蓼科高原日記

旅行・音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そして自然、ささやかな山暮らしの日常

塔のへつり・大内宿、そして青梅

四日目が明けると、空からはまた雨が落ちていた。

 

この日の観光は二ヵ所、塔のへつりと大内宿である。

 


朝七時半に宿をチェックアウトし、前日に続いて荷物を預かってもらい会津若松駅へ。

 

目的地はどちらも会津鉄道でのアクセスとなり、大人の休日倶楽部パスは使えない。

 

そこで列車とバスの乗車券がセットになった「大内宿共通割引きっぷ」をこれに当てるつもりだったが、それを扱っている窓口がまだ開いていないので列車内で購入することにし、ともあれ会津鉄道に直通する列車に乗車、定刻の八時前に発車した。

 


まずは湯野上温泉より一つ先の塔のへつり駅まで行き、そこで下車。

 

駅から塔のへつりまでは500mほど、雨の中を歩き出すと熊に注意との立札があり、辺りに誰もおらず薄暗いという状況から少々不安を感じながら歩を運んだ。

 


幸い熊に遭遇することなく無事着くと、何分まだ早朝ゆえ、一二軒の店で開店準備に動いている以外に人影はなかった。

 

些か寂しいものの、景色を愛でるには却って好都合、吊り橋へ降りる前、その袂、渡る途中、そして向こうの崖の各所などさまざまな視点から、奇岩怪石からなるなかなかない景観を堪能することができた。

 

20261002-(1)塔のへつり1

20261002-(2)塔のへつり2

 

以前は崖を穿った通路を少し辿ることができたはずだが、現在は橋を渡った先のごく狭い部分しか立ち入れなくなっている。

 

さらに遠い昔には、その通路が街道として延々と続いていたともいう。

 

そこに実際に足を置いて往時に思いを馳せること叶わなかったのは残念とはいえ、通行止めになることもある吊り橋を渡れただけでも良しとすべきだろう。

 


かなりゆっくりと観てもう十分と思ったが、時計に目を遣るとまだ九時半前、三十分強しか経っていなかった。

 

しかし欲張ってもしょうがないので駅へ戻った。

 


駅舎というか小さな待合室でぼんやり、時にうつらうつらしながら過ごし、漸く到着した湯野上温泉へ行く列車に乗車した。

 

同駅から大内宿へ運んでくれる猿游号(さるゆうごう)というバスは、列車にある程度(すべてではないようだ)合わせて運行されており、間もなく駅までの便が到着してそれに乗り込んだ。

 

車掌というかガイドというか、女性が一人添乗していたのはいいが、二十人乗りほどの小さなバスにも関わらずマイクを使うため少々煩かく感じるとともに、耳にした一つの注意事項に戸惑わされた。

 

曰く、「このバスは予約客優先で、乗り切れない場合は次の便を……」というのである。

 

わずか十分ほどの乗車ゆえ、まさか予約ができるなどとは思わなかった。

 

その後の乗車列車(中には本数の少ないものも含む)の予定が決まっている者にとっては、万一乗れないと大事を来たすことから、大内宿に到着した際、当方の乗るつもりの戻りの便の予約状況を聞いたところ、これがもっとも混むという。

 

しかもその予約は前日までにする必要があり、当日はできないというので、大事をとって一つ早い便に切り替えることにした。

 

大内宿での滞在時間は削られるが、致し方あるまい。

 


それでも一時間と少しはある。

 

江戸時代の面影を偲ばせる茅葺き屋根の家並は南北500mほどの道の両側に並んでいるので、急かずとも観ることができるだろうとゆっくり歩き始めた。

 

家々は確かに年月に醸された風情を具えている。

 

が、昔の宿場は今では完全な観光地と化して多くの観光客を集めており、大半の家が土産物か食べ物を商う店に変わってしまっているため、興覚めの感を否めない。

 

