旅の最終日は、どこへも立ち寄ることなく帰路を辿る。
しかし、その一部に只見線の全線乗車を組み入れ、これを大きな眼目とした。
会津若松駅に5時45分頃着いた時には既に同駅始発只見線の単行列車は入線しており、その顔をさっと撮影して乗り込むと乗客の姿もちらほらと見られた。
4人掛けボックスシートの進行方向窓側は一杯だったが、山形や岩手で印象付けられたのとはまた趣を異にする、しかしやはり綺麗な顔立ちの女の子の座る対面2人掛けシートの一つ前のボックスが空いていたので、そこへ腰を下ろした。
ところが、少しして何気なく斜め後ろを見ると上の女の子と通路を挟んだ4人掛けシートがなぜか空き、そこへ移ったところ、発車時刻が近づくにつれ次第に乗客が増え、スペイン語を話す大柄な3人連れに席を求められてこれに応じたため、さすがにこの道中は少々窮屈なものとなった。
会津若松を出て一駅か二駅を過ぎた時、線路脇でこちらの列車を撮影する人の姿が見えたが、カメラを下ろすとおもむろに手を振りだした。
列車を眺めながら手を振る子どもはよく見かけるし、それに対してはこちらも自然と手を振り返せるのだけれど、いい大人が数人でとなるとちょっと奇妙な感じを否めなかった。
しかも、この時ばかりでなく、列車が進行するにつれ何度も同じ光景に出くわしたことでその感を一層強くしたが、あるところでふと目にしたポスターにより得心がいった。
それは、「只見線にみんなで手をふろう」という標語を謳っていたのである。
本当に色々な人、地元の、犬を連れて散歩中の人、日曜日の町内清掃をしている人などをはじめ、オートバイに跨り踏切の開くのを待っている外から来たらしいライダーも、恐らく上のポスターを目にしてだろう、にこやかに手を振る。
そうなるとこちらも自ずと応じられるようになり、同じボックス席の三人も大喜びで、身を乗り出すようにして手を振っていた。
会津川口駅で通路を挟んだ女の子が下り、2人掛けボックスシートが空いたため、こちらの席を埋めていた内の二人がそこへ移動した後、只見駅では台湾からの観光客がどっと乗り込んでほぼ満席となった。
それを率いるツアーコンダクターが隣へ着座し、日本語が堪能だったので、なぜ只見線乗車などを組み入れたのかと尋ねたところ、もう日本旅行を何度か経験している人たち故、少し変わった所を訪れたいとの希望があったから――とのこと。
といっても全線に乗るのは長すぎることから、会津若松から只見まではツアーバスを使い、ここから小出までを只見線で辿ることにしたそうだ。
この日もすっきりと青空の広がる天気ではなかったものの、只見線の車窓を流れゆく景色は、深い緑の水を湛えた川、遅咲きの桜や芽吹き始めた新緑、そして遠くまだ雪を纏っている山など、実に多彩なものだった。
ただ、やはりこの路線は、紅葉の錦秋、あるいは雪に閉ざされ白一色となった冬にこそその妙があると言うべきだろう。
これもまた、いつか別の機会の愉しみとして残った。
終点小出には10時半過ぎに到着。
元々の計画では、小出から上越線で越後川口まで行き、そこから長野までも普通列車を使うつもりだったのだけれど、前夜これを急遽変更し、上越線で六日町まで、続いて北越急行ほくほく線で十日町へと至り、ここで「快速おいこっと」長野行きを待った。
その理由は、これまでの列車の旅で少々尻に痛みが出ており、会津若松駅から茅野駅を目指すこの日の10時間余りの乗車に些か不安を感じたからである。
もっとも、尻の痛みといっても痔ではなく、尾てい骨に生じたものなので多分問題なかろうとは思ったし、乗車時間についても、おいこっとを利用しても短縮されるわけでないことも知っていた。
ただ、車内設備の画像などを見ると観光列車だけあって厚く軟らかいシートが使われているようでより安心な上、話の種にもなるだろうと考え、この日早朝にえきねっとで指定券を予約したのである。
何しろ乗車当日の予約だったので、当然ながら車窓を眺めるに適した進行方向窓側のボックス席に空きはなく、ロングシートの一つを選んだが、飯山線は去年も一度辿っており、季節は異なるもののその時に一通り車窓風景は目にしていたし、身体への負担という点でもロングシートの方が足を伸ばせて好都合と思われたので、さして残念には思わなかった。
そのおいこっとは二両編成で姿を現した。
この奇妙な名称は、日本人が思い描くふるさと(田舎)、東京と対極に位置するそのイメージを表現すべく、TOKYOの綴りを逆にしてひらがなにした――とのこと。
先に乗ったリゾートしらかみに比べるとずっと地味な印象だが、これは茅葺き屋根の民家にいるような懐かしさを――とのコンセプトに基づく列車であれば当然のことと納得できる。
おいこっとでも語りや楽器演奏といった車内イベントがあるようだが、今般の乗車では実施されなかった。
沿線の木島平村出身で「まんが日本昔ばなし」の声優を務めた常田富士男(故)氏のナレーション、信州の民族衣装(?)姿のアテンダントによる記念撮影サービス・車内販売などに接することのできたとはいいのだけれど、何分にも二両編成、上の車内販売は何往復されたかわからないほど繰り返され、お互いに少々気まずさも否めなかった(笑)。
飯山で30分強の停車。
快速にも関わらず所用時間が普通列車とほとんど変わらないのはこのためが大きいようだ。
15時ちょうどに駅構内で神楽が演じられる――とのアナウンスを聞き、折角なのでそれを見ようとあちこち足を向けたが、人の集まっているなどそれらしい場所は見当たらず、開始時刻になっても特にお囃子なども聞こえてこない。
一体どこで――と駅員に尋ね、教えられた方へ向かったら、からくり時計の自動人形による神楽だった。
これはこれでまた悪くはないが、ほんの終わりの一部しか観ることのできなかったのは残念だった。
このおいこっとも少々遅れて終点長野駅へ到着。
接続時間がわずかしかなかったものの、先方列車が待ってくれており、何とか無事乗り換えることができた。
この列車は休日の夕方だったこともあってか結構混雑しており立ち客も多く、辛うじて荷物をどかしてもらい席を得た。
途中の姨捨駅では、去年の冬に続き日本三大車窓の一つ善光寺平を眺めたが、今般も日差しに恵まれずうら寂しさを禁じ得なかった。
これも正直なところを白状すれば、もちろん見事な景色であることに異論はないのだけれど、個人的に三大車窓のいずれにもそれほどの感興は催さない。
「大きさ・広さ」を具えていることも論を待たないので文字通りの意味での評価は妥当かもしれないが、そもそも日本の風景の妙趣はそれとは別のところにあるように思う。
人の姿は停車毎に次第に減り、松本駅で大半が下車、代わりに乗って来た乗客も席を埋めるには至らなかった。
この列車にも他の列車の運行との兼ね合いで遅延が生じ、茅野駅へは20分ほど遅れて18時半頃到着した。
おいこっとのシートが期待通り軟らかかったことに加え、乗り換えや長時間停車の際に意識的に歩いたことも奏功し、尻の痛みに対する懸念は幸い杞憂に終わった。
今般の旅の費用は、交通・宿泊・飲食代をはじめ、7日分の駐車料金等まですべてを含め5万6千円ほど。
一般的には、ちょっと贅沢な2泊3日の旅行の予算だろう。
しかし決して悪い旅ではなかった。