蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

令和6(2024)年・春[2]―山寺(立石寺)参拝・遠野へ

旅二日目の眼目は、松尾芭蕉が「おくの細道」の旅において、「山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し……」と土地の人から薦められ予定の道程を変更して訪れた宝珠山立石寺――通称山寺――の参拝である。

 

元々の計画では、山寺のあと平泉の中尊寺も参拝するつもりだったが、前日の度重なる列車トラブルによる疲労感が強く、二兎を追うとかなり慌ただしい旅程となってしまうことから、今般は山寺をゆっくりと参り、遺憾ながら中尊寺はまた別の機会に――とさせて頂くことにした。

 


かみのやま温泉駅から乗車する奥羽本線の列車は7:48発、奮起して早起きすればその前に宿の周辺を歩くことはできたのだけれど、その元気はなし。

 

せめて――というつもりで、宿から駅までの道を辿りながら、辺りにはできるだけ目を配った。

 

新湯、湯町、葉山など上山市内に6つの温泉が湧いているとのことだが、少なくとも駅周辺には観光温泉地のような派手さや賑わいはなく、個人的にはこちらも機会を設けて再訪したい温泉地である。

 


かみのやま温泉駅で通勤通学客で混雑する列車に乗り、それに揺られて山形駅へ、そこで仙山線に乗り換えて山寺駅には8時半過ぎに到着。

 

荷物はバックパックに詰めてあり、手に持つわけではないものの、10kg近くあるそれを背に1000段以上の石段を上るのはやはり避けたい。

 

もちろん山寺駅には(も)コインロッカーはあるので、はじめはこれを利用するつもりだったが、登山口へ至る道に軒を連ねる飲食店や土産物屋で預かって貰えるとの情報を目にしたことから、これを頼んで帰りに何か口に入れるのもよかろうと思い直し、最初に目に入った営業中の店「えんどう本店」に荷を下ろさせて貰った。

 

麓の茶店に荷預け置きて、山上の堂にのぼる――ことにしたのである。

 

 

 

 

この後に乗車する列車までは十分に余裕があり、往復には概ね2時間という目安からすればかなりゆっくり上っても問題はないだろうと思いながら足を踏み出し、向かって一番右にある、登山口という石段を上り、根本中堂・日枝神社で頭を下げてから山門へ至り、そこを潜って入山料を払い、きつい上り坂にかかった。

 

20240513-山寺(1)根本中堂

 

山の上に暮らしているため自宅の周りは基本的に坂道、そこをいつも歩いてはいるものの、これほどの登りの連続は長らく経験したことがないため、さすがに息が切れる。

 

特に、折に触れて上を見上げながらの歩行ゆえ、腰に負担が掛かる。

 

しかしながら、目に入る風物景色は辛苦を補って余りあるものだった。

 

これを表現するには、禿筆を呵すより芭蕉翁の次の達文を借用すべきだろう。

 

岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸(崖)をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ……

 

20240513-山寺(2)登山道

 

この深い趣は、只管に峻厳な修業の場実現を志して嶮岨な岩山を削り穿って築き上げられたことから自ずと現出したもので、これを世人に感ぜしめようとの邪念があったら見る者の琴線に触れること決してないに違いない。

 


按配がわからず登り急ぎ過ぎたようで、1時間弱で絶頂たる奥の院(如法堂)へ到達。

 

20240513-山寺(3)奥の院

 

ここで叩頭した後、まだ時間は十分にあるので、すぐに下り道はとらずにゆったりと歩を運ぶことにし、三重小塔・華蔵院・納経堂・五大堂などを巡るとともに、これはと思うポイントでは躊躇せずに立ち止まって写真を撮りながら石段を下り、下山口から聖域を辞した。

 

 

 

 


まだ昼食には早かったものの、少しは名物――というか、土地の伝統的食物――を口にしたい気持ちがあったので、荷物を預けたえんどう本店内のお休み処べにばなで「芋煮セット(1,200円)」を食した。

 

雪国の料理らしく、醤油の色を深く湛えた汁は見た目通りのしっかりした味。

 

十分に美味と言える質ではあるが、量と合わせて価格と対峙させると、正直些か物足りなさを感じないでもないが、コインロッカー代の浮きを鑑みれば不満はない。

 

山寺で行き会った人の言葉などからすると、その半数は外国からの訪問者と思われ、このインバウンド需要を当て込んで値が高騰しているのかもしれない。

 


この日の目的地遠野へ向かうべく山寺駅へ戻り、仙山線仙台行列車に乗って終点まで。

 

急斜面に敷かれた鉄路を細い早瀬を何度も渡りながら辿るこの区間は、車窓に飽きることがなかった。

 

同時に、線路の建設および維持保守の苦労へも自ずと思いが馳せた。

 

 

仙台からは東北本線を辿り、途中何度か乗り継いで花巻へ到着。

 

途中には日本三景の一つ松島があるわけだが、そこを訪れるにしても忙しいものとなり、遠野への到着も遅くなることから断念した。

 

少し待つと間もなく釜石線釜石行き単行(即ち一両のみの)列車が入線して来たので、乗車して進行方向左側のボックス席に腰を落ち着けた。

 

昼食が早く小腹が空いたので、持参してきたクッキーやチョコレートを少し口に入れたところ急に眠気を催し、うつらうつらしている時に近くの空気が動いた気がして目を開けると、斜向かいに高校生らしい女の子が座っていた。

 

その綺麗な顔立ちを見てはッと思った。

 

山寺から仙台へ向かう列車内で、同じく斜向かいとなった女の子の顔形と明らかな相違を感じたのである。

 

二人のかんばせが異なるのは当然で、何ら不思議なことではない。

 

しかし、この二人の顔立ちがあたかも奥羽山脈およびその延長を挟んだあちらとこちらを代表している如く感じられ、それぞれ画然とした特徴を具えている印象を鮮烈に受けたのだ。

 

旅の後半、また日本海側へ取って返す予定なので、一声かけて写真を撮らせてもらい、追ってあちらでも目に留まるであろう誰かのかんばせを画像に残して比較できれば――と考えたが、今どきの高校生の例に漏れず、その子は着座するとすぐスマートフォンを取り出し、以後同じ遠野で下車するまでそれに見入り続けだったため、きっかけは見出せなかった。

 

もっとも、そんなことをしては不審者と見做される恐れ無きにしも非ず、どころか多分にあるだろうから、見送ってよかったのかもしれない。

 

その後、反対側の車窓を眺める際には自然と目に入る――正直言うと意識して目に入れた――その子の顔は、本当に自然に整って美しかった。

 

 

 

 


仙山線とはまた違った風景ももちろん愉しみ、遠野駅に着いたのは夕方。

 

前日の道程と午前中の山寺参拝による疲労感が強く、夜外を出歩く気分ではないので、夕食を調達して宿へ向かうことにした。

 

駅前の観光案内所「旅の蔵遠野」で観光マップとバスの路線図・時刻表を貰って翌日のアドバイスを受けた後、駅近くの複合ビル内のスーパーマーケットへ入ろうとすると、エントランス前に黒く長い毛を纏ったものが蹲っている。

 

熊か――と一瞬身構えたが、よく見れば何のことはない、香箱を作っている猫で、暫しこれを撫でてから入店して買い物を済ませ、歩いて5分ほどのところにあるこの日の宿「平澤屋」さんへ入った。

 

宿では昨夜の恨みを晴らすべくすぐに風呂をもらい、少々侘しい夕食を摂って早々に就寝。

 

上の猫は近くの民宿に飼われている何匹かの内の一匹らしいことを知った。