蓼科高原日記

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令和6(2024)年・春[4]―弘前さくらまつり・大鰐温泉

今回の旅では、特に桜を目当てにしたわけではなかったが、計画を立てる際、もしかしたら――というそこはかとない期待は胸に抱いていた。

 

そして、珍しくこれが現実のものとなったことは既述した通りである。

 


当初、旅の四日目は遠野を比較的ゆっくりと発って弘前へ向かい、夕方に着いて弘前公園を二時間ほど散策できればよかろうと考えていたのだけれど、家を出る数日前に彼の地の桜の開花とさくらまつりの前倒し開催が発表され、この日にはほぼ満開になるとの予報を目にしたことから、しっかり時間をとって訪れようと予定を変更した。

 

そのため、二晩お世話になった平澤屋さんを早朝に出立。

 

余裕をみて発車時刻の10分ほど前に遠野駅に着くと、既に同駅始発の二両編成列車は入線しており、座席も半分以上埋っていた。

 

しかし幸い進行方向左側のボックスシートが一つ空いていたのでそこへ座を占めて発車を待っているうち、続々と乗客が増えて当然相席、しかしこれも前に書いたように不思議とさほど窮屈感はなく、来た時とは逆の車窓を眺めながら愉しい鉄路を辿ることができた。

 

途中、新花巻の手前から車内アナウンスに一駅のズレが発生。

 

こんなことは別段珍しくもないのだけれど、普通ならすぐに修正されるはずのそれが花巻まで何駅かに亙って続いたので少々驚いた。

 

 

 

 


花巻駅でほとんどの乗客が入れ替わると、斜向かいにまた可愛い女子高生が座った。

 

前々日、遠野へ向かう列車で乗り合わせた女の子と、顔立ちにやはり共通した特徴が認められるように思った。

 

発車して暫くすると陽の光が眩しくなったのでカーテンを少し閉めたところ、その子も手を伸ばしてカーテンを引き、両方をぴったりと合わせてしまった――いや、くれたと言うべきだろう。

 

しかしこれでは車窓を眺められないので、少し開けておいてほしい旨を伝え、そうしてもらった。

 

もちろん、その子の顔に日が当たらないことはきちんと確認した上で。

 


同列車の終点、盛岡駅IGRいわて銀河鉄道へ乗り換えである。

 

その間30分ほどなので、外へは出ず、駅構内や発車ホームをぶらぶら歩いたりベンチへ腰を下ろしたりして過ごした後、入線のアナウンスに続いて姿を現した列車を撮影した。

 

20240520-IGRいわて銀河鉄道

 

乗車すること二時間弱で八戸駅へ到着、すぐに青い森鉄道へ乗り換えて引き続き列車の乗客となった。

 

IGRいわて銀河鉄道と合わせて3時間強の道程は、車窓に見るべきところが多い――といっても、それらは目を凝らして見詰めるより、ゆったりした気分で眺めたく、時にうつらうつらするのも悪くないように個人的には思う。

 


正午半過ぎに青森駅へ到着。

 

約1時間という中途半端な接続時間を利用し、駅を出て青森ベイブリッジの架かる海を暫し眺めた後、観光物産館アスパムへ入ったものの、ねぶた祭りをはじめとする四季折々の風物の映じられる360°3Dシアターはタイミングを逃し、昼食を摂るにしても忙しくなりそうなことからいずれも見送った。

 

その昼食は駅中で釜めしを購入し、弘前へ向かう奥羽本線の列車内で少し遅めに摂った。

 


14時半少し前、弘前駅へ着いてまずしたことは、コインロッカーへの荷物預けである。

 

以前は荷物を入れてから料金を投入したはずだが、いつからか硬貨を入れてはじめて扉が開く形が一般的になったらしい。

 

恐らく、ごみやそれ以上に望ましくないものの入れられた事例があって変わったのだろう。

 

当方の荷物はソフトタイプのバックパックで、一番小さな400円のもので間に合うだろうことが一見して判断でき、躊躇いなく硬貨を投入したが、後から来た人の小型スーツケースが入るかどうか微妙なところだったので、どうぞお試しを――と勧めたところ、小ロッカーで間に合うことがわかり、ちょっとした親切が役立っていい気分でバス乗り場へ向かった。

 

 

 

 


弘前には100円で乗車できる市内循環バスが走っている。

 

その一つの停留所で待っていたところ、東アジア系のソロ旅行者に「すみません」と声をかけられ、差し出されたスマートフォンを見ると「このバスは弘前公園へ行きますか」。

 

こちらも初めて乗るバスゆえ確信はなかったものの、まず間違いはないので"Yes"と返答した。

 

