蓼科高原日記

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筑摩現代文学大系7 正岡子規・高浜虚子・長塚節集

正岡子規、およびこの文学的巨人に繋がる二人の作品を収録した巻である。

 

20210823-筑摩現代文学大系7

 

[正岡子規]
仰臥漫録
竹の里歌


[高浜虚子]
柿二つ
五百句


[長塚節集]

病中雑詠

 


子規については、ここに収められた「仰臥漫録」をはじめ、これとともに所謂「四大随筆」を呼ばれる「松蘿玉液」「墨汁一滴」「病床六尺」はいずれも既読で、それらを繙いた時の鮮烈な印象もあって、内容についても、細部はさておきある程度記憶に残っていたのだが、今回また読んで、その剛毅――と一抹の弱さ――にあらためて感じ入った。

 


そして長塚節もまた、病苦の中で文筆に勤しみ、若くして世を去ったことは改めてご紹介するまでもなかろう。

 

本巻所収の彼の代表作たる「土」も既に一度読んでいる。

 


もう一人の虚子に関して言うと、先に以下の記事で書いたチェーホフに対する印象とは逆に、無論、名前は知っていたものの、その文章に接したことはほとんどないと思っていたのだが、念のため書棚を眺めたところ、いずれも岩波文庫版の「風流懺法」「子規と漱石」「俳談」が鎮座していた。

 

そして、これらはすべて一度は目を通したはずなのに、手元にあることすら忘れていたのだから、内容はすっかり頭から抜け去ってしまっていた。

 

しかし、今般本書を繙いてもっとも印象的だったのは、この虚子の「柿二つ」であった。

 


読み始めてしばらくの間、子規、節に加え虚子もまた病に苦しんだのか――と思ったが、描かれている病状や生活、文筆活動などがあまりに子規に酷似しており、間もなく「K」と題された章が現れるに及んで、このKが虚子で、病床に臥せったまま気焔を吐く「彼(N, Sとも記される)」はやはり子規であることに気付いた。

 

この二人の人物の挙動を中心に物語は展開されるが、時に子規、時に虚子の主観的立場から、また時には客観的視座から描かれていることに加え、子規自身による随筆「仰臥漫録」までを併せ読んだことで、重層的に構成された、非常に精緻な作品との印象を受け、延いては「仰臥漫録」、さらには子規という人物像まで、格段に鮮明化した感を覚えた。

 


今後、虚子の「柿二つ」を読んだことは決して忘れないだろう。

 

これはチェーホフの場合と同様だ。