前記事に書いた通り、今般の旅で京都にいられるのは昼過ぎから翌日の昼前までである。
丸一日に満たない時間で、さてこの世界的観光地の擁する数多の名所旧蹟のどこを訪れようか――と考え始めたものの、例によってどうしてもこれが見たいというものがあったわけでもないので最初は途方に暮れてしまった。
そこで取り敢えず頭に浮かぶ神社仏閣について概要をネットで眺めることにしたが、間もなくそのほとんどが参詣者に拝観料を課していることに気付いた。
一つ二つならともかく、このような所をいくつも訪れるとなると結構まとまった金額になり、境内を散策しながら社殿伽藍を全体的に仰ぎ見たいと欲しているだけの者にとってはどうも釈然としない。
それならば――と拝観料無料の寺社を探してみると、有料のものに比べずっと少ないながらそれでも散見され、しかも都合の良いことに、今般の宿のある五条坂近くにそのいくつかがまとまっていたので、素直にこれらへ参拝することにした。
京都駅に降り立ったのは1997年に新築される前のことである。
かつて首都圏で通勤していたので人波には特に驚きはなかったものの、広い構内に吐き出されると目指すバス乗り場の方向を見失い、少々迷った末に辿り着いた。
もっとも、その途中、序に観光マップとバス路線図を入手できたので時間のロスというわけでもない。
宿ではチェックイン前でも荷物を預かってくれるというので、先ずはそこへ向かうべく、清水寺・祇園方面行バスの出るD2乗り場はどこかと案内板を眺めていると、さすがに観光地らしくすぐに女性案内係が声を掛けて教えてくれた。
そちらへ目を遣ると長蛇の列、ちょうど小学生の団体が並んでいたこともあって、すぐに到着したバスには乗れず、さらに次も遣り過ごした後の乗車と相成った。
主要路線らしく数分間隔で運行されているので待ち時間はそれほどでもなかったが、いざ乗ってから駅前を抜け出るのにかなり手間取り、混みあって窮屈な車内、立ったまま目指す五条坂へ着いた時には気分的に少なからず疲れてしまっていた。
宿に荷物を預け、気を取り直して観光に出た。
産寧坂(三年坂)、二寧坂(二年坂)を人波に揉まれつつぶらぶらと上り、一念坂に入ってほッと一息、続いてねねの道を辿って石鳥居を潜り、初めに八坂神社を拝した。

続いて隣接する丸山公園を縦断、国宝の見事な三門から男坂を登って知恩院を参拝。
この男坂は言うまでもなくその石段一つ一つの高さで知られているとのことだが、実際に「登って」みて、確かに――と頷いた。

小さな子どもや年配者にはかなり苦労するだろうし、下りに関しては膝に不安を抱えている向きも避けた方が無難と思う。
かつてスキーにのめり込んで後者に該当する当方も、境内を一巡りした後、帰路はおとなしく女坂を下った。
このエリアの参拝探勝はこれで終え、次は嵐山へ向かった。
実は、今般の京都訪問の目当てとして、嵐山で月を観るのも一興という思いがあり、それならばその名に月を冠する渡月橋を渡る情景を目にしようとそこを志したのだ。
これには、旅の日程がちょうど月の満ちる時に当たっていたというということもある。
京都市営地下鉄の東山駅まで歩いて東西線に乗り二条まで行き、ここでJR嵯峨野線(山陰本線)に乗り換えて嵯峨嵐山へ。
時刻はまだ午後三時半頃で月見には早いけれども、これは承知の上、その前に野宮神社へ参拝する心積もりで、そこへ至る竹林の道を辿るのも愉しみの一つに数えていたのである。
ここは以前、春の早朝にそぞろ歩いて清々しい良い気分を味わった経験があり、その一端でもと期待していたのだが、いざ路地の入り口から奥を眺めると、産寧坂二寧坂を髣髴させる人の流れが続いており、無益な望みだったと一目で理解した。
産寧坂などは人出があるのも悪くはないと思うが、人に満ちた竹林はどう贔屓目に見てもやはり頂けない。
そんな落胆を抑えつつ、ともかく野宮神社へ向かい、参拝を済ませた後、山陰本線の線路を渡った先まで小径を往復して社を後にした。

ここでもう一つ考えたのが、折角嵯峨野にいるのだから、月の出を待ちなが豆腐料理でも食そうということ。
といっても五千円を超えるようなものは眼中になく、三千円程度までのちょっとした御膳がいいのだが――などと思いながら歩いていると、「嵯峨とうふ稲 北店」が目に入り、店の前に出された品書きが正に望んでいた通りだったので躊躇なく入店。
何にしようかと少々迷った末、湯豆腐と湯葉双方を味わえる「嵯峨御膳」を注文した。
交通費や宿泊費からすると分不相応な食事となったが、十分満足できたしこれくらいの贅沢はよいだろう。
最後に、観月のため店の前の道を渡月橋へと向かった。
まだ明るさは残っているものの、既に月の出時刻は過ぎている。
ただ問題は、予報よりは良いとはいえ、空に大きく雲がかかっていることである。
果してその隙間から月が顔を見せてくれるだろうか――と不安を胸に抱きつつ渡月橋の袂へ来たが、幸い、まるで雲に乗っているかのように暮れ切らぬ空に浮かんでいた。
こうなると欲が湧き、完全な夜空を背景とした金色も拝みたい。
そこで桂川の護岸に腰を下ろして闇の訪れを待ったのだが、夜の帳がすっかり下りた時には無情にも月は雲の後ろに隠れてしまっていた。
三十分以上経っても状況は変わらないので、最早諦めることにして渡月橋を中ほどまで渡り、欄干に靠れて桂川を中心に辺りを眺めている内、ふと目を上げると雲が柔らかく承和色に光っており、もしかしたらという思いとともに光輝が増していった。
元のビューポイントへ戻って暫し、亀山上皇の詠んだような「くまなき月の渡るに似る」情景とはいかなかったものの、それを想起するには十分な時を得ることができ、満ち足りた気分でこの日の観光を終えた。
