蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

火星のプリンセス エドガー・ライス・バローズ

アメリカの大衆小説家、エドガー・ライス・バローズの処女作である。

 

単行本として出版されたのは1917年ながら、初出は1912年、雑誌「オール・ストーリー」に「火星の月の下で」というタイトルで掲載されたらしい。

 


この「火星のプリンセス」を読んで、初めてバローズという作家を認識したのだが、私に限らず、日本ではこの名はほとんど知られていないのではなかろうか。

 

20210911-火星のプリンセス

 

しかし、「類猿人ターザン」の原作者と聞けば、「へえ、そうだったの」と首肯される向きは多いに違いない。

 


さて、「火星のプリンセス」だが、その物語は奇想天外・波乱万丈――といえば聞こえはいいけれども、本当のところ、荒唐無稽・奇々怪々と修飾する方が遥かに実態に即している。

 

これが誤りでないことは、主人公ジョン・カーターがインディアンに追われてアリゾナの洞窟へ逃げ込み、気を失ったのはまずいいとして、ふと意識が戻るとそこは何故か火星……というストーリーの発端からだけでも、十分お分かり頂けると思う。

 

そして、続いてカーターの火星での冒険が始まり、数々の危機を乗り越えながら、もちろん美しい王女に出会って恋に落ちるのである。

 

古典的SF作品の一つとして位置付けられてはいるものの、SF的要素としては舞台が火星という点だけで、冒険小説の特質の方が遥かに大きい。

 


バローズは、後に純恋愛小説なども手掛けたものの、ほとんど見向きもされなかったというから、「類猿人ターザン」にも共通する本作の馬鹿々々しさ(失礼―笑)は、どうやらこの作家の本領らしい。

 

それにもかかわらず(というより寧ろそれ故にこそ、か?)、大衆には大受けし、「ターザン」「火星のプリンセス」の続編がそれぞれ次々と世に出たほか、「金星」「月」の各シリーズも上梓された。

 


ただ、作者が亡くなった1950年以降、真正科学理論およびその思想に基づいた現代SF作品が現れると、バローズおよびその作品が急速に忘れられたのは、致し方ないだろう。

 

が、「雑草は滅びず」とでも言うべきか、第二次ターザンブームが起こるととともに再び人々の注目を集め、新たに発見された未発表作品まで日の目を見るに至ったということだ。

 

確かに、ある面では、「科学」という大看板を掲げたものの、それに対する理解・見識や文筆の技量が足らずにストーリーに齟齬を来たし、カタストロフィーに逃げて幕――といった出来の悪いSF作品よりは、バローズの「荒唐無稽物」(失礼―笑)に好もしさを覚えないでもない。

 

ストーリー・テラーとしてのバローズの資質が、決して劣ったものでないことは間違いないのだ。

 


最後に、「火星のプリンセス」原作誕生100周年の2012年、主人公の名を冠した映画「ジョン・カーター」が公開されたことも、併せ記しておこう。