蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

令和6(2024)年・初夏[3]―初めての車中泊

馬籠宿も一時間ほどで一通り観終えてしまい、時刻はまだ四時前、日もまだ高い。

 

元々は高山までの途上にあるいくつかの道の駅の一つで車中泊を――と考えていたのだが、いずれにせよ明るい内に着くはずで、そこでは別にすることもなく長い夜に苦しむような気がしたため、計画を変更して一気に高山まで行ってしまうことにした。

 


その途中、名駅舎として知られる、JR高山本線飛騨小坂駅に立ち寄った。

 

駅前には駐車するに十分なスペースがあったものの、果たしてここに停めていいものかどうか判断に迷ったので、駅舎内へ入るのは見合わせ、外からさッと写真を撮るだけにした。

 


高山へは午後6時過ぎに到着。

 

日の入りの遅い時季のことゆえまだ明るさは残っていたが、流石にもう歩き回る元気はない。

 

そこで取り敢えず車でざっくりと回ってみたものの、徒に時間を消費しただけで土地勘をつかむには至らなかった。

 

夕食を摂るに適当な店も見つけられなかったので、辛うじて目に留まったスーパーマーケットで例によって翌朝食と合わせて調達した後、夜を過ごす場所の選定に入った。

 


そして白羽の矢を立てたのは、高山城跡(城山公園)の駐車場である。

 

十分に空きのある一画を夜が更けてから翌早朝まで静かに借用するくらいは許されるだろう――と考えての選択だったが、そんな自己弁護は無用で、実際ほんの1時間ほどでそこを去る事態となってしまった。

 

塒を設えていると、来ることはないだろうと踏んでいた車が一台、どうやら同じように車中泊をするつもりらしい。

 

これについては、少し仲間のいる方が心強いかもしれない――と思ったのだけれど、間もなく現れたもう一台が問題で、これがズンドコズンドコ、車外にまで響く妙なる律動を振り撒いてくれたのである。

 

すぐに静まるだろうとの希望的観測は見事に外れ、その後も静まる気色が見えなかったことから、早々に退散することにした。

 

 

 

 


名立たる観光地らしく、高山には観光エリア内にも数多くの駐車場が点在しているが、ほとんどいずれも周囲には民家が建ち人が生活しており、ひっそりと一夜を過ごすだけとはいえ車中泊をするのは遠慮される。

 

これはやはり、場所こそ異なるものの当初の計画通り道の駅が適当だろうと少々車を走らせた後、何台かの先客の仲間入りをさせてもらって狭い車中にではあるが身を横たえることができた。

 

しかしながら、心身共に疲れていたにも関わらず、やはり寝心地は快適とは言い難く、さらに普段とは異質な環境・状況からくる緊張感も少なからずあったのだろう、時折うつらうつらしただけで、ほとんど眠れない一夜となってしまった。

 


早朝四時頃、白み始めた周囲が目に入ってそれ以上横になっていても眠れそうもなかったため起床。

 

正直なところ、前夜身を横たえた時は夜が明けたら旅を切り上げて早々に帰宅しようとの思いが強かったのだが、曲がりなりにも一夜を切り抜けたことでやや気力が戻るとともに自信も芽生えたらしく、旅の続行を自然と決意、簡単に朝食を済ませてすぐにこの日の観光予定地へと向かうことにした。

 

これに関しては、前日に走行距離を稼ぎ、また今朝の早起きで想定外の時間が生じたことに加え、車中泊を三回行うという元々の計画には少々腰が引けたことから、訪問地はそのまま、一方日程は二泊三日に切り詰めることにした。

 

そうなると今日中に高山まで戻るのが望ましい。

 

そこで一般道を辿るという方針を撤回、白川郷まで中部縦貫自動車道東海北陸自動車道を利用することに。

 

眠気や身体の鈍化は特に感じなかったものの、恐らく意識できない部分でそれらは生じているはずなので、80㎞/h強の速度を保ちながら走行を続けたところ、朝の早い時間帯だったためしばらくはまったくの一台旅だったが、やがて後方にヘッドライトが現われ、徐々に近づいて来る。

 

車線を譲って遣り過ごしたいのはやまやまだが、生憎走行しているのはずっと二車線区間、すなわち片側一車線で譲るにも譲れず、大型トラックにすぐ後ろに付かれる状況が延々と続いてしまった。

 

もっとも、前方にも一台トラックが見えており、仮に速度を上げてもすぐにつかえてしまうので、そのままの走行を続けて白川郷ICで下りた。

 


まだ時刻は早く、白川郷五箇山も駐車場の開くまでには暫く待たねばならない。

 

それならば進めるだけ進んでおこうと、最も先の五箇山相倉集落を目指すことにし、途中の道の駅などでは、多少なりとも睡眠不足を補い、また時間潰しの意味でも仮眠を摂ろうとしたのだけれど、やはり眠ることはできなかった。