四日目が明けると、空からはまた雨が落ちていた。
この日の観光は二ヵ所、塔のへつりと大内宿である。
朝七時半に宿をチェックアウトし、前日に続いて荷物を預かってもらい会津若松駅へ。
目的地はどちらも会津鉄道でのアクセスとなり、大人の休日倶楽部パスは使えない。
そこで列車とバスの乗車券がセットになった「大内宿共通割引きっぷ」をこれに当てるつもりだったが、それを扱っている窓口がまだ開いていないので列車内で購入することにし、ともあれ会津鉄道に直通する列車に乗車、定刻の八時前に発車した。
まずは湯野上温泉より一つ先の塔のへつり駅まで行き、そこで下車。
駅から塔のへつりまでは500mほど、雨の中を歩き出すと熊に注意との立札があり、辺りに誰もおらず薄暗いという状況から少々不安を感じながら歩を運んだ。
幸い熊に遭遇することなく無事着くと、何分まだ早朝ゆえ、一二軒の店で開店準備に動いている以外に人影はなかった。
些か寂しいものの、景色を愛でるには却って好都合、吊り橋へ降りる前、その袂、渡る途中、そして向こうの崖の各所などさまざまな視点から、奇岩怪石からなるなかなかない景観を堪能することができた。


以前は崖を穿った通路を少し辿ることができたはずだが、現在は橋を渡った先のごく狭い部分しか立ち入れなくなっている。
さらに遠い昔には、その通路が街道として延々と続いていたともいう。
そこに実際に足を置いて往時に思いを馳せること叶わなかったのは残念とはいえ、通行止めになることもある吊り橋を渡れただけでも良しとすべきだろう。
かなりゆっくりと観てもう十分と思ったが、時計に目を遣るとまだ九時半前、三十分強しか経っていなかった。
しかし欲張ってもしょうがないので駅へ戻った。
駅舎というか小さな待合室でぼんやり、時にうつらうつらしながら過ごし、漸く到着した湯野上温泉へ行く列車に乗車した。
同駅から大内宿へ運んでくれる猿游号(さるゆうごう)というバスは、列車にある程度(すべてではないようだ)合わせて運行されており、間もなく駅までの便が到着してそれに乗り込んだ。
車掌というかガイドというか、女性が一人添乗していたのはいいが、二十人乗りほどの小さなバスにも関わらずマイクを使うため少々煩かく感じるとともに、耳にした一つの注意事項に戸惑わされた。
曰く、「このバスは予約客優先で、乗り切れない場合は次の便を……」というのである。
わずか十分ほどの乗車ゆえ、まさか予約ができるなどとは思わなかった。
その後の乗車列車(中には本数の少ないものも含む)の予定が決まっている者にとっては、万一乗れないと大事を来たすことから、大内宿に到着した際、当方の乗るつもりの戻りの便の予約状況を聞いたところ、これがもっとも混むという。
しかもその予約は前日までにする必要があり、当日はできないというので、大事をとって一つ早い便に切り替えることにした。
大内宿での滞在時間は削られるが、致し方あるまい。
それでも一時間と少しはある。
江戸時代の面影を偲ばせる茅葺き屋根の家並は南北500mほどの道の両側に並んでいるので、急かずとも観ることができるだろうとゆっくり歩き始めた。
家々は確かに年月に醸された風情を具えている。
が、昔の宿場は今では完全な観光地と化して多くの観光客を集めており、大半の家が土産物か食べ物を商う店に変わってしまっているため、興覚めの感を否めない。
もっとも、往時も旅人で賑わっていた場所柄だったわけで、敢えて不満や不平を表すべきことではないかもしれない。
そんなことを考えながらも、足の止まったのはやはりひっそりと営む二軒の前、宿場の入り口にある「こねこのおやど・松美屋」と、縁側に手製の漬物などを並べてぼんやりしている老婆のいる家だった。
松美屋さんでは猫の後ろ姿の手書きされた木のバッジを、後者ではまたたびの原木(というか小枝)を購入。

