒に絢爛豪華な装飾として鏤めたのか、将又、その種の描写力について他者からの批判なり指弾なりがあり、それに対する反駁として提示したのか……

 


また、「牛の首」「一生に一度の月」といった掌編についても、出来の悪い駄洒落の域を出ていないように思う。

 

もっとも、この作者にはより優れたショートショート作品があるので、上の不平は選者に向けるべきものだろう。

 


このお笑い全盛の時代、それを主題に据えた作品を――との目論見があったのかもしれないが、質の高い可笑しみの要素はジャンルに関わらず見られることを序文などで指摘するだけで足りる。

 


これらを鑑みるに、同書は小松左京の博識多才を知らしめると同時に、その限界をも明らかにしてしまった印象が強い。

 

とは言え、それは極めて高遠なところにあることは間違いなく、ほとんどの読書子は、この広大な領域に自らの好みに合う作品を少なからず見い出せるだろうことも、また確かである。