蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

京都(2)―清水寺・伏見稲荷大社

京都では「サンチャゴゲストハウス京都」に泊まった。

 

ここもカプセルホテル形式の二段に並んだベッドが寝場所で、飲食などは共用スペースで行うスタイルである。

 

さすがに京都と言うべきか、夜に観光から戻るとその共用スペースには数多の外国人の姿が見られ、以後シャワーやトイレを利用しに降りた際目にした状況も変わらなかった。

 

しかし翌朝、例によってあまり眠れないまま五時に起きて朝食を摂る間はずっと誰も現れなかった。

 


先に書いた通り、今般の京都では無料で拝観できる寺社へ訪れるのを基本方針としたが、無論これに徒に拘る必要も積もりもない。

 

そこで、宿のある五条坂から徒歩で簡単に行け、しかも朝六時に開門される清水寺へ詣でることにした。

 

前日の観光では五条通りを辿ったので、間もなく日の出ながら雲が多くまだ薄暗い空の下、清水新道を上る。

 

途中、電動アシストサイクルに乗った若い女性に追い越され、早朝こんな坂を上っての通勤お疲れ様――との言葉が思わず口から出そうだったが、清水寺に着いて彼女も同じ観光客であることを知った。

 


仁王門を潜って境内へ入り、僧侶なのか寺男か不愛想な係に拝観料を払い、鐘楼・三重の塔などを拝観した後、清水の舞台を具える本堂へ。

 

ここから飛び降りるのに決死の覚悟を要するだろうことに異を唱えるつもりはないが、正直なところ、敢えて「清水の舞台から」と言うほどの高さは感じなかった。

 

しかし阿弥陀堂奥の院、子安塔と周って下から舞台を支える欅の柱の威容を目にした時、なるほどという思いが自然に胸に湧いた。

 

20241118-(1)清水寺

 

宿への戻りは清水坂を下ったが、まだ七時過ぎだというのにもう上って来る数多の人と擦れ違った。

 

後日、成就院、千体石仏群を見逃してしまったことに気付いた。

 


宿のチェックアウト(といってもロッカーのキーを所定の場所へ置くだけ)を済ませ、バスで京都駅へ。

 

そして倉敷へ発つ前にもう一ヵ所、伏見稲荷大社を参拝すべく奈良線の発着ホームへ向かった。

 

ちょうど快速が出るところで、目的地最寄り駅であるその名も稲荷駅にも停車するだろうとは思ったものの、念のため駅員に尋ねると停まらないとのことで、稲荷駅へ行くなら次はあれと親切に教えてくれた列車へ足早に歩を運んで乗車した。

 

通勤通学客に観光客も加わって車内は混雑していた。

 

 

 

 

その表参道へ入って間もなく左手にある、熊野社・藤尾社・霊魂社それぞれの前で先ず手を合わせ、さらに進んで手水舎で心身を清めて楼門を潜った。

 

拝殿での参拝を済ませ、その周りをゆっくり歩いて一巡した後、誰もが目当てとしているであろう、千本鳥居の現出する連綿と続く朱の空間へと身を潜らせた。

 

本来なら、ここはそれまで身を置いていたところとは別世界の感を抱くはず――とは思ったものの、前後左右を人に囲まれ、ややもすれば衝突しそうになる状況ではそんな感覚に浸りきることはできず、そのまま現世へと戻って奥の院、根上がりの松、熊鷹社などを拝観した。

 

20241118-(2)伏見稲荷大社

 

時間的に一ノ峰までは至れないにせよ、折角の機会なので行けるところまで――と歩を踏み出し、結局間ノ峰まで登ってそこで折り返した。

 

その後も数多鎮座まします社を折に触れて参拝しながら、また途中で三匹の猫と出会ってそれらと暫し戯れつつ坂を下り、今般の京都の旅を締めくくった。

 


奈良線の列車で京都駅へ戻り、志津屋コトチカ京都店で元祖ビーフカツサンドを昼食に購入。

 

実は前夜、嵐山からの帰りにこれを買おうと地下街ポルタへ入ったものの、かなり歩き回って疲れていたことに加え、果してここがコトチカなのだろうかと疑心暗鬼に陥ってしまったこともあって店舗を見出すことができなかったのだが、この朝は何の苦労もなくすぐに見つかった。

 

駅ビルの地下がコトチカ京都で、ポルタはより広範囲な地下街を指すのだろうか、ともかくWebサイトなどに両者の位置付けが明記されていれば、無用な混乱は生じないと思う。

 


倉敷へは十時半京都駅発の新快速で向かうつもりだったが、遅延が発生しているとのこと。

 

何度かの時間的にタイトな乗り継ぎが予定されていたのでそれらに支障が出るのではないかと懸念されたが、幸いすべてクリアして予定通りほぼ午後二時に倉敷へ着いた。

 

そう言えば、春からの旅で何度か(も)列車の遅れに遭遇している。

 

学生時代にあちこち回っていた時にはそんなことはほとんど記憶にないのだが……