もっとも、往時も旅人で賑わっていた場所柄だったわけで、敢えて不満や不平を表すべきことではないかもしれない。

 

そんなことを考えながらも、足の止まったのはやはりひっそりと営む二軒の前、宿場の入り口にある「こねこのおやど・松美屋」と、縁側に手製の漬物などを並べてぼんやりしている老婆のいる家だった。

 

松美屋さんでは猫の後ろ姿の手書きされた木のバッジを、後者ではまたたびの原木(というか小枝)を購入。

 

20261002-(3)松美屋

 

北の外れにある見晴らし台にも上り、そのすぐ下の正法寺にも参って一通りこの宿場を観ることができた。

 

ここの名物としては、長ねぎ一本を箸兼薬味として食べるねぎそばと、くるみの味を活かしたくるみそばが有名だが、バスの時間を考えると口にするのは難しそうだったので、食べると10年長生きするということからじゅうねん味噌と呼ばれる、荏胡麻を原料とする味噌を塗った焼き団子を一本、注いでくれたほうじ茶とともに店の横の縁側で食すに留めたが、これもなかなか美味かった。

 

20261002-(4)大内宿

 


バスへの乗りそびれを懸念して早めにバス停で待ったが、結局数人の客を乗せただけでバスは発車した。

 

一つ前の便で湯野上温泉駅へ戻ったため、乗車する列車の到着まで一時間半弱の待ちが生じてしまった。

 

美味かったものの、先の焼き団子一本だけでは昼食には足りない。

 

しかし駅の周りには適当な食堂などはないようなので、駅の売店で焼きおにぎりセットを注文した。

 

焼きおにぎり2個に味噌汁と漬物というシンプルな内容ながら、これも申し分ないもので、さらに長時間の待ちを見兼ねてか、桃をデザートに出してくれ、腹も落ち着いた。

 

そんなこともあり、古民家を再現したその駅舎で過ごした時間は、決して長くは感じなかった。

 

20261002-(5)湯野上温泉駅

 


会津若松に戻って、宿に預けた荷物を受け取り、帰路に着いた。

 

その日の内に自宅へ帰り着けないわけではなかったが、敢えて和光市での一泊を入れた。

 

このようなおまけをつけたのは、酒田で明治、七日町では大正、そして大内宿では江戸、と各時代の建物を観たので、個人的には実際に生きて最も懐旧の情の深い、昭和の風情を残した町も合わせて訪れたかったからである。

 

その町とは青梅。

 

同時に、青梅線と奥多摩線を列車で辿ることにした。

 


さて、実際に青梅を歩いてみると、今ではもう、町全体が昭和の雰囲気を感じさせるとは言い難くなってしまっている。

 

しかし、「ああ、確かに昔はこんな店があったなあ」と思わず足を止めてしまう景観はぽつりぽつりと残っており、これだけでも懐かしい気分を味わうことができる。

 

加えて、昭和30, 40年代の文房具・お菓子の包装・おもちゃ・生活雑貨などを集めた昭和レトロ商品博物館と、昭和30年頃の町並みを再現したジオラマとともに、猫をモチーフとして同じころの世相・風俗を表現した平面および立体作品を展示した昭和幻燈館に入館し、大いに郷愁を掻き立てられた。

 

20261002-(6)昭和レトロ商品博物館1

20261002-(7)昭和レトロ商品博物館2

 

 

一つ、個人的に些か違和感を覚えたのは、有田ひろみ氏による猫が、いわゆる八割れ(顔の色文様が仮面ライダーのように八の字型に分かれている個体)として描かれている点だ。

 

20261002-(8)昭和幻灯館1

20261002-(9)昭和幻灯館2

 

昔は猫と言えば三毛・トラ・白・黒・ブチくらいで、八割れの猫はほとんどいなかったように思われるからだが、そもそも写実や時代考証を重視したものでないことは重々承知しているので、論うつもりは毛頭ない。

 

