蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

SONY MU-A301の機能確認とクリーニング

以下の記事にも書いた通り、今般中古で入手したSONYの業務用パワーアンプMU-A301は、「確認は通電のみ、機能については未確認」というものだけに、本来なら最も重要な出音機能のチェックから行うべきところだが、何分にも汚れ・傷など外観的問題が目立って気になることから、はじめにざッとクリーニングを実施することにした。

 

lifeintateshina.hatenablog.com

 


まず、一番痛々しい、歪んだサイドパネル(側板)の取り外し。

 

と言っても、同モデルの場合、これはヒートシンクを覆うように取り付けられているものなので、これを除けても内部が剥き出しになるわけでない。

 

このサイドパネルが見るも無残に歪んでいるのが、格安で売りに出された主因であることは間違いないと思うけれど、個人的には、PASSやMark Levinsonの往年のパワーアンプに見られる、雲丹を想起させるヒートシンクに仄かな憧れを抱いていたことから、寧ろこのサイドパネルは無くもがな、といったところなのだ。

 


続いて、天板やフロントパネルを水拭きしたものの、もちろん天板の傷は消えず、もしかしたら目立たなくなるかもしれない――との微かな期待も儚く散り、フロントパネルの油染みのような汚れも、アルコール・中性洗剤いずれの力を借りても落とすには至らなかった。

 

ただ、触れても手に汚れが付かなくなっただけでも、気分的には大きな収穫と言えよう。

 

 

最後はいつものように、綿棒に接点復活剤を含ませて端子を磨き、余分な剤を残さないよう今一度乾拭きしてクリーニングを終えた。

 


次いで、いよいよ機能確認である。

 

音源はiPod touchのイヤフォン端子から採ることとし、さらにテスト出力用のスピーカーを接続。

 

なお、このMU-A301も、業務用らしく入力端子は標準的なピン(RCS)ジャックではなく、いずれもモノラルのフォーン(標準)およびキャノン(XLR)のジャックがそれぞれ二系統ずつとなっており、当方では前者を利用すべく、あらかじめステレオミニプラグ-モノラル標準プラグ×2の端子を具えたケーブルを用意しておいた。

 


なお、同パワーアンプの購入に際しては、パイロットランプが緑に点灯している画像を見ていたので、てっきり手元にある同じSONYのTA-F555ESX同様、電源を入れるとまず赤く点り、プロテクトが解除されて緑に変わった状態になるに違いないと考えていたのだが、MU-A301の場合はいきなり緑が点く仕様であることが実際に電源を入れてみて判明。

 

しかし、少し間をおいてリレーの繋がるカチリという音は聞こえたので、第一関門は通過である。

 

余談だが、その後、同じMU-A301でも、初期ロットの製品はパイロットランプが赤色であることを知った。

 

 

 

 


このようにiPodとスピーカーを接続して電源を入れ、音楽を再生、そして大出力アンプゆえ、慎重にアッテネーターを回していったのだが、スピーカーはだんまりのままうんともすんとも言わない……

 

iPod側の音量を確認しても適度に上げてあるし、新品のケーブルが不良品とも考えにくい。

 

到頭外れ籤を引いてしまったか――と半分自棄になり、グリグリとアッテネーターを回しているうち、右のスピーカーからガサゴソとノイズが出始め、さらに回し続けると微かに音楽も聞こえ出した。

 

しかし、左の無音状態には何の変化も生じない。

 


こうなると蓋を開けての整備が必須なわけで、早速プラスドライバーで天板の留めねじを外すことに。

 

そうして内部を見たところ、やはり結構な埃が堆積しており、この状態で弄るのはまた気分的に、さらに物理的にもよろしくないだろうと思ったので、整備の前に埃を除くことにした。

 

ツールとしては何が適当かとしばし思案し、思い浮かんだのは、絵筆である。

 

以前ダイソーで購入し手元にあったもので埃を払った結果、先ほどまでのくすんだ姿は消え、まずまず綺麗になった。

 

20220628-SONY MU-A301(2)

 


さて、その機能復旧作業だが、予想通りこれには結構手古摺り、書くべきことが多いので、別稿に譲ることにする。

 

 

 

 

集英社 中国の詩人―その詩と生涯 第3巻 謝霊運(しゃれいうん)―山水詩人

「中国の詩人――その詩と生涯」(集英社)の第三巻は、東晋から南朝の宋にかけて生きた謝霊運(しゃ・れいうん)を取り上げている。

 

20220627-中国の詩人3 謝霊運

 

二十歳ほど先輩に陶淵明がおり、生きた時代は大きく重なっている。

 

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個人的なことを言えば、この詩人の名は、南朝梁の昭明太子によって編纂された「文選(もんぜん)」に数多く収録されていることをあって知ってはいたが、正直なところ、その作品で特に強い印象を覚えたものは記憶にない。

 

その生涯に関してもまったく無知だったので、今般、期待をもって本書を繙いたのだが……

 


目次に掲げられた「謝霊運文学へのあぷろうち」という項目を目にした瞬間、これは徒に望みを持たない方が良いかもしれないと思った。

 

ここで眉を顰めたのは、もちろん取り上げられたテーマではなく、著者の姿勢に対してであり、またこれだけをもって記述内容に疑念を抱いたりはしなかったのだけれど、本文を読む進めていくにつれ、遺憾ながら第一印象の正しさを確認することとなってしまった。

 

その原因理由はいくつかあるのだが、同書の著者に何ら恨みを持っているわけでもないのでいちいちあげつらうことは控えたい。

 

ただ、一つだけ、次のような表現が散見される点だけは挙げておきたいと思う。

 

……彼の豊かな情はあらゆるものに心に感動を与え、詩情を萌えさせた……

 

このような表現をそのまま通してしまうとは、編集者や校正者は一体何をなさっているのだろうか。

 


一方、同書の主人公たる謝霊運の方はというと、「山水詩の始祖」と呼ばれることからして、個人的に共鳴できる御仁に違いない――と考えていたのに、実際の御姿は「名門貴族に生まれた傲慢不遜な人物で、その家名と文名、そしてもちろん金に物を言わせて好き放題なことを重ね、挙句の果ては刑死してその屍を市中に晒された」というのである。

 

副題として「その詩と生涯」を掲げる「中国の詩人」シリーズとしては、取り上げるべき詩人を誤ったと思わざるを得ない。

 

実際、詩に照らしてその人生に対する姿勢を紹介する条では、オブラートに包んだような同じような記述に幾度となく遭遇して少なからず食傷させられたが、ご本尊が上のような人物となると、あまり赤裸々かつ詳細に描写することは詩の有難味を減じることに繋がるわけで、著者としても致し方なかったのだろう。

 


そして、浅学を棚に上げて白状すれば、個人的に、仮にこの詩人の生涯を問わないにしても、その詩を改めて読んで良さを感じることはなかった。

 

冒頭に述べたことは、この自然な帰結だったのだ。

 


第四巻に期待することにしよう。