蓼科高原日記

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年刊SF傑作選1 ジュディス・メリル(編)

東京創元社の「年刊SF傑作選」は、アメリカで生まれ、後にカナダへ移住してそこで生涯を閉じたジュディス・メリルの編んだアンソロジーで、日本語版は第7巻まで出されている――ということは知識として頭にあったのだが、今般その第1巻の本文を読み終え、解説に目を移したところ、同書は"The Year's Best S-F (6th Annual Edition)"の翻訳である」と書かれていた。

 

20221029-年刊SF傑作選1 ジュディス・メリル(編)

 

おや?と思って調べてみると、上の記述は誤りではなく、メリルは1956年の"SF: The Year's Greatest Science Fiction and Fantasy"を皮切りに、翌年からは"SF '57:……"のように発行年を付加したタイトルのものを三年続け、1960年に既刊選集からの連続性を保持する形で"The 5th Annual of the Year's Best S-F"となったことを知った。

 

さらに言えば、この"The Year's Best S-F"は11thまで重ねられて、1967年、"SF12"というシンプルなタイトルで打ち止めとなっている。

 

日本語版「年刊SF傑作選」の第2から7巻はこれらに当たり、一方1956-1960年のものについては、メリル自身がそこからさらに精選した"SF; the Best of the Best"があって、その邦訳として「SFベスト・オブ・ザ・ベスト(上下)」がやはり東京創元社により刊行されている。

 


ただ、日本語版とは言っても、多くの作品が割愛されており、分量的には原書の半分ほどとなっているようだ。

 


また、原書シリーズ発端のタイトルからも類推される通り、ファンタジー作品にも重きが置かれており、さらに1960年からは、SFをより広く解釈したことが"S-F"なる単語(?)に示されている。

 

実際、メリルは「年刊SF傑作選1」の巻頭にSおよびFで始まるさまざまな単語を並べているし、"The 11th Annual of the Year's Best S-F"の序文には、次のように記しているということである。

 

これはサイエンスフィクションの選集ではない……これは、今日に生きる文明人の問題や争闘を、また彼らの未来に対する希望や不安を、明確に、そして鋭く反映していると私が思う、想像力に富んだ思索的文芸作品の選集なのである……

 

 

 

 


今般「年刊SF傑作選1」を読んだ印象からしても、常識的な意味でのSFと言える作品は数編を数えるにとどまっている感がある。

 

ここでその収録作を挙げると、次の通り。

 

序文 (ジュディス・メリル)
あとは野となれ……? (ホリー・カンティーン)
なくならない銅貨 (バーナード・ウルフ)
マクシルの娘と結婚した男 (ウォード・ムーア)
わたしを創ったもの (R.Cフェラ)
JG (ロジャー・プライス)
知らぬが仏 (ヘンリー・スレザー)
大蟻 (ハワード・ファースト)
別の名 (クリストファ・アンヴィル)
魅惑 (エリザベス・エメット)
海浜の情景 (マーシャル・キング)
雪男 (ウィリアム・サンプロット)
頭はつかいよう (ウォールト・ケリー)
エド・リアはさほど狂っていなかった! (ヒルバート・シェンクII世)
てっぺんの男 (R.ブレットナー)
家の中 (ジョーゼフ・ホワイトヒル)
妖しい世界を真剣に探る (レイ・ブラッドベリ)

 


私が浅学ということもあるが、白状するとこの中で知っていた名は最後のブラッドベリのみで、どこかで聞いたように思ったバーナード・ウルフは、何のことはないバーナード・ショーヴァージニア・ウルフが脳内で混淆していただけで、やはり初見だった。

 

このようにあまり有名でない(?)作家の作品を紹介してくれることは大いに歓迎したいのであるが、ここでまた正直なことを言うと、個人的には、徒に領域拡大や目新しさを追い、肝心の作品については質が十分に確保されていないものの多い印象を禁じ得ず、ふと、先に読んだ「小松左京短編集 大森望セレクション」を思い出した。

 

 

そして、今般本稿を記すに際して調べた際、「年刊日本SF傑作選」なる書籍があり、その編者が上の御仁であることを知ったが、この事実には単なる暗合より少し深いものが潜んでいるような気がする。

 

また、仮に日本語版を出す際に良品が省かれたてしまったのだとしたら実に残念、そうでないことを祈りたい。