蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

山さまざま 深田久弥(著)

今般私の読んだ「山さまざま」は、「山の文庫」の一冊として1982(昭和57)年に朝日新聞社より刊行されたものだが、あとがきによると、この本には五月書房刊「山さまざま」(昭和34年)から12編、文芸春秋新社刊「山があるから」(昭和38年)から15編が収められているらしい。

 

20220119-山さまざま

 

お分かりの通り、ここで既に書名が重複しているのだが、これに加え、やはり朝日新聞社の刊行した「山の文学全集」にも同じタイトルがあるので何とも紛らわしいところである。

 


深田久弥と言えば、まず「日本百名山」の著者としてほとんどの読者に記憶されているに違いない。

 

そしてそこから延いて、自らの登山経験に主として基づいた山岳関係の文章をものした作家との認識を持つ人も多いであろう。

 

実際、私もその一人である。

 

 

 

 


しかし、本書中の一編に、「私は小説家だが、山の小説を書くつもりはない……」といった記述があり、深田久弥氏は小説家でもあったのか?ではその手になる作品にはどのようなものがあるのだろう?と興味が湧いたので、少し調べてみた。

 

が、それは結果として、余計なことをしてしまったかもしれない――という気持ちに終わってしまった。

 

というのは、深田は東大在学中に「あすならう」「オロッコの娘」などの小説を発表し、文壇の評価を博したが、実はこれらの作品は、当時同棲中で後に結婚(さらにその後離婚)した北畠八穂(きたばたけやお)の作品の焼き直しであったというのである。

 

そしてこのことを友人の小林秀雄川端康成にから厳責され、オリジナルの作品を書いてはみたものの……

 

しかも、脊椎カリエスで寝たきりとなった北畠をそっちのけにして、再会した初恋の相手と遭う瀬を重ねて孕ませ、これが露見して激怒した北畠に剽窃の事実を世に公表されたため、作家としての信用を喪失したということだ。

 

さもありなん、である(失笑)。

 


しかし深田はその後、当の相手と再婚して家庭を築き、さらには1964年に発表した「日本百名山」により、過去の文筆上の汚名を雪ぐと同時に一躍人気作家となった。

 

私がこれまでに読んだその著書としては、いずれも上記「山の文庫」に属する、「日本百名山」「ヒマラヤの高峰」「山岳展望」、そして今般の「山さまざま」のみであり、これだけに基づいて深田久弥の作家としての全体像を云々することはできるはずもなく、またするつもりもないが、この作家が山に対する深い愛情を有していることだけは、確かにその文章の随所に見て取ることができる。

 

そしてそれが読むものの心にも自然と響き、共鳴させるからこそ、今まで長く読み継がれてきたのであろう。

 


「山さまざま」もまた、広く山を主題とする文章からなっているものの、より日常寄りの、市井における生活やエピソードを描いたものも含まれており、深田のその側面を窺うこともできる。

 

それを読んだ限りでは、上に挙げたようなしょうもないことを過去に仕出かした御仁とは思わず、少々騙されたような気がしないでもなかったのだけれど、まあ、立派に更生なさったのだからと納得すべきだろう。

 

この作家の書いた小説に対する興味はすっかり失せてしまったが、これもこれで良しとしたい。

 

 

 

 

雪は小休止、真冬日から脱出

火、水、木と雪に阻まれて果たせなかった用事を、金曜日に漸く済ませた。

 

その帰路、家の近くの坂を上ろうとしたところ、タイヤが空転して止まってしまった。

 

金属チェーンは常に携行しているので、少し戻って平場でこれを巻けばまず大丈夫とは思ったが、家まであとわずか100m程度、しかも通行の支障は恐らくほんの数mであろうことを考えると、そのために作業に取り掛かるのはちょっと納得し難い。

 

そこで状況を確認すべく、ドアをほんの少し開けて(車の左右とも15cmほどしかスペースがなかった……)その隙間から外へ出てみると、左側にちょっとした雪溜まりがあり、そこが障害となっていることが判明。

 

これくらいなら何とか突破できるだろうと、先ずはこれを試してみることにして坂の入口まで約20mバックし、先ほどより少し速度を出した上で、スペースの許すほんのわずか右を一気に辿ったところ、無事通過することができた。

 

この程度の雪溜まりで難儀するのは、やはりスタッドレスタイヤのグリップ力に衰えの出ているためかもしれない。

 

20220116-雪の坂道

 


その金曜から今日にかけ、雪は小休止。

 

そして今日は午前中良く晴れて気温も上がり、午後一時頃、ほんの一時ながらプラスに転じた。

 

しかしながら、外を歩くと、空に広がり始めた雲が陽を遮りがちとなり、さらに風が吹いて体感的にはかなり寒かった。

 

この時季の風は、仮に弱くともさすがに冷たい。

 


散歩の途中、10頭ほどの若い群れをはじめとして、何度か鹿に出会った。

 

これだけ積雪が嵩むと食い物に困るのだろう、人里――というわけではないけれど――近くによく現われ、さらに辺り一帯に蔓延る熊笹がその雪に覆われ見通しが利くようになるので、鹿の姿をよく目にする。

 

8年前の大雪の際には、その鹿に樹皮を食われて多くの樹が枯死の憂き目に遭ったが、動物にとっても死活問題、それに追われての苦肉の行動なのだろう。