蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

秋の日は釣瓶(つるべ)落とし―の意味

ここ数日、秋らしい澄んだ青空が広がっている。

 

その大気に洗われたかのように、木々も大分落ち着いた色合いになってきた。

 

20211005-秋の木々

 


先月までの雲の多い、場合によっては雨模様の空の下ではあまり感じなかったのだが、今のように晴れた明るい夕方は、しばらく机に向かってからふと外へ目をやると、気付かぬうちにすっかり暗くなっていることに驚く。

 

「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」とは、よく言ったものだ。

 


しかし、天文学的には、太陽がある高度から地平線下へ没するまでの時間が、秋に特に短かくなるという事実はないように思う。

 

それにも関わらず上のように感じるのは、大気が澄んで明暗のコントラストが強く出ることに加え、日のあるうちとそれが沈んでからの気温差、さらに周りの風景の物寂しさといった、体感的・心理的作用もあるためではなかろうか。

 


横軸に一年の時間経過を、縦軸には一日における昼の長さ(マイナス12時間)をとったグラフは、春分秋分をともに零点、夏至冬至をそれぞれ極大点極小点とする正弦曲線となる(はず)。

 

日没時刻についてのグラフも、やはりサインカーブの特質を持つ(はず)。

 

これが明確に示すのは、秋においては、日に日に、昼の長さが急速に短くなっていくこと、および、日没時刻が同様に早くなっていく、ということである。

 

このような意味で、「秋の日は釣瓶落とし」を捉えれば、それは至極合理的な内容を具えたものとなるわけだが、果たして本来はどちらなのだろう。