必要なら降車場所を教えてあげようと思っていたが、英語での車内アナウンスもありお互い無事目的地で降りることができた。

 


弘前公園の桜は情報通りほぼ満開、従って人出も当然多く、金曜日の午後でこの様子だと、休祝日は大変な状況となるに違いない。

 

追手門より園内へ入って少し行くと、津軽三味線のデュオによるパフォーマンスがちょうど始まったので一聴、ほんの気持ちながら投げ銭をして、桜を眺めながら歩いているうちに有料区域の弘前城本丸・北の郭への入場券売場へ至り、時間もあるし折角なので入ってみることにした。

 

城に対しては特に興味があるわけではなく、従ってこれまでほとんど実地に見たことのない身にとって、目にした弘前城天守の正直な第一印象は「これは本物か、ミニチュアではないのか」という何とも情けないものだった。

 

しかし、元々は五層五階という立派な天守で、それが落雷により焼失したため櫓を改修して現在の三層三階の天守が築かれた――との来歴を知れば、なるほど致し方ないと思うと同時に、江戸時代に建造されて現在まで伝わっているという事実だけでも、その価値は決して小さくないと考えを改めた。

 

内部へ入ると、各階層を繋ぐ梯子段はかなり急で、段の間もかなり大きく開いているので、小さい子どもにとっては(人によっては大人でも)相当怖いに違いない。

 

事故など起こらなければいいが。

 

因みに、その天守を眺め、また撮影するスポットでもあるらしい、外に設えられたちょっとした展望台は、人の群がっていた割りには上がってみてもさほどよい景は得られなかった。

 


ともあれ、52種類、約2,600本と言われる桜は、天守やいくつもの門、濠の水といった多様な背景側景もあってさすがに見事で、予定を変更して時間を取った甲斐は十分にあった。

 

20240520-弘前公園の桜

 

当地へ着いた時点では時折薄日が差しており、また暖房の効いた列車内に長くいたこともあって少し暑いくらいだったので、厚手の上着はコインロッカーに入れて来たのだけれど、時間の経過とともに雲が厚みを増して陽射しが完全に遮られ、気温が急降下して寒さを覚えるようになった。

 

歩いていれば幾分紛れるものの、反面疲労は嵩む。

 

当初は宵の口まで留まり、ライトアップされた夜桜を見てから宿泊地へ向かうつもりでいたのだが、とてもそんな気分ではなくなってしまったことから、遺憾ながら夕方に弘前公園を後にした。

 

帰路は弘前市街を眺めながら歩いて――との目論見も取り止め、素直にまたバスの乗客となって駅へ戻った。

 

この日最後の乗車は奥羽本線の列車、しかし区間はわずかに二つのみ、宿泊地である大鰐温泉に着いた。

 


旅の計画を立てたほぼ一月前の時点において、弘前さくらまつりの開始はこの日より後に予定されていたものの、既に弘前駅近くの宿泊施設は軒並み特別料金を設定し、通常の概ね2倍近くに跳ね上がっていた。

 

そこでこれらは見限り、どこか適正価格の保たれている宿はないかと探して見つけたのが、大鰐温泉の「畑山温泉民宿」さんだった。

 

この温泉地は弘前にかなり近いため、楽天トラベルなどに掲載されている宿はやはりそれなりに値が上げられていたのだけれど、Googleで検索して辿り着いたここは、そんな姑息なことをせず極めて良心的な料金で予約を受け付けてくれた。

 

ただ、年老いたご夫婦で経営されている上、現在体調が万全ではないようで、食事は提供できないとのことだった。

 

そういうわけで、まず今夜と翌朝の食事を工面する必要がある。

 

まだ日没前ではあるものの、黒い雲に閉ざされた空の下、小さな温泉地は既にひっそりと暗く静まっており、飲食店らしい灯りも見えない。

 

そこで、近くにあると知っていたマックスバリュへ行き、そこで二回分の食料を調達した上で宿へ向かった。

 


宿では何より先に温泉に浸かった。

 

普段自宅で入っている湯に比べるとかなり熱かったが、慣らしながら徐々に沈みこんで冷え切った身体を温め、漸く人心地。

 

風呂から上がっての夕食は些か侘しかったけれども、ともあれ腹もくちくなった。

 

あてがわれた部屋は6畳ながら、床の間に加え、テーブルと椅子の置かれた縁を具えており、ゆったりと寛ぐことができた。

 

温泉の内湯があって、これでこの時季に一泊4,200円。

 

探せばこのような宿もあるものだ。

 

なお、webページに問い合わせフォームが設置されているが、「返信に時間がかかる場合がある」との注記通り、当方の場合も忘れた頃に電話連絡があったので、問い合わせなどは直接電話をかけた方がいいだろう。