蓼科高原日記

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集英社 中国の詩人―その詩と生涯 第2巻 陶淵明(とうえんめい)―隠逸詩人

集英社が1982年から翌年にかけて出版した「中国の詩人――その詩と生涯」は、副題が示す通り、詩そのものに焦点を当てるより、詩文を大きな拠り所としてその作者の生涯・人物像を明らかにすることに主眼を置いた選集と言えよう。

 

全12巻には、李白杜甫をはじめとする唐の詩人を中心に据えてはいるものの、紀元前戦国時代に生きた楚の屈原から、唐に続く宋代の蘇東坡・陸游まで、広い時代から、特色ある人生を送った優れた文筆家を取り上げている。

 


そんな「中国の詩人」第2巻の主人公は陶淵明(とうえんめい、365年-427年)。

 

20211122-中国の詩人2 陶淵明

 

陶淵明に冠される「隠逸詩人」「田園詩人」といった修飾語は、何度か官職に就きはしたものの、職務――いや、むしろ人間関係に耐えられずにいずれもごく短期間で辞し、不惑の年を迎えた以後は郷里である廬山麓の田園に隠遁し、農耕に取り組みながら酒と自然に喜びを見出す質素な生活を送り、それに題を採った詩文を数多残したためであることは、あらためてご紹介するまでもないだろう。

 

そんな陶淵明の生き方は、自らの資質を「性剛才拙=性は剛にして才は拙(、物と逆らうこと多し)」と評価したことからも窺うことができるが、「帰去来の辞」「園田の居に還る」といった代表作は固より、「擬古」「飲酒」「山海経を読む」といった詩文を合わせ読むことにより、一層鮮明なイメージが得られ、さらに「子を責む」「挽歌詩」などにより、心根・心情の面での理解もぐッと深まるに違いない。

 


こうした意図に基づいてのことだろう、収録された詩文は、白文(原文)とその読み下し文、そして訳文から構成されているが、訳は主に陶淵明の生涯や思想と関連すると考えられる箇所を中心に付されている。

 

そのため、部分的に白文またはその読み下し文を自力で解釈する必要が生じるものの、要がしっかりと示されていることから、個人的にはさほどの困難は感じなかった。

 

これは一つに、憚りながら私自身、陶淵明の考え方や生き方に多々共鳴を感じることも、少なからず与っているように思う。

 

無論、性はそれほど剛でなく、片や才ははるかに拙であるけれども……

 


自ら「潜」とも名乗り、また清廉な生涯と事績に基づき、友人の顔延之により「靖節先生」と諡(おくりな)された陶淵明

 

残した詩文は決して多くはないものの、その質素にして煌びやか、真っすぐでありながら豊潤な生命は永遠に生き続けるはず――と本書を読んであらためて感じ入った。