蓼科高原日記

旅行・音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そして自然、ささやかな山暮らしの日常

高山で春慶塗を手に入れ、飛騨古川も気分よく散策

翌朝も富山は雨だった。

 

七時半過ぎに宿をチェックアウトして富山駅へ向かい、既に入線していた同駅八時過ぎ発の高山本線猪谷行き列車に乗車。

 

その時点では空席が目立っていたが、通勤通学時間だったこともあって、発車時刻が近づくにつれ次第に埋まり、最終的には立ち客のいる状態で富山駅を後にした。

 


学生時代にこの路線を逆に辿った際には、富山のごく近くまで山間を走ったような記憶が朧にあるのだが、今回は三十分以上に亘り開けた景色を眺めることとなって違和感を禁じ得なかった。

 

しかし線路が神通川に沿うようになる笹津駅辺りから、漸く緑を主とする車窓となって昔の印象に近づいた感じだった。

 

猪谷から先、この日目指す高山まで行く列車も反対側ホームに入っていたので先ず座席を確保――といってもロングシートにはわずかな乗客のみ――し、駅舎や辺りの風景を眺めながらホームをぶらついた。

 

20261017-(1)猪谷駅

 


一時間と少しの乗車で十時過ぎに高山駅に到着した。

 

二泊三日の短い旅行ゆえ荷物は重くないものの、嵩はそれなりにあってやはり少々煩わしいことから、チェックイン前でも荷物は預かってくれるというこの日の宿を目指して歩き出した。

 

1kmほど離れているけれども、観光エリアと同じ方向なので無駄足にはならない。

 

 

 

 


ここ高山には二年前の六月にも訪れており、その際に古い町並みは結構しっかりと目にしたので、今回はより大まかに眺めてみようとのんびりした気分で歩いた。

 

秋の高山祭を目前に控えてその準備の慌ただしさに接するかと思いきや、表面的には駅前に幟が立てられている以外はこれといって目につかなかった。

 

それにしても外国人観光客が多い。

 

特に西洋人の姿が目立ったのは、某チョー大国からの流入が制限されているためかもしれない。

 


旅行に出る前、高山についてあれこれ調べているとき目にして心惹かれたものがある。

 

木を成形した器などにその木目を殺さぬよう透き漆で塗りを施した春慶塗だ。

 

小品でいいのでそれを一つ手に入れたく、中心部から少し外れ、櫻山八幡宮の表参道にある山田春慶店へと向かった。

 

思ったよりこじんまりした店構えの間口の扉は開け放たれており、ガラスケースに並んだ作品を気軽に見ることができる。

 

それを眺めていると店の女将が外から戻って来て、言葉を交わしているうちに当方の現在の居住地と縁のあることがわかり、話が弾んだ。

 

同店のウェブサイトで見て欲しいと思っていた浅い小皿はあいにく売り切れで、追って制作されたらネット通販で購入しますと伝えて店を出たが、ここで直接何かを買っておきたいという気持ちが急に強まったため、踝を返してまたガラスケースを覗き、紅色の美しい丸皿を一つ手にし、今度は満ち足りた気分で店を後にした。

 

20261017-(2)高山

 


去る九月に訪れた青梅と同様、ここ高山にも昭和30年代の事物を展示再現した施設が二つある。

 

ただ、どちらも入館料が少々高い気がして足が向かなかった。

 


時刻は正午前、高山駅に向かった。

 

これは予め予定していたことで、富山方面へ三駅戻って飛騨古川を訪れるのである。

 

飛騨古川の駅前はひっそりとしており、昼食時ではあるものの飲食店もさほど混んではいないだろうと思いながら、すぐ目の前に見えた浪花食堂の暖簾を潜ると、案の定、五つのカウンター席は四つが埋まっている一方、テーブル席や座敷席には誰もいない。

 

20261017-(3)飛騨古川駅

 

この状況でカウンターに陣取ってはお互いに窮屈だろうと、奥のテーブル席に着いた。

 

一見してかなりの歳とわかるお婆さんが一人で切り盛りしているようなので、のんびり気長に――と待っていると、先客の一人がコップにお冷を注いで持ってきてくれ、続いてもう一人が注文を聞いてお婆さんに伝えてくれた。

 

この二人は父娘、さらに孫一人を含めて家族で食事に来た地元の人らしい。

 

もう一人は外国人で、日本語を話し、この手の店に入ることからしてもなかなかの通のようだった。

 

注文したのはお好み焼き(ミックス)の大盛、当方大食いではないにもかかわらず量が少々物足りなかった。

 

会計を頼んだ際、「何だったかね?」と確認されたことを鑑みるに、もしかしたら普通盛を出されたのかもしれない。

 

しかし美味かったし、気分よく食事ができたので、大盛料金を払って何ら不満はなかった。

 


