最終日、六時半に宿を出て津駅へ向かう。
前夜は結構な道程と感じたのに、一度通った道、しかも明るい日差しの下ということもあって体感的には呆気なく着いてしまった。
7:11発紀勢本線亀山行列車の到着を待つ内、時間的に、また向かう方向からも続々と通勤通学客の姿がホームに増えた。
乗車時間はニ十分ほどなので敢えて座ろうとも思わなかったが、同じような考えからか立ったままの人が多く、空いた座席が目の前に見えたのでそこへ腰を下ろした。
関西本線の名古屋行列車に乗り継ぐと、これも同じく通勤通学の人々で混雑しておりクロスシートはほぼ満席だったので、車両の端に設けられたロング(とは言えない)シートに座を占めた。
名古屋行ということから、これからも乗客は増えてほとんどの人が終点まで乗り続けるのだろうと思ったが、実際は乗車より降車する人の方が多い感じで、特に八時過ぎに着いた四日市駅で大半の人が降りて車内は閑散となった。
これは名古屋到着が8:57という点によるのかもしれない。
ともあれ、適当なクロスシートの窓側席に移動し、往路とは反対側の車窓を以後一時間弱眺めることができた。
名古屋から家へ戻るには、中央本線を利用するのが常道だけれど、今般の旅では主な目当ての一つとして飯田線への乗車、そして完乗を掲げたので、これを果たすべく豊橋へ向かう。
名古屋駅に不慣れな身には少々慌ただしい乗り継ぎで東海道本線快速豊橋行列車へ。
ここでも乗車した時には空席が見当たらなかったものの、次の停車駅で目の前の席が空いて座ることができた。
豊橋駅には十時前に到着、ここで同駅始発飯田線列車を四十五分待つ。
この列車に乗車すると終点岡谷まで延々七時間近く揺られることになり、途中外で昼食を摂ることはできそうもない。
しかし時間的余裕はあるものの、豊橋でそれを済ませるにはさすがに早過ぎることから、駅構内の壺屋の売店で名物稲荷寿しを調達していくことにし、少し悩んだ末「天むす稲荷」を購入した。
それを手に到着・発車予定の2番線ホームへ下りると、かなりの人で溢れかえっている。
まさか飯田線の列車を待っているのではないだろうと、些か心配して発車標を見上げたところ、同じホームの反対側から名鉄の列車が出ることを知って先ず安心。
実際、間もなくそこへ入って来た特急列車にほとんどの人が乗り込み、反対に閑散としてしまった。
その後もホームへ下りて来る人の多くはやはり名鉄の列車内へ吸い込まれていったが、それでもぽつぽつと2番線側で待つ姿も増え、飯田線列車の入構時には短いながら待ち行列ができていた。
しかしその先頭に立っていたので、無事ボックスシートの一つ、進行方向に向いた右窓側の席を確保し、飯田線を辿る旅が始まった。
飯田線の車窓でもっとも愉しみにしていたのは、天竜川の渓谷である。
そして実際、はッとするような光景に何度か目を瞠ったけれど、それらはいずれも突然の出現だったため、心に印象を留めるのが精一杯で写真に撮ることはほとんどできなかった。
また、この路線はいわゆる秘境駅の多いことで知られており、中でも特にその度合いの高いとされる田本駅は、車内から左右両側を見ただけながら、確かに評判通りと首肯した。
豊橋を出て以降、列車の進行につれ乗って来る人はほとんどなく、反対に降車客はぽつぽつと見られたので漸次空席が増え、ほとんどのボックス席にはそれぞれ一人ずつといった状況になったが、どの辺りだったろうか、これから先は混雑が予想されるので、荷物は網棚に上げるなどして座席を空けて欲しい――との車内アナウンスがあり、それから間もなく、下校の高校生や中学生らしい一団がどッと乗り込んできて車内はほぼ一杯になった。
ところが、空いている席はいくらでもあるのに誰も座らず、車掌が通路を行き来するにも支障を来たすようになったため、改めて「空いている席にはどうぞお座りください」との車内アナウンスがなされた。
誰かが先鞭をつければ雪崩式に後に続いたのかもしれないが、この地方の学生の控えめな性格が現れたようで面白かった。
この旅の前半で訪れた西日本での様子とは、明確な対照が見られた一件である。
次の機会には適宜途中下車を織り交ぜて乗りたいと思う。
今般もまた少々遅延の生じていた中央本線の列車を待ち、ほぼ午後六時半に茅野駅に着いた。