今回の旅において、スローボートによるメコン川下りを大きな眼目としていた。
そのボートに乗るため、八時にパークベンの宿をチェックアウトして舟着き場へ向かった。
宿の女将はにこやかだった一方、親爺が変によそよそしく怪訝に思っていたのだが、後で最近日本から良からぬ目的でやって来る輩がいるとのニュースに接したので、もしかしたらそのためかもしれない。
乗船場所に着いてみると、案の定まだ乗客は誰も来ていなかった。
それを予想しながら、しかも当方の乗船券には「シートNo.1」との文字が記されているにも関わらず敢えて早く来たのは、早い者勝ちに好き勝手な座席を確保してよいというアジアの流儀が行われているらしいからで、実際係員も乗客数を確認するだけ、正に上の通りであることが追ってわかった。
券面の番号は単に発券枚数を管理するためのものなのだろう。
この時のボートの座席配置は列車でいうセミクロスシートで、前方に「ロングシート」、その後ろに四人掛けの「ボックスシート」が設えられていた。
もっとも、それぞれの座席はバスからの転用品らしく、中にはクッションが飛び出したり欠如したりしているものも見受けられた。
券面の番号に従えば我が座席はボートの最前部、ロングシートの先端でそこに一旦着座したが、他のシートはどんな感じだろうと物色してみた末に、素直に本来の場所を占めるのが良さそうだと判断。
そしてこれは正解だった。
ボートの出発予定時刻が近づくにつれ、ぽつぽつと旅行者らしい乗客は現れた始めたものの、その九時になっても席は半分も埋まっていない。
これならゆったりとした舟旅ができそうだと期待したのだけれど、一向に出発する気配のないままさらに時間が経過していった。
その間に地元の人たちも参集し、結局ほとんど十時になって漸く、満席の上に犬も乗れば猫も乗り、オートバイなども積まれて岸を離れた。
仮に「ボックスシート」を選んでいたら、脚を伸ばせない窮屈な態勢で夕方まで我慢する羽目となったのだ。
このボートに乗り込む際、ビニール袋を手渡され、靴は脱いでそれに入れるよう指示された。
無論この流儀にも従ったが、床は綺麗どころかかなり汚く、わざわざ靴を脱がされたのは衛生よりも寛ぎを考えてのことだろう。
一時間半ほど航行した時、ボートがメコン川の中央から離れたかと思うと、岸辺にぞろぞろと人が集まってくるのが見え、やがて接岸してその人たちが乗り込んできたが、いずれも客ではなく物売りだった。

その中の一人、小さな女の子からカットした西瓜を購入。
できるだけ避けるようにしていた生ものを買った後で、用足しも不自由な舟の上ということに気付いて些か不安を覚えたけれど、幸い腹は持ってくれた。
そのトイレはというと、桶に満たされている――どころか溢れている茶色く濁った水を柄杓で掬って流す、便座のない洋式で、床一面水浸し。
ただ、底の厚いサンダルが用意されていたので足を濡らすことはなった。
手洗い用の水栓もあったが水は出ず、出たとしても桶に溜められたのと同じく川から汲み上げた水だろうから、あまり有り難味はない。
このようなちょっとした不快さはある程度覚悟していたので、舟旅はまず十分に愉しむことができたものの、もし後方に陣取っていたら、エンジンの騒音に相当減殺されたことは間違いない。
これを回避するためにも、早めに乗船して前方の席を確保したいところだ。
ボートから見えるものはひたすらに茶色の川面と緑深い山、その上に広がる青空とそこに浮かぶ白い雲である。
少し前までは夜行バスで山越えをすると山賊に襲われる危険があったというが、遠くまで重畳する山並みを見ると、なるほどと頷ける雰囲気だ。

そんな中、時折メコンの川岸にごく小さな集落が現われ、舟はそのいくつかに寄りぽつりぽつりと降りる人があった。
メコンとボートのみが、外部との交通路・手段に違いない。

夕方五時、舟はこの日の目的地パークベンに到着した。
宿を予約した際、「お迎えの者がお名前を書いたボードを持って舟着き場でお待ちしています」とのメッセージが送られて来て、それはありがたいと思う反面、本当だろうかと怪しむ気持ちも禁じ得なかった。
そしていざ着いてみると、確かにボードを手にしたスタッフらしき姿は何人か見えたものの、その上に当方の名は見当たらず、暫らくうろうろしているうちに下船時の賑わいは萎んで辺りはひっそりかんとしてしまった。
まあ、アジアだから……と苦笑しながら、しかし宿までは500mほど、わざわざ連絡して迎えに来てもらうまでもあるまいと歩き出し、ほとんど一本の道に沿った町なので迷うこともなく着くことができた。
フロントの兄ちゃんの態度からすると、迎えを怠ったことなど全く我関せずという感じだった。
宿の部屋は、少々値が張った(といっても1700円)だけあってまず上々、久しぶりにエアコンの冷気を浴びることができた。

夕食は近くの店でパッタイをテイクアウト。
可愛いけれども愛想のない店員に調理されたそれは決して不味くはなかった。
翌朝、読経の声を耳にして階下へ降りると、宿の兄ちゃんが托鉢の僧侶の前に額づいており、後でこれが毎朝の日課だということを聞いた。
ここでも日本人の若い女性と顔を合わせて少し話をしたが、彼女はこちらとは逆に昨日ルアンパバーンからメコン川を遡って来て、これからファイサーイそしてチェンラーイへ向かうとのこと。
当然ながら川を下るより時間を要してファイサーイへの到着は午後六時頃になるだろう。
できれば今日中にチェンラーイまで――と言っていたが、現実的ではない。
もっとも、そのことは彼女自身承知していたし、ファイサーイで宿にあぶれることはまずないので、心配は無用だろう。
朝食はフォー。
食事処が限られているため概してやや高めながら、前日のパッタイともに50Kキープ以下だった。
この日も早めに舟着き場へ行き、ボートの前方、ロングシートに席を確保したが、この舟の後部はボックス型ではなく、全座席が進行方向を向いた特急型の二人掛け配置だった。
乗客の顔触れは旅行者についてはほとんど変わらなかった一方、現地の人はほとんどすっかり入れ替わっていた。
ボートは前日よりも頻繁に接岸し、人を乗せたり降ろしたりしながらの航行。
それだけに目にする集落はやや多かったが、それ以外の風景は概ね同様だった。
ルアンパバーンへの到着もほぼ夕方の五時。