これは昭和幻燈館の他、町中のバス停などにも掲げられている、タイトルやシーンに猫を絡めたポスター・看板についても同様で、「猫と共に去りぬ」「未知猫との遭遇」さらに「ニャーン」などときては、もう毒気を抜かれざるを得ないだろう。

 


映画と言えば、最後の映画看板師、久保板観氏による手描きの看板がかつては商店街に数多飾られ、家並とともに昭和の雰囲気を醸すに大きく与っていたそうだが、現在は青梅駅や上の昭和レトロ商品博物館にいくつか見られるだけである。

 

20261002-(10)映画看板

 

昭和レトロ商品博物館も昭和幻燈館も、現在は金土日および祝日のみの開館、土曜日だった当日も居合わせた入館者はほんの数人という事実現状と合わせ、残念な気持ちを禁じ得ない。

 

会津若松―さざえ堂・御薬園・鶴ヶ城・七日町

三日目は、二泊した酒田を後にして会津若松へ向かう。

 

酒田の雨は上がっていたが、大域的には天気は相変わらず思わしくないようで、会津若松には降るかもしれないとの予報が出ていた。

 


早朝六時、酒田駅始発新庄行の陸羽西線列車に乗車。

 

これなら車窓から月山を拝めるかもしれない――と、右前方を注視しながら乗車することニ十分ほど、大きく裾野を広げた山――というより広範囲に地面が隆起したような景観が現れた。

 

そのため高さの感じが掴めず、果たしてこれが2000mに喃々とする標高を持つ月山か否か心許なく思いながら、ともかく窓越しに写真を数枚撮った。

 

20260926-(1)月山

 

駅で停車した際に開いたドアから硝子を通さない画を得たいと考えたものの、開いたのは反対側、そして間もなく別の近くの山に隠されてしまい叶わず。

 

それと時を同じくして空は次第に全体が雲に覆われ始め、車窓はこの旅お決まりの水墨画のような色合いに変わった。

 

そこに時折景を添える最上川を目と心に留め、七時過ぎに終点新庄駅に到着した。

 


次いで山形新幹線に乗車すべく、案内に従い前へ前へと進むと、なるほど陸羽西線と同じホームの南側が乗り場だった。

 

約二時間つばさ号に乗車して郡山駅で降り、暫し待って磐越西線の同駅始発会津若松行き列車の乗客となり、十一時半少し前に当日の宿泊地である会津若松に着いた。

 

この両道程により、今まで未乗車区間を残していた山形新幹線と磐越西線の完乗を果たしたが、朝が早く少々寝不足だったこともあって、正直車窓風景があまり眼底に残らなかったのは残念だ。

 


奮起して昼前に会津若松に着くようにしたのは、同地の観光に当てられるのがこの日だけだったからである。

 

幸い曇り空ながら雨は降っていない。

 

宿にチェックインはできないものの、荷物は預かってくれるというのでフロントにそれを頼み、併設された中華料理店で昼食を摂った後、まちなか周遊バスの一日乗車券を購入して乗り場へ。

 

間もなくやって来た、時計回りルートを辿るあかべえ号は、ちょうど座席が埋まるくらいの乗客を乗せて出発した。

 

 

 

 


半日で巡れる観光スポットはこれくらいだろう――と、取り敢えず四ヵ所を選定、先ずは会津さざえ堂へと飯森山下停留所でバスを降りた。

 

それが建つ飯盛山の麓までは歩いてすぐ、そこには動く坂道・スロープコンベアなるものが設置されており、「歩いて登るのは本当に大変です!」とさかんに放送の声が大音量で観光客に呼びかけていたが、見上げてみると終点はすぐ先、本当だろうかと思いながら石段に足を踏み出すと、案の定大した苦労もなくさざえ堂に着いてしまった。

 

もっともこれは、前日に羽黒山の2466段の石段を登った経験があったからかもしれない。

 