飛騨古川は高山と同じく古い家並みの保存されている町だが、白壁の土蔵に代表される、より明るい色合いの建物が多い印象を受けた。

 

20261017-(4)飛騨古川1

20261017-(5)飛騨古川2

 

散策の出発点とした飛騨古川まつり会館への入館は遺憾ながら割愛してその分町歩きに時間をかけたので、三嶋和ろうそく店での買い物はもちろん、円光寺・真宗寺・本光寺への三寺まいりも、日違いながら果たすことができた。

 

20261017-(6)円光寺

 

そして白壁土蔵に沿って流れる瀬戸川を泳ぐ鯉に一袋100円の麩エサを二つ、放生会のつもりで投げ与えて、飛騨古川観光を終えた。

 


高山に戻り、宵闇の下りた町を今一度歩いた。

 

適当な店があれば夕食を摂ろうと考えたのだけれど、やはり名立たる観光地、どこも旅行者向けで食指は動かず、おとなしく宿近くのスーパーマーケットで調達して済ませた。

 

この時間、出歩いていたのは九割以上が外国人だったと思う。

 

20261017-(7)高山の夜景

 


三日目は帰路を辿るだけだ。

 

七時過ぎに高山駅を出た列車には通学する高校生が多数。

 

デザインが同じで色違いのジャージを着た姿が次々に乗車して来るのを見て、自分の中学高校時代もそうだったことを思い出した。

 


美濃太田駅で太多線に乗り換えて多治見まで。

 

こうして太多線は完乗した一方、高山本線の美濃太田―岐阜間は残してしまった。

 

学生時代にここは辿ったはずだが、そのとき目にした風景などは既に忘却の彼方なので、機会があればここも再乗車したい。

 


多治見で中央本線に移って中津川へ。

 

ここでの乗り継ぎに一時間弱あったので、少し早いが五十番という店で焼きそばの昼食を摂った。

 


この夏の西日本旅行から帰るときもそうだったが、奈良井駅で数多の外国人観光客が乗り込み、座席はもとより、通路も埋まるほどの混雑となった。

 

 

 

 

秋の乗り放題パスと北陸新幹線で富山、高山・飛騨古川へ

九月の南東北旅行に続き、十月の初めに今度は富山と高山・飛騨古川へ行ってきた。

 

この選定は、一昨年の十二月に北陸を訪れた際、富山は氷見線を往復したもののほとんど素通りに終わってしまったのと、学生時代に一度辿ったことはあるものの、それから既に長年月を経た高山本線の現在を改めて目にしておきたかったからである。

 


ちょうど「秋の乗り放題パス」の通用期間に当たったのでこれを利用することにしたが、言うまでもなく北陸方面が絡むとその経済面での旨味は大きく減じる。

 

今回は二泊三日の短い旅行でもあり、時間の節約からそれならいっそのこと――と、長野駅から富山へは北陸新幹線で一気に入ることにした。

 

「新幹線eチケット(トクだ値)」が売り出されるかもしれない――との期待もあったが、こちらはあいにく期間にかからず利用できなかった。

 


朝七時過ぎ、茅野駅から中央本線の列車に乗車し、隣の上諏訪駅で同駅始発長野行きに乗り換えた。

 

天気は穏やか、時間的にはこれで問題なく先の旅程をこなせるはずと思いきや、発車して間もなく、上りの列車で異音が発生したため、安全の確認されるまで停車する――とのアナウンスが車内に流された。

 

結局、10分と少しの後に運行は再開されたものの、長野駅での新幹線への乗り換えが少々タイトになり、遅れがさらに重なったら致命的である。

 

しかし何とかその遅れのまま松本駅に着き、その先の快速区間で徐々に挽回、長野駅には4分だけの遅延で到着した。

 


やれやれと思いながら新幹線改札を紐づけしたカードで通ろうとしたら、「入場記録がない」と拒否されてしまった。

 

駅係員に、茅野駅からここまでは秋の乗り放題パスで乗車した旨を伝え、カードに情報を書き込んでもらって通過したが、他の乗客への対応が混んでいる場合などは一旦在来線改札口を出て再入場した方がいいかもしれない。

 


北陸新幹線には新高岡駅まで乗車した。

 

秋の乗り放題パスの特性を少しでも活かすべく、これまで一度も辿ったことのない城端線を往復するためである。

 

新幹線の高架駅から城端線の地上駅へ移動し、ホームで待つこと暫し、朱色の単行列車が入線してきた。

 

20261013-(1)城端線

 

30kmに満たない距離を、ゆっくりと、さらに何度か列車交換のための停車を挟んで走行し、ほぼ正午に終点城端駅に到着。

 

一時間近くかかったものの、その古びた車両はなかなか趣があった。

 

