翌朝も富山は雨だった。
七時半過ぎに宿をチェックアウトして富山駅へ向かい、既に入線していた同駅八時過ぎ発の高山本線猪谷行き列車に乗車。
その時点では空席が目立っていたが、通勤通学時間だったこともあって、発車時刻が近づくにつれ次第に埋まり、最終的には立ち客のいる状態で富山駅を後にした。
学生時代にこの路線を逆に辿った際には、富山のごく近くまで山間を走ったような記憶が朧にあるのだが、今回は三十分以上に亘り開けた景色を眺めることとなって違和感を禁じ得なかった。
しかし線路が神通川に沿うようになる笹津駅辺りから、漸く緑を主とする車窓となって昔の印象に近づいた感じだった。
猪谷から先、この日目指す高山まで行く列車も反対側ホームに入っていたので先ず座席を確保――といってもロングシートにはわずかな乗客のみ――し、駅舎や辺りの風景を眺めながらホームをぶらついた。

一時間と少しの乗車で十時過ぎに高山駅に到着した。
二泊三日の短い旅行ゆえ荷物は重くないものの、嵩はそれなりにあってやはり少々煩わしいことから、チェックイン前でも荷物は預かってくれるというこの日の宿を目指して歩き出した。
1kmほど離れているけれども、観光エリアと同じ方向なので無駄足にはならない。
ここ高山には二年前の六月にも訪れており、その際に古い町並みは結構しっかりと目にしたので、今回はより大まかに眺めてみようとのんびりした気分で歩いた。
秋の高山祭を目前に控えてその準備の慌ただしさに接するかと思いきや、表面的には駅前に幟が立てられている以外はこれといって目につかなかった。
それにしても外国人観光客が多い。
特に西洋人の姿が目立ったのは、某チョー大国からの流入が制限されているためかもしれない。
旅行に出る前、高山についてあれこれ調べているとき目にして心惹かれたものがある。
木を成形した器などにその木目を殺さぬよう透き漆で塗りを施した春慶塗だ。
小品でいいのでそれを一つ手に入れたく、中心部から少し外れ、櫻山八幡宮の表参道にある山田春慶店へと向かった。
思ったよりこじんまりした店構えの間口の扉は開け放たれており、ガラスケースに並んだ作品を気軽に見ることができる。
それを眺めていると店の女将が外から戻って来て、言葉を交わしているうちに当方の現在の居住地と縁のあることがわかり、話が弾んだ。
同店のウェブサイトで見て欲しいと思っていた浅い小皿はあいにく売り切れで、追って制作されたらネット通販で購入しますと伝えて店を出たが、ここで直接何かを買っておきたいという気持ちが急に強まったため、踝を返してまたガラスケースを覗き、紅色の美しい丸皿を一つ手にし、今度は満ち足りた気分で店を後にした。

去る九月に訪れた青梅と同様、ここ高山にも昭和30年代の事物を展示再現した施設が二つある。
ただ、どちらも入館料が少々高い気がして足が向かなかった。
時刻は正午前、高山駅に向かった。
これは予め予定していたことで、富山方面へ三駅戻って飛騨古川を訪れるのである。
飛騨古川の駅前はひっそりとしており、昼食時ではあるものの飲食店もさほど混んではいないだろうと思いながら、すぐ目の前に見えた浪花食堂の暖簾を潜ると、案の定、五つのカウンター席は四つが埋まっている一方、テーブル席や座敷席には誰もいない。

この状況でカウンターに陣取ってはお互いに窮屈だろうと、奥のテーブル席に着いた。
一見してかなりの歳とわかるお婆さんが一人で切り盛りしているようなので、のんびり気長に――と待っていると、先客の一人がコップにお冷を注いで持ってきてくれ、続いてもう一人が注文を聞いてお婆さんに伝えてくれた。
この二人は父娘、さらに孫一人を含めて家族で食事に来た地元の人らしい。
もう一人は外国人で、日本語を話し、この手の店に入ることからしてもなかなかの通のようだった。
注文したのはお好み焼き(ミックス)の大盛、当方大食いではないにもかかわらず量が少々物足りなかった。
会計を頼んだ際、「何だったかね?」と確認されたことを鑑みるに、もしかしたら普通盛を出されたのかもしれない。
しかし美味かったし、気分よく食事ができたので、大盛料金を払って何ら不満はなかった。
飛騨古川は高山と同じく古い家並みの保存されている町だが、白壁の土蔵に代表される、より明るい色合いの建物が多い印象を受けた。


散策の出発点とした飛騨古川まつり会館への入館は遺憾ながら割愛してその分町歩きに時間をかけたので、三嶋和ろうそく店での買い物はもちろん、円光寺・真宗寺・本光寺への三寺まいりも、日違いながら果たすことができた。

そして白壁土蔵に沿って流れる瀬戸川を泳ぐ鯉に一袋100円の麩エサを二つ、放生会のつもりで投げ与えて、飛騨古川観光を終えた。
高山に戻り、宵闇の下りた町を今一度歩いた。
適当な店があれば夕食を摂ろうと考えたのだけれど、やはり名立たる観光地、どこも旅行者向けで食指は動かず、おとなしく宿近くのスーパーマーケットで調達して済ませた。
この時間、出歩いていたのは九割以上が外国人だったと思う。

三日目は帰路を辿るだけだ。
七時過ぎに高山駅を出た列車には通学する高校生が多数。
デザインが同じで色違いのジャージを着た姿が次々に乗車して来るのを見て、自分の中学高校時代もそうだったことを思い出した。
美濃太田駅で太多線に乗り換えて多治見まで。
こうして太多線は完乗した一方、高山本線の美濃太田―岐阜間は残してしまった。
学生時代にここは辿ったはずだが、そのとき目にした風景などは既に忘却の彼方なので、機会があればここも再乗車したい。
多治見で中央本線に移って中津川へ。
ここでの乗り継ぎに一時間弱あったので、少し早いが五十番という店で焼きそばの昼食を摂った。
この夏の西日本旅行から帰るときもそうだったが、奈良井駅で数多の外国人観光客が乗り込み、座席はもとより、通路も埋まるほどの混雑となった。





