西暦1783年1月(天明2年12月)、伊勢白子(現在の三重県鈴鹿市)の船頭、大黒屋光太夫は、紀州藩の囲米を江戸へ運ぶべく十六名の乗組員とともに神昌丸で白子の浦から出航したが、駿河沖で暴風に遭い航路を外れ、舵を折られたため操船できないまま約八ヵ月間の漂…
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