と同時に、現在でも高校生をはじめとする地元の人々の重要な足として機能していることを知った。

 


城端では特に観光はせず、折り返して高岡駅に戻る。

 

その列車は四十五分後の発と間があるので、昼食を摂ろうと駅のすぐ近くにある「竹のや」の暖簾を潜って親子丼(うどん付き)を注した文。

 

そのうどんは味噌汁代わりの小さなものだろうと思いきや、どんぶりに入ったしっかりした一杯だった。

 

食事をするにはやはりこういう「普通の」食堂がよい。

 

カウンターの端にラスクと数種類の栄養ドリンクが置かれており、ちょっと甘いものが欲しかったので帰りがけにラスクを手にして幾らかと聞いたら、サービス品なので自由に持っていけ、と栄養ドリンクまで三本押し付けられてしまった(笑)。

 

 

 

 


高岡駅であいの風とやま鉄道線に乗り換えた。

 

 

本来なら秋の乗り放題パスは使えないところだが、今般は城端線から高山本線へと乗り継ぐ形となるので、特例としてパスの提示で乗車することができた。

 

車内はそれなりの混雑、ニ十分弱と短い乗車ということもあり立ったままで移動した。

 


富山駅には午後二時過ぎに到着。

 

秋分を過ぎて急速に日が短くなってきたので、夕暮れまでの観光は少々慌ただしい。

 

事前に購入しておいた「富山市内まちなかおでかけチケット」を使い、これで乗車できる富山地方鉄道市内電車の路線を一通り辿るとともに、北前船廻船問屋の家並と富山城に立ち寄るのである。

 


先ずは富山港線で東岩瀬まで行き、そこから徒歩で北前船廻船問屋街へ向かった。

 

江戸時代から明治時代に亘り日本海貿易に活躍した北前船の問屋・船主の集落だったというだけに、どっしりとした重厚な建屋が目につき、武士町とはまた異なる雰囲気が感じられる。

 

その中でも代表的な家として馬場家が公開されており、入館料100円を払って内部を見せてもらったが、これだけのもの今建てたら一体いくら掛かるのだろうと途方に暮れてしまった。

 

いや、そんなことより、そもそも技術的に難しいかもしれない。

 

20261013-(2)馬場家1

20261013-(3)馬場家2

 

馬場家と並ぶもう一軒の森家は、令和6(2024)年に起こった能登半島地震を受け実施されている耐震補強工事のため、休館中だった。

 


富山港線の終着駅(停留所)、岩瀬浜へと歩を踏み出そうとした時、ふと道端に立てられた周辺の案内図が目に入り、念のため道順を確認しておこうと注意を向けると、富山港展望台が近くにあるという。

 

折角なので寄っていこうと駅とは反対方向に進み、間もなく現れた20mほどの塔の階段を登った。

 

が、展望室からの眺めは、眼下の海が商業港という性格もあり、正直あまりぱっとしたものではなかった。

 

晴れて視界が利けば遠くに立山連峰が望めるらしく、その状況下では印象も大きく異なるのだろうけれど、当日は生憎の曇り空、落胆を禁じ得ず早々に階段を下り、気を取り直して駅へと向かった。

 

20261013-(4)富山港展望台

 


岩瀬浜では、富山駅から先の富山大学前まで行く5系統の電車に乗ることができ、終点で下車した。

 

そこで折り返しの電車に乗車したが、丁度夕刻の下校時だったため多くの学生が並んでおり、その後塵を拝することとなった。

 

富山城を訪れようと丸の内で下りた時には、既に夕暮れの気配が濃かった上、それまで辛うじて持っていた空から本降りの雨が落ちてきたため、城址公園をゆっくり――というわけにはいかず、富山城の外貌と本丸御殿庭園跡をざっと目にするに留めざるを得なかった。

 

20261013-(5)富山城

 

丸の内の停留所に戻り、今度は環状線で中町(西町北)まで行き、そこから少し離れた西町へと歩いて南富山駅前を終点とする電車を待った。

 

それまで乗車したのは、いずれも現代的な洗練された車両だったが、ここで漸く、乗りたいと思っていた昔風の電車がやって来て、留飲を下げた。

 

例によってターミナルで折り返し乗車し、先程徒歩で移動してしまった中町―西町間も走破、電気ビル前がこの日の宿の最寄り駅だったのでそこで下車したが、宿にチェックインした後、最後に残った電気ビル前から富山駅までの区間も乗車し、目当てとした富山地方鉄道市内電車の路線完乗を果たした。

 

20261013-(6)富山地方鉄道

 


これに使用した富山市内まちなかおでかけチケットには、特定の商業施設や飲食店などで使える500円分クーポンが付いていたので、これを富山駅に隣接するショッピングモールMAROOTでの夕食購入の一部に当てた。