蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

令和6(2024)年・初夏[2]―寝覚の床・妻籠・馬籠

江戸時代に整備された五街道の一つ、中山道の六十九の宿場の内、贄川・奈良井・藪原・宮ノ越・福島・上松・須原・野尻・三留野・妻籠・馬籠の十一宿が木曽路にある。

 

はじめはこれらすべてに足を停めようかとも考えたが、必要となる時間の点からこれは現実的ではなく、また今回は宿場巡りを主眼に据えたわけでもなかったことから、これは別の機会に譲り、個人的に名前に馴染みのある妻籠・馬籠に限ることにした。

 

その代わりというわけでもないけれど、妻籠へ向かう途上にある名所、寝覚の床に立ち寄る。

 


Google Mapのナビ機能を利用し、近くまでは速やかに辿り着いたものの、Googleが寝覚の床に与えた位置データの場所へ案内しようとするらしく、住宅区域内のごく細い道をあちこち引っ張り回されて埒が明かなくなったため、一旦国道19号へ戻って取り敢えずどこか適当な所へ――と物色していると、「ねざめ亭」なる昔でいうドライブイン、レストラン兼土産物屋が目に入ったのでそこへ車を停めた。

 

その駐車場の端から眼下に寝覚の床が見え、店のテラスからも良い眺望が得られそうだったことから、ここで早めの昼食を摂ることにした。

 

注文したのは本日の定食二種のうち「冷うどんセット」、1300円は高いが、他もほとんど同じ値だし、今回の旅では宿代の出費がないのでよかろう、と注文を済ませてテラスへ出た。

 

そこで非常にコシの強いそのうどんなどを食していると、微かにゴトゴトという音。

 

もしやとその方向を見るとやはり近づいて来る列車が目に入ったので、慌ててスマートフォンのカメラを起動して撮影した。

 

次はいつ通るのだろう――と調べようと思った時、店の外壁に列車の通過時刻表が貼ってあることに気付き、それによると約30分後である。

 

食事を済ませて待つこと暫し、先の下り特急とは異なり今度は二両編成の普通列車だったため鉄路の響きが小さく、危うく撮り逃しそうになったものの、何とか画に収めることができた。

 

20240629-(1)寝覚の床

 

テラスの下に見える公園までは徒歩10分ほど、さらにそこから川岸へも出られるということだったが、遠目ながら面白い色彩と形態は見ることができたし、まだ先が長かったことから割愛した。

 

 

 

 


寝覚の床のある上松から妻籠宿までは30分ほどで着いた。

 

500円を払って駐車場に車を停め、細路を少し歩いて一段高い所へ上がると旧中山道、古い町並みが目に入った。

 

それが長く続いている右側へ歩み出したが、平日ということもあってか人は疎らで、外国人観光客がぱらぱらと見られるのみ。

 

建物の写真を撮ったり眺めたりしながらゆっくりと路を下り、宿場の端へ着いて折り返しのんびりと上って一時間ほどで初めの地点へ立ち戻った。

 

20240629-(2)妻籠宿

 

その復路、くるみ餡のおやきを一つ口へ。

 

今度は反対の上り路へ進むと、建物の一つから三毛猫が出てきて道の上を転がり出したのを写真に収めたのを最後に、次の馬籠へ向かった。

 


馬籠までは距離は10kmほどと短いものの、かなり急で曲がりくねった山道を辿るため約20分を要した。

 

途中、道を横断する外国人の姿をちらほら目にしたが、彼らは妻籠との間を旧中山道で辿るコースを歩いていたようだ。

 

これもなかなか趣のあるものに違いないと思うけれど、かなり距離があるので楽ではないだろう。

 

やがて馬籠は目の前、しかしこの際も、Google Mapのナビに従ったところ危うく車両進入禁止の宿場へ入りそうになってしまった。

 

馬籠宿は周辺に小さな無料駐車場が点在しており、その一つに停めてやはり徒歩で宿場へ。

 

そこで目に付いたのは、妻籠よりも坂が急なこと、そして人出がずっと多かった点である。

 

もっとも、後者に関しては、妻籠では見られなかったツアー客らしい一団がいくつか歩いていたためかもしれない。

 

20240629-(3)馬籠宿

 

ここでも宿場の端まで下り、少し休憩しようと五平餅を注文したところ、出されたのは草鞋(わらじ)もしくは小判型ではなく、串に刺された三つの団子。

 

御幣餅と書いては齟齬を来たすけれど、この辺りではこの形状が普通ということで、味は味噌と胡桃からなる代表的なものだった。

 

妻籠の猫に続き、ここでは人によく慣れた雀が足元に現れ、餅を少し千切って落としてやるとちょんちょんと寄って来て素早く啄む姿に接し、思わず顔がほころんだ。