唇にオロナイン?
注意――本稿は、個人的な実体験をあくまで一例としてご紹介するもので、記述した内容をお勧めする意図は全くなく、仮にそれを実行されて何らかの問題が生じたとしても、当方ではその責を負えないことを予めお断りしておく。
2ヶ月ほど前、特にはっきりした契機があったわけでもないのに、下唇の外側、口角より少し中央に寄ったところが縦に1cmほど切れて――というより裂けてしまった。
今思い返すと、丁度1回目のコロナウィルスワクチン接種を受けた頃で、その副反応で少し体調の崩れていた際に生じたような気もしないではない。
と言っても、出血が止まらない・始終激痛に苛まれるといった重い症状ではなかったので、当初はさほど気にしなかったのだが、部位的によく動く箇所らしく、食事時はもちろん、笑ったり欠伸をしたりといった口を開く機会に、ちょっとした加減でぴしッという痛みが走り、その度にせっかく塞がりかけた傷口がまた悪化する、という繰り返しでずるずると日を経てきた。
途中、薬用のリップクリームを塗ってもみたのだけれど、改善の兆候は見られず、却って腫れぼったくなった感があったため、これは数回だけで取り止め、その後は自然治癒を期待しながら過ごしたものの、なかなかそれも実現しなかった。
その傷が今般、オロナインH軟膏を塗布するという、ふと思いついた処置により、急速に改善したのである。
ここは山の上で、冬場は寒さとともに空気の乾燥も激しく、よく手にひびが生じるため、その対処策の一つとして常にオロナインを置いている。
したがって、思い付いたらすぐ塗ることもできたわけだが、その時、「果たしてこれを、唇に生じた傷に塗布してもいいものだろうか?」という懸念が頭を過った。
そこで注意書きを確認したところ、まず、効果・効能に「キズ」があるのでこの点は問題ないにしても、塗布してよい、あるいは悪い部位についての説明はなく、一般的皮膚(?)に比べるとややデリケートと思われる唇に塗って大丈夫なのかという疑念は依然として残ってしまった。
もっとも、真に危険のあることについては明記されるであろうから、あまり神経質になる必要はなさそうなことは分かった。
念のため、続いてネットでも検索してみたのだが、やはりグレーな見解しか見出せず、一つだけ、「オロナインの有効成分であるクロルヘキシジングルコン酸塩は口に入れてはならない」との少し具体的な情報があったので、取り敢えずこの点に注意して使ってみることにした。
すなわち、睡眠中に口中へ入ることはまずないであろうと考え、床に就く前にごく少量を塗ってみたのである。
すると翌朝、それまでの患部のつっぱり感が消えており、傷も幾分細く浅くなっているように見えたことから、日中も塗布することに。
この際は、食事の前には一旦洗い落とし、食後再び塗ることで、口へ入らないよう留意した。
そしてこれを三日ほど続けたところ、あれだけ長い期間悩まされた傷が、ほぼ完治したのである。
オロナインに含まれるクロルヘキシジングルコン酸の消毒作用と、同じく成分の一つであるオリーブ油の保湿作用が上手く働いてくれた感じだが、怪我や病気というものは、良くならない時は何をやっても奏功せず、かと思うと、突然急速に改善し始めることが珍しくないので、今回も、その回復期とオロナインの塗布とが偶々一致した面があったのかもしれない。
しかし、何はともあれ、口を開くたびにびくびくする必要のなくなったのはありがたい。
世界ノンフィクション全集11 タイタニック号の最期、アルプスの悲劇、他3編
同全集の前第10巻に続き、海と山での遭難記が収録されている。
それらのタイトルおよび著者は次の通り。
・タイタニック号の最期 ウォルター・ロード
・アルプスの悲劇 シャルル・ゴス
・剣沢に逝ける人々 東大山の会
・松尾峠の思い出 槇有恒
・太平洋漂流四十九日 イズベスチャ紙
巻頭の「タイタニック号の最期」については、改めてご紹介する必要はないだろう。
1912年4月、ホワイト・スター・ライン社の豪華客船タイタニック号が、サザンプトンからニューヨークへ向かう処女航海で氷山に衝突、約2200人の乗員乗客中、1500人余りが命を落とした史上最悪の海難事故を、記録や生存者の証言に基づき再現したルポルタージュである。
その42年後の1954年9月に日本で起こった、青函連絡船洞爺丸が台風による猛烈な風浪で沈没した事故もまた、多大な犠牲者を出したことで知られているが、こちらの場合、一旦海に投げ出されてしまえば確かに助かる見込みは小さいと想像されるのに対し、タイタニック号の遭難は、特に海が荒れていたわけではなく、衝突発生から沈没までにかなりの間があり、常識的に考えれば、被害はもっとずっと小さく抑えられたのではないか、との疑念が湧くのではなかろうか。
少なくとも私は、これまでまとまった知識がなかったのでそう思っていたのだが、今回「タイタニック号の最期」を読み、なるほどこれでは甚大な人命被害の出るのは当然だろう――と首肯した。
あまり細かな事を書いては今後類書を読んでみようとの興味を殺ぐことにもなりかねないので、ごく簡単に述べると、その原因は、まず救命ボートの総定員が人員に比して絶対的に足りなかったこと、それに加えて定員を大きく割った状態で進水されたボートまであったことであろう。
周囲に浮材は多量に見出せたに違いないが、四月とはいえ氷山の漂うような北の海域、水温が氷点付近と極めて低かったことから、それらに縋っているだけでは到底命を維持することはできなかったのだ。
このような事実が判明することに加え、極限状況で当然起こるべきさまざまな人間ドラマが、人種・民族および階級差別などの問題とともに描写されていて、非常に興味深く読むことができた。
――と、この調子で書いていたら、少なからず長過ぎる記事となってしまうので、他の著作についてはざっくりとご紹介するに留めよう。
しかし、これらが「タイタニック号の最期」に比して劣っているわけでは決してないことは無論である。
「アルプスの悲劇」は、19世紀後半、所謂クラシック登山が最後の光輝を放った時期にヨーロッパアルプスで起こった数々の遭難事故を、記録・証言とともに著者シャルル・ゴスの推理想像を交えて語った文章で、本巻中最大の分量を誇っている。
これを読むと、遭難には実に多様な原因のあることに今さらながら驚かされる。
続く二編、「剣沢に逝ける人々」「松尾峠の思い出」は、そのタイトルが示す通り我が国における事例で、共に立山山域において、それぞれ1930(昭和5)、1923(大正12)年とさほど間を置かずに起こった事故の記録である。
こちらは報告としての性格が強い文章ということもあり、遭難の経緯が淡々と語られているが、それが却って冬山の残酷さを読む者に鮮明に見せる。
最後の「太平洋漂流四十九日」も、もちろん深刻な遭難に違いないのだが、何分、共産主義を「国教」とする国での事故、しかも記述したのが新聞屋殿とあっては、物語が豪胆不屈な不死身のヒーローの活躍する血沸き肉躍る大冒険活劇、最後は祖国の栄光を称えるハッピーエンドとなるのは必定。
それほど長い文章でもないので、これを苦笑しながら読むのもまたよしとしたい。