足腰の状態をはじめとする体調に不安のある向きは、料金も安いのでスロープコンベアを利用するのもいいと思う。

 


さざえ堂(円通三匝堂)は、規模こそ小さいものの、なるほど面白い造りの興味深い御堂だ。

 

ここは外から眺めただけではその特質がわからないので、400円の入館料を払って内部に入りたい。

 

20260926-(2)さざえ堂

 


続いて、現在会津松平氏の庭園として公開されている御薬園を訪れるべく、先程バスを下車した停留所に戻った。

 

時刻を確認するとちょうど間もなくそのバスが来る――と喜んだのはいいが、修学旅行らしい小学生が何人か待っており、あかべえ号が到着するとあちこちから同類が押し寄せ、乗り切れずにバスは出てしまった。

 

もちろんこちらも乗り損じだ。

 

次の便は三十分後、暫く待っているうち、また同じようにそれまでいなかった連中が大挙して仲間の元に現れる恐れのあることに気付き、一つ手前のバス停から乗るべきだろうとそこまで歩いた。

 

これが奏功して無事御薬園に辿り着いた。

 

御薬園は池の水が澱んで些か美しさに欠けるきらいは否定できなかったものの、生き物には却ってよいようで、鴨や鯉が嬉しそうに遊んでいる様子は、適度な広さと相俟って好もしかった。

 

20260926-(3)御薬園

 


三番目の目的地鶴ヶ城へもバスで向かうので、時刻を見計らって停留所へ戻ったが、その到着は定刻より三十分近く遅れた。

 

理由は交通渋滞ではない。

 

上にも記した集団が、乗る際は乗車口近くに溜まってあとの客がなかなか乗れず、降車時には少なくない生徒が料金支払いに両替を要したためである。

 

しかも悪いことに、バスは前乗り前降り、混雑すると、後方の客が降りる際には前方に立っている者が一旦降りねばならぬ状況になるのだ。

 

その主たる原因は生徒たちであることは確かだけれども、彼らは決して悪意を持って意図的にそうしているのではなく、単にそこまで気が回らないだけだろう。

 

理解し難いのは、これらの指図を運転士が一所懸命している一方、引率の教師が一人残らず、指示を与えたり統率したり全くしていなかったことだ。

 

両替での手間取りも、小銭をある程度用意しておくようにと旅行に出る前に注意してけば避けられたはずだ。

 

ふと、近年の教員の数多の不祥事が頭に浮かぶとともに、なるほどねえ――と妙に腑に落ちた思いがした。

 


鶴ヶ城(若松城)は結構な人出だった。

 

大方の目当ては、赤瓦と白壁が美しい対照を見せる天守だろうけれど、個人的には何となくのっぺりした印象を禁じ得ず、大掛かりな張りぼてが連想されて些か戸惑った。

 

20260926-(4)鶴ヶ城

 

寧ろ、その礎たる、時代や部位により異なる三種の積み方で築かれた石垣に思わず目を瞠らされた。

 

20260926-(5)鶴ヶ城の石垣1

20260926-(6)鶴ヶ城の石垣2

 


この日最後に目指すのは七日町(なぬかまち)駅。

 

町名については同じ漢字表記で「なのかまち」と読むことを後で知った。

 

同音異字のゆふいんとは逆というわけだ。

 


そこへ運んでくれるバスも三十分以上遅れての到着である。

 

七日町駅前停留所で下車し、趣のある駅舎を暫し眺めた後、大正時代の建物が多く並ぶという七日町通りを歩きし、左に折れて今度は大町通りを辿り、会津若松駅へ戻った。

 

20260926-(7)七日町駅

 

その謳い文句に偽りはなく、500mほどの七日町通りは散策に恰もよし。

 

写真を撮り過ぎてスマートフォンのバッテリーがなくなってしまった。

 

20260926-(8)七日町1

20260926-(9)七日町2

ともあれ目論んだ観光はすべて果たすことができた。