北の外れにある見晴らし台にも上り、そのすぐ下の正法寺にも参って一通りこの宿場を観ることができた。
ここの名物としては、長ねぎ一本を箸兼薬味として食べるねぎそばと、くるみの味を活かしたくるみそばが有名だが、バスの時間を考えると口にするのは難しそうだったので、食べると10年長生きするということからじゅうねん味噌と呼ばれる、荏胡麻を原料とする味噌を塗った焼き団子を一本、注いでくれたほうじ茶とともに店の横の縁側で食すに留めたが、これもなかなか美味かった。

バスへの乗りそびれを懸念して早めにバス停で待ったが、結局数人の客を乗せただけでバスは発車した。
一つ前の便で湯野上温泉駅へ戻ったため、乗車する列車の到着まで一時間半弱の待ちが生じてしまった。
美味かったものの、先の焼き団子一本だけでは昼食には足りない。
しかし駅の周りには適当な食堂などはないようなので、駅の売店で焼きおにぎりセットを注文した。
焼きおにぎり2個に味噌汁と漬物というシンプルな内容ながら、これも申し分ないもので、さらに長時間の待ちを見兼ねてか、桃をデザートに出してくれ、腹も落ち着いた。
そんなこともあり、古民家を再現したその駅舎で過ごした時間は、決して長くは感じなかった。

会津若松に戻って、宿に預けた荷物を受け取り、帰路に着いた。
その日の内に自宅へ帰り着けないわけではなかったが、敢えて和光市での一泊を入れた。
このようなおまけをつけたのは、酒田で明治、七日町では大正、そして大内宿では江戸、と各時代の建物を観たので、個人的には実際に生きて最も懐旧の情の深い、昭和の風情を残した町も合わせて訪れたかったからである。
その町とは青梅。
同時に、青梅線と奥多摩線を列車で辿ることにした。
さて、実際に青梅を歩いてみると、今ではもう、町全体が昭和の雰囲気を感じさせるとは言い難くなってしまっている。
しかし、「ああ、確かに昔はこんな店があったなあ」と思わず足を止めてしまう景観はぽつりぽつりと残っており、これだけでも懐かしい気分を味わうことができる。
加えて、昭和30, 40年代の文房具・お菓子の包装・おもちゃ・生活雑貨などを集めた昭和レトロ商品博物館と、昭和30年頃の町並みを再現したジオラマとともに、猫をモチーフとして同じころの世相・風俗を表現した平面および立体作品を展示した昭和幻燈館に入館し、大いに郷愁を掻き立てられた。


一つ、個人的に些か違和感を覚えたのは、有田ひろみ氏による猫が、いわゆる八割れ(顔の色文様が仮面ライダーのように八の字型に分かれている個体)として描かれている点だ。


昔は猫と言えば三毛・トラ・白・黒・ブチくらいで、八割れの猫はほとんどいなかったように思われるからだが、そもそも写実や時代考証を重視したものでないことは重々承知しているので、論うつもりは毛頭ない。
これは昭和幻燈館の他、町中のバス停などにも掲げられている、タイトルやシーンに猫を絡めたポスター・看板についても同様で、「猫と共に去りぬ」「未知猫との遭遇」さらに「ニャーン」などときては、もう毒気を抜かれざるを得ないだろう。
映画と言えば、最後の映画看板師、久保板観氏による手描きの看板がかつては商店街に数多飾られ、家並とともに昭和の雰囲気を醸すに大きく与っていたそうだが、現在は青梅駅や上の昭和レトロ商品博物館にいくつか見られるだけである。

昭和レトロ商品博物館も昭和幻燈館も、現在は金土日および祝日のみの開館、土曜日だった当日も居合わせた入館者はほんの数人という事実現状と合わせ、残念な気持ちを禁じ得ない。








