蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

令和6(2024)年・春[3]―遠野観光(伝承園・カッパ淵・綾織の桜並木・遠野八幡宮)

三日目は、遠野観光に当てるべく設けた、今回の旅で唯一移動のない日だ。

 

前夜は入浴してよく眠り、宿での朝食もしっかり摂ったことで心身とも状態は良好である。

 


遠野は訪れたい多くの名所旧跡が広範囲に散在しているので、レンタサイクルを利用して回ろうと目論んでいたのだが、いざ出掛けようと宿の玄関の引き戸を開けると、それまでどんよりと曇っていた空からぱらぱらと降り出してしまった。

 

天気予報でこうなることはある程度覚悟しており、すぐに足をバスへと変更、その時刻にある程度合わせて出たので、大きな待ちを強いられることはなかった。

 


そのバスで向かったのは伝承園。

 

もう一つ、伝承園より規模の大きそうなふるさと村という施設もあり、こちらは色々と体験できるようだが、駅からはずっと遠い。

 

従って、通常ならバス料金もふるさと村の方がずっと嵩むわけだが、火・水・金曜日はどこまで乗っても200円となっていた。

 

当日はその火曜日、そして急ぎでもなかったので、出費や時間を考慮したわけではなく、この地の伝統的生活(現代では「かつての」と限定すべきだろう)を遠野物語との関連で観るには、国の重要文化財に指定されている旧菊池家住宅、遠野物語の素材を柳田國男に提供した佐々木喜善の記念館、オシラ堂などからなる伝承園の方が良さそうだと考えてのことである。

 

いずれの屋舎も規模の大きなものではなく、全体としてもこじんまり纏まっているので、流すように見るとあっという間に一回りしてしまう。

 

それでは勿体ない――とほとんどの展示物やその説明に目を留め、タブレット端末の操作により再生される語り部の民話を聴き、さらに半分飼っているという猫二匹とも戯れて一周したところ、適度な時間が経過していた。

 

因みにこの猫は元々野良だったこともあってか、まだ人に対する警戒心が残っており、撫でようと手を出すと引っ掻く素振りを見せるので、少し距離を置いて眺めるだけにした方が双方にとってよいだろう。

 

 

 

 


個人的に印象に残ったものを挙げると、まず最も古い時代に属する南部曲り家であるという旧菊池家住宅の造作の重厚さ、そして屋内の暗さである。

 

我が家の照明は現代の標準からすれば暗いと思うが、燻されてだろうか、曲り家の一面黒い壁や天井に囲まれた空間には独特の深さが感じられ、冬、雪に閉ざされる日が何日も続いたら人の心に様々な魑魅魍魎が生じるに違いなく、これを退治超克せんとの意識的なまたは無意識裡の所産として、数々の奇怪不可思議な伝承や物語が生み出され、語られた面も多分にあるのではないかと思われた。

 

20240516-(1)南部曲がり家

 


もう一つはオシラ堂、すなわち、馬に恋をした娘が、殺されて首を刎ねられたその馬の首とともに天へ昇って神となった――オシラサマを祀った堂だ。

 

長さ一尺ほどの木の棒の先に人の男女や馬の顔を描いたり彫ったりして衣を着せたオシラサマのご神体に、願いを書いた布をさらに着せ奉るとそれが叶うということで、伝承園のオシラ堂に鎮座ましますオシラサマも願い事の書かれた衣を数多纏っていた。

 

20240516-(2)オシラ堂

 

この中には、どうか叶いますようにと他人事ながら祈らずにいられないものもあるだろう、しかし一方――

 

と思いながら、特に見るともなく目に付いたのは

 

オーストラリア旅行でパッションと結婚相手が見つかりますように――

 

なるものだった……

 

折角なので自分も何か――と思ったが、どうも上と大同小異・五十歩百歩になってしまうような気がして恐れ多く、差し控えた。

 

旧菊池家住宅と渡り廊下で繋がっているこのオシラ堂はそれなりに明るく照明されているけれども、何となく妖しい空気に満ちている。

 

佐渡には、牛に恋した末に血を吐いて命を落とした娘の民話が伝わっている。

 


時刻はちょうど昼時、併設された食堂「おしら亭」で遠野の郷土食の一つであるひっつみを含むおしら亭定食を食した。

 

前日の山寺での芋煮セットと比べると、このおしら亭定食の方が価格は安く内容も充実している印象である。

 

