パラリンピックが幕を閉じた。
今大会、日本人選手の活躍だけに限っても、実にバラエティに富んだ情景が展開されたと思う。
新たに現れた若い選手による鮮烈なパフォーマンス――
他大会ではまず見られない御大の雄姿――
従来の壁を突破しての新世界への進出――
長年追い求め続けた末の頂点への到達――
一度王座を退いてからの返り咲き――
競技を心から愉しんでいる笑顔――
そして、掲げて来た目標を手にできなかった無念……
もちろん、全世界のすべての選手にまで目を向ければ、どの大会でもこれらは遍く生起しているのだろうが、なかなかそこまで視野を広げることは難しい。
それを考えると、今大会は、私を含む多くの日本人とって、単に自国開催との理由からだけではなく、非常に大きいものだったと言えるのではなかろうか。
ただ、遺憾な点が一つある。
といっても競技に直接関係したことではなく、例によって例の如くマスコミによって随所に撒き散らされた、「感動を水増ししてやろう」という要らぬお節介・余計なお世話がそれだ。
実施中の競技が数多あるのをそっちのけで延々と続けられるおしゃべり、時を選ばず行われる薄っぺらい声でのヘッタクソなインタビュー、選手が感極まって流す涙に対する「待ってました!」とばかりのズーム……
こんな余計な添加物に煩わされることなく観戦したいと思うのは、決して私だけではないはずだ。
弁天様の御姿にも、蠅がたかれば、お鬱陶しい――(泉鏡花「草迷宮」より)
ここは別荘地で、定住者はさほど多くない。
それゆえ、普段は人の姿もほとんどないのだけれど、夏場は流石に、前に車の止まっている建物が散見される。
特に去年今年は、人の少ない所に身を置きたいとの思いからであろう、その数が多かったが、この夏二度目の長雨の漸く上がった今日の午後、久しぶりに外を歩いたところ、ほとんどが既に街へ去ったらしく、辺りは例年の9月らしい、陽の光や木々に秋の色の交じり始めた静かな風景に戻っていた。
これを目にすると、いつものことながら、山の上に恰も取り残されたような一抹の寂しさを覚える。
が、同時に、そこはかとない幸福感も、また胸に湧く。