1777年に生まれ、1811年に自ら拳銃で命を絶ったハインリヒ・フォン・クライストの生涯は、かのゲーテ(1749-1832年)のそれにすっぽりと包まれている。
そして、そのゲーテらによって展開された疾風怒濤が落ち着きを見せ、変わってロマン主義の燦然たる曙光がさし始めた頃に、クライストの文筆活動は開始されたようだ。
今回私の読んだ河出文庫の電子書籍版「チリの地震」には、表題作をはじめとするこの作家の短編小説5つと、エッセイ2編が収録されていた。
存命当時にはほとんど評価されなかった一方、20世紀に入ってクライストの作品が見直されるようになったというが、それでも世間一般における知名度はさほど高くなく、特にわが国ではその傾向が強いのではなかろうか。
個人的なことを言っても、私が従来その名を認識していたのは「O侯爵夫人」に限られ、これも文章として読んだわけではなく、エリック・ロメール監督の映画作品を通じてタイトル及び原作者の名に接した次第で、おそらく大方の方も同様ではないかと思う。
さて、今般改めて、というか初めてクライストの作品を文章で読んだのだが、最も印象的だったのは、表現の直截さと言おうか、露骨さと言うべきか、いずれにせよその点であった。
ピストルを口にくわえて引き金を引いたので、脳髄が飛び散って部屋の壁に付着した――といった描写は、当時の社会には到底受け入れられるはずもなかろうから、作者の名の上がらなかったことも頷かれるところである。
逆に、社会の通念や道徳といった世俗的柵からの文学の開放が声高に叫ばれるようになった前世紀に、クライストが再評価されたというのも、また理解できるというものだ。
もっとも、私は性格的、あるいは嗜好的に、この後者の姿勢には共鳴しがたく、また、作品自体についても、物語の展開に少なからぬ粗さを感じたこともあり、正直なところ、この作家のものをさらに追って読んでみたいという気持ちは湧かなかった。
上に述べたように、今般私の目にした作品は小説とエッセイに限られ、クライストの仕事の大きな部分らしい劇作に触れることは出来なかったのであるから、早急な断定は控えよう。
この領域に踏み入れれば、また別の側面も見えるのかもしれないのである。