蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

金沢観光(1)―主計町茶屋街・ひがし茶屋街

北陸新幹線はくたか555号の車内で簡単ながら昼食を済ませていたので、金沢駅に着くとすぐ、観光を始めるべくバスの案内所へ入った。

 

今回はいくつかの名所を回るつもりで、金沢市内1日フリー乗車券なるもののあることは調べてあった。

 

また、金沢駅東口を起点として金沢市内の主な名所を右回り・左回りそれぞれのルートでめぐる「城下まち金沢周遊バス」の利用も予め考えていたが、どちらのルートを辿るかは決めかねていた。

 


ともあれ案内所で先ずフリー乗車券を購入、そして路線図を入手。

 

その際、左回りルートの周遊バスは土日祝日のみ運行と知らされたことで、平日のその日のルートは自ずと決定された。

 

左回りルートのバスなら、若干の手戻りは生じるものの連泊する宿へ一旦赴き、荷物を預けることができたのだけれど、詰めてあるのは二泊三日分、別段重くもないので持ち歩くのもは吝かでない――などと思いながら、次の周遊バスの発車時刻を見ると少し待ちがある。

 

そこで、初めの目的地とした主計町・ひがしの各茶屋街へ行く他のバスはないものかとあちこち眺めていると、これなら大丈夫だろうという一台が来たのでそれに乗車した。

 

万一違っても大過ないのがフリー乗車券のいいところだ。

 

 

 

 


幸い当ては外れることなく橋場町で下車、さて主計町(かずえまち)茶屋街はどちらだろうと辺りを見回したけれどはっきりしなかったので、取り敢えず目星を付けて歩き出したところ、すぐに浅野川に架かる浅野川大橋が見えて位置がわかった。

 

その浅野川左岸、「鏡花のみち」に沿って赴きある建物が100mほど並んでおり、それらを眺めながら「化鳥」、「照葉狂言」峰の堂の舞台となった中の橋まで行き、その中ほどまで渡ってぐるりと周囲の景観を目に焼き付けて引き返した。

 

20250118-(1)中の橋

 


続いて浅野川大橋を挟んで斜向かいにあるひがし茶屋街へ。

 

こちらは主計町茶屋街より規模が大きく、いくつかの通りに二次元的に広がっているので、やや長いそぞろ歩きを愉しんだ後、宇多須神社を参拝してこのエリアの目当てとした観光を終えた。

 

20250118-(2)ひがし茶屋街

 

ここからもう少し足を伸ばせば卯辰山の麓に寺院群があり、また泉鏡花徳田秋聲といった金沢に所縁をもつ作家の記念館のあることも知っていたが、時間的制約および「町と庭」探訪を優先したい気持ちから今般は涙を呑んで割愛した。

 


次の目的地である金沢城公園へもバスを利用することにし、その乗り場へ向かっている際、長蛇の行列が見えたので、目当ては何だろうかとその先へと視線を移すと、やはりというか飲食店への入店待ちである。

 

特に興味はなく、足を止めて列の進み具合などの観察はしなかったので定かでないものの、最後尾にいたら料理を口にするまでに一時間以上はかかるに違いない。

 


以前、喜多方でも同じ光景を目にして思ったことだが、それほどの忍耐を人に強いる料理は、一体どれほど美味なのだろう。

 

食事をできるのがそこ一軒のみというのであれば理解できるけれども、周りにいくらでも選択肢があるにもかかわらず――となると個人的にはどうにも解せない。

 


「飲食店は行列の出来ているところを選べ」というのは一面その通りであろう。

 

しかしそこには当然、各自の嗜好や都合に基づく判断というものが加味されてしかるべきで、その場合はある程度の分散が自ずと生じ、いくつかの店に待ちが見られ、さらにそれら行列にも長短が現れるはずだ。

 

しかるにそうならず、一店だけに異様なほど客が集中するというのは、自分の好みすら持ち合わせていない、もしくは把握認識できていないため、SNSをはじめとする各種メディアの流す信憑性すら定かでない評判に盲従するからでなかろうか。

 

そしてあたかもホイヘンスの原理に従うかの如く、それら通人がまたそれぞれ波源となって「話題」の波面を一層大きく広げていくように思われる。

 


単に食い物に留るならともかく、現在、より重大重要な様々な局面でも同じ状況を目にするのは、何とも気色が悪い。

 

いや、それを通り越して空恐ろしい。