蓼科高原日記

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寒波の襲来・ファンヒーター(コロナFH-G5718BY)の故障

先週襲来した寒波により、蓼科山に隣接するこの地も寒さの厳しい状況が続いた。

 

連日、最低気温は氷点下12℃台に留まったものの、日中もマイナス8℃程度までしか上がらなかった。

 

そんな中、折悪しくファンヒーターが故障して使えなくなってしまった。

 

機種はコロナ製FH-G5718BYである。

 

20240130-寒波の襲来・ファンヒーター(コロナFH-G5718BY)の故障

 


表示されたエラーコードを元に、まずは取扱説明書を確認したが、「電気系統の故障」としか記載されていない。

 

となるとメーカーのサービスセンターへ直接問い合わせるのが常道だろうけれど、当方山間部のため電波状態が悪く、携帯電話を使うには戸外へ出ねばならず、極寒の夜にこれをするのは躊躇われたことから取り敢えずネットで調べてみた結果、不具合の内容はどうやら気化釜なる部位の温度異常で、この修理を依頼すると一万円以上と結構な料金がかかるらしい。

 

一方、自分での修理も難しそうな上、仮にできるにしても部品代がやはり安くないこともわかった。

 


保証期間内であれば、もちろん修理を依頼するところだが、同機の保証期間は3年で購入したのは2020年の2月、すなわち残念ながら1年ほど期限を過ぎての故障である。

 

それに、いずれにせよ復旧にはそれなりの時間を要するわけで、その間厳しい寒さに耐えるのは辛かったことから、急遽暖房装置を追加で用意することにした。

 


しかし、これについては別の記事に譲ることにして、実は今般の故障発生の原因になったのではないかと思われることがあるので、本稿ではこちらをご紹介しようと思う。

 

仮にこれが正鵠を射たものなら、同じ轍を踏まないよう注意して頂くことで、無用な不便や出費を回避できることもあろうから。

 

 

 

 


さて、恐らくほとんどのファンヒーターがそうだろうと思うが、当方の使用していたFH-G5718BYは、灯油残量が少なくなるとアラームが鳴るとともに弱火力運転に切り替わり、そのまま稼働を続けるとやがて灯油切れとなり停止する。

 

今般も発端はそのアラーム音が響いたことで、これを耳にした数分後に一旦消火し、給油タンクを取り外してそこへ灯油を入れ、ファンヒーター本体へ戻した。

 

すると給油タンクからファンヒーター内部の固定タンクへ灯油が流れるコポ・コポといった音。

 

これまではこの音が消えるのを待った上で再点火してきたのだが、今般はアラームが鳴って間もなく給油したので、固定タンクにはまだ十分な灯油が残っているだろうと考え、すぐに再点火した。

 

すると、本来なら強火力で稼働が開始されるべきところ、灯油不足時の弱火力運転が再開されたのである。

 

おや、と思ったものの、すぐに強火力運転へと切り替わったので安心したのだが、それも束の間、エラーとなり消火してしまい、その後電源コンセントの抜き差しを行ったりした上で再点火しても稼働しなくなってしまった――

 


これが故障発生時の流れで、ファンヒーターの挙動を鑑みるに、想定しない状況の変化に対応できなかったような感があり、これが故障を引き起こしたのではないかとの印象を否めないのである。

 


サービスセンターにこのことを伝えてみようかとも思ったが、恐らく否定されるだろうという気がして止めた。

 

なぜなら、これが認識されているとすれば、取扱説明書やメーカーのウェブサイトなどに記載されているはずだから。

 

そして、仮に認識の上でそれらがなされていないとしたら、当然、問い合わせても有耶無耶に片付けられてしまうに違いない。

 


ともあれ、今後またファンヒーターを購入することになったら、個人的には給油後しっかりと間を措いてから(といっても数分で十分)再点火するよう、心掛けようと思う。

 

 

 

 

銀河帝国の崩壊(Against the Fall of Night) アーサー・C・クラーク(著)

銀河帝国の崩壊(Against the Fall of Night)」は、ロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフと共にSF界のビッグ・スリーとして数多の著作をものしたイギリスの作家アーサー・C・クラークの初期の作品である。

 


少年時代から天体観測を趣味とし、またSF小説を読みふけるなど科学に対する興味の深かったクラークだが、進んだのはグラマースクールで、その卒業後は公務員として年金の監査に従事。

 

しかし第2次世界大戦が勃発するとイギリス空軍のレーダー技師となり、除隊後にロンドンのキングス・カレッジで物理学と数学を学び、自らの本来の資質に沿った――とも言うべき道を歩み始めたのである。

 

 

 

 


1953年に発表された「銀河帝国の崩壊」はクラークの長編第五作に当たり、このタイトルや当方の入手した書籍のカバーからは大宇宙で展開される波乱万丈のスペースオペラが連想されるかもしれないけれども、実際は発展の極致へ達した人類文明の破局とそこからの新たな歩みを主題とする、いわゆる終末物の一種である。

 

銀河帝国の崩壊(Against the Fall of Night) アーサー・C・クラーク(著)

 

クラークは、O.ステープルドンが「最後にして最初の人類(Last and First Men)」により取り上げ、SFの多様化と深化に貢献したこのテーマに大きな関心を持っていたようで、「銀河帝国の崩壊」に先立ってこれと同じ年に出版した、彼の最高傑作とも称される「幼年期の終り(Childhood's End)」もこの主題に基づいていることに加え、三年後の1956年には、銀河帝国――の翻案・改作と言うべき「都市と星(The City and the Stars)」まで世に問うている。

 


さて、クラークの上に挙げた三作における「銀河帝国の崩壊」の位置付けについて個人的な印象を忌憚なく述べれば、量的な薄さはともかく、質的な面でも影が薄いと言わざるを得ない。

 

これは主に、終盤、物語が大きく展開するに際し、「純粋知性」がいきなりとも言える形で登場し、以後の記述がそれまでと比べ明らかに淡白になっているためで、実際、読了後にすぐ思い返しても、その部分はほとんど記憶に残っていなかった。

 

穿った見方をすれば、「幼年期の終り」で手応えを感じてさらなる獲物を狙ったもののそれを果たせず、案の熟すのを待った上で書いたものが「都市と星」なのではないかと思える。

 


"Against the Fall of Night"という原題を「銀河帝国の崩壊」などという壮大なものにし、書籍カバーも見る者にそれを想起させるものにしたのは、この弱みから読者の視線を逸らそうとの出版社の目論見ではないか――と言っては少々嫌味かもしれない。

 

しかし、他の二作が現在も版を重ねているのに対し、「銀河帝国の崩壊」が絶版となって久しいのは事実である。