園内で出会った見学者の数の割にはそれなりに混んでいたのは、外から直接入店できるためだろう。

 

会計の際、ショーケースに並んでいたテイクアウト品の中から味噌おにぎりとがんづきを購入(ともに150円)。

 

後で食すと、どちらも懐かしい味で、一種の蒸しパンであるがんづきの方は量的にも満足できた。

 

 

 

 


伝承園内を巡っている間に幸い雨は止み、切れた雲間から青空が覗いて陽射しもこぼれてきたので、これも目当ての一つだった近くのカッパ淵へ足を向け、傘を差すことなく歩を運んだ。

 

常堅寺の見事な山門を潜って参拝し、本堂を左へ回って裏へ抜けるとそこがカッパ淵である。

 

河童の潜むという「淵」ゆえ、それなりの幅と深さがあるものと想像していたのだが、目の前に現れたのは浅い底の見えるほんの小流れで、そこに渡された変に新しい橋や小奇麗に整えられたような小路と相俟って、妖しく幽玄な水景を期待していた身には正直拍子抜けと落胆を禁じ得なかった。

 

何の予備知識もなく現在のここを訪れて河童を想起するのは、ごく少数のその手の感覚の鋭敏な者だけだろう。

 

20240516-(3)カッパ淵

 


駅へ帰るバスの中で、まだ日暮れまでに時間はある、観光案内書で自転車を借りて一走りしてみよう――と考えたが、いざ戻ってみると空は一面墨色へ変わっており、時折またぱらりと雨粒も落ちて来る。

 

しかし、これから行こうとする方向は風上で、そちらの雲はどんどん流され薄くなっている様子だったことから、まあ大丈夫だろうとレンタルの手続きを取って漕ぎ出した。

 

目指したのは綾織の桜並木を辿るサイクリングロード。

 

そこへ入るまでの道順がなかなか分かり難く、引き返すようなことはなかったものの何度か立ち止まっての確認を強いられた末にどうにか自転車専用道へ入ることができた。


この旅はもともと、桜を目当てにしたものではなかったのだが、ここ遠野はほぼ満開、他の経路や訪問地もほとんどで見頃であった。

 

一方、雲の多い日が多く、青空とのコントラストを味わえなかったのは少々残念ではある。

 

しかしあまり贅沢を言うべきではなかろう。

 

仙山線綾織駅の手前で猿ヶ石川を対岸へ渡って折り返し、途中、遠野物語拾遺に「矢立松と丈くらべをし、『石の分際で樹木と争うとはけしからん』と天狗に下駄で蹴られて上部の欠けてしまった」岩として紹介されている羽黒岩を見るのも一興と思ったが、そこまでは少々距離がある――のは措くとして、熊除けの鈴は必携ということで自重した。

 


遠野駅へ戻ってもまだ自転車の返却時刻には間があった。

 

そこで、伝承園までバスを利用したため寄ることのできなかった遠野八幡宮へ改めて行くことにした。

 

その途中にも白幡神社の小さな社が、男好きの女地蔵とも言われる「さすらい地蔵」をかたえにひっそりと鎮座ましましている。

 


既に夕暮れが迫っていたこともあってか、八幡宮に人の姿はなし。

 

逢魔が時、暗い雲の流れる空の下、幽邃な雰囲気に包まれながら、節操がないのではないかとの慙愧を覚えながらここも参拝させて頂いて聖域から出たが、鳥居の前に設えられた猫神社も印象深かった。

 

そこに供えられた、小さなものからそれなりに大きなものまで数多の猫の像を眺めていると、安らぎと哀しみの混じった不思議な気持ちが胸に湧いて来て自然と掌を合わせた。

 

20240516-(4)猫神社

 


夜、鍋倉公園に咲いた桜のライトアップが行われているとのことだったので、散歩がてら宿を出たが、方向感覚が狂って暫し迷い、その麓まで辿り着いて急な上り坂を見たら昼間の疲労が急に感じられて意気阻喪、遺憾ながら踝を返してしまった。

 

いつか再訪して初志を遂げたい場所がまた一つ。

 

遠野でお世話になった旅館「平澤屋」さんについて一言しておくと、創業は大正時代ということだが現在の建物はそれほど古いものではなく、長年に亙る営業で培われた、過度でない必要十分な応対、宿泊料と合わせ鑑みるに、簡素な快適さを求める旅行者には十分満足できる宿である。