蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

中央本線・関西本線・紀勢本線を辿り紀伊田辺へ

先ずは七月の旅と同じ路線・列車で名古屋へ。

 

前回は良く晴れた空模様だったが、今般はほぼ全区間に亙って雲に閉ざされており、所々でパラパラもしくはさあッと降った。

 

まだ暑さが続いていたこともあり季節の推移はほとんど感じなかったけれども、この天候のお陰で前回とは少々異なる趣を車窓に見ることができた。

 


塩尻と中津川の中間辺りで一つ失敗。

 

持参したペットボトルのお茶の蓋を開けようとボトルを太腿に挟んで捻ったところ、脚に要らぬ力が入ってしまい、さらに軟らかい素材のボトルだったためお茶が溢れ、股間を盛大に濡らしてまるでお漏らししたような見てくれになってしまった。

 

津川駅で次の列車に乗り継ぐ際には前を隠そうか、しかし却って人目を引いてしまうかもしれない――などとあれこれ考えたが、同駅に着いた時には幸いだいぶ乾いてほとんど目立たなくなっていた。

 

やれやれである。

 


名古屋駅での乗り継ぎに一時間弱の余裕があったので、またきしめんを食した。

 

一旦改札を出て駅ビル内の飲食店を眺めたものの、そうこうしている内に思いの外速やかに時間が経ってしまい、あまり落ち着いてもいられなくなったことから、結局ホームにある住よしにて「たぬききしめん」と相成った。

 

しかしこれだけでは夕食まで腹が持つか不安だったので、これもホーム上のキヨスクみそかつサンドを購入して関西本線の列車に乗客となった。

 

20240919-(1)関西本線

 


この路線は、かつて学生時代、春に辿ったことがあり、満開の桜の中を延々と乗り続けた記憶が朧に残っているのだが、今般の乗車、特に亀山までの区間では、三十年以上の時の経過が生んだはずの沿線の変貌と季節の相違により、果して本当にここを通ったのだろうかと我ながら訝しんでしまった。

 

けれども亀山駅で加茂駅行の列車に乗り継ぐと、やがて山間に入って緑に囲まれ、すっきりとはいかないまでも怪訝な思いは次第に薄れた。

 


加茂駅で大和路快速に、さらに天王寺駅阪和線の列車に乗り継ぎ、この阪和線からいよいよ未乗車区間である。

 

天王寺駅では、到着の列車は日根野駅で切り離しが行われ、関西空港行(関空快速)と和歌山行(紀州路快速)に分かれる――との放送に気付いたのはいいが、同駅に降り立ったのは初めてで列車がどちらから来てどちらへ行くのか、またどの辺りに停車するのかがわからず、果して和歌山行に乗り込めるか不安だったが、ちょうど列車の真ん中辺りが目の前に停まったので、少し歩いて目当ての車両に入ることができた。

 

こうして一段落したものの、車内はかなり混雑しており座るべき席は見当たらない。

 

いや、窓側に空席は散見されたのだけれど、スーツケースを通路に置きそれに手をかけながら通路側の座席を占めている乗客が多く、その空いている所へ跨ぎ込むのは気が引けて遠慮した。

 

そもそも既に長時間座って来て、しばらく立っているのも悪くないだろうという気持ちもあった。

 

ただ、乗車時に安物のバックパックのバックルが破損したため、その応急処置はしたいと思っていたところ、数駅で多くの乗客が降りて着座でき、無事これも果たして和歌山駅に到着した。

 

 

 

 


数分待ち、16:00同駅始発の御坊行紀勢本線(きのくに線)列車が出発。

 

20240919-(2)紀勢本線

 

一時間と少しで御坊駅に着き、ここでまた同駅始発紀伊田辺行列車に乗り継いで、その終点であると同時にこの日の目的地でもある紀伊田辺駅には夕方六時に到着した。

 

御坊行列車はボックスシートを具えておりそこに席を占めることができた一方、紀伊田辺行の列車は予て知っていた通り全席ロングシートだった。

 

そのため車窓を眺める風情は些か希薄だったが、反面車内を眺めるには都合がよく、下校途中の学生の乗り降りの様子から、ここに学校があるのか、集落はここか、といったことを思うのも悪くなかった。

 

紀三井寺道成寺といった床しい名の駅には、他日必ず降り立ちたいと思う。

 


二泊する紀伊田辺での宿は、例によって楽天トラベルを通じて予約しておいた「ゲストハウス シン熊野」である。

 

駅から500mほどとアクセス良好の上、個室が提供されながら破格の料金を見て喜んで予約を入れたものの、その後一抹の不安が頭を擡げて来て、さて実際はどんな宿だろう――と歩を運んで行くと、画像で見ていた通りの古いけれども――というより寧ろそれ故になかなか味わいのある建物に辿り着いた。

 

引き戸を開いて中へ足を踏み入れたが人の気配はなく、声を掛けようかとした時に視界の隅にホワイトボードが見え、そこへ目を向けると当方の名前とともに到着したら次の番号へ電話するようにとのインストラクションが記載されていた。

 

それに従ってから数分、女将が現れ、部屋に案内されて簡単な説明を受けた。

 

予約の際、すぐ近くに「ゲストハウス 熊野」なる宿のあることに気付いており、これほど類似した屋号で問題はないのだろうかと思っていたが、何のことはない、両者は同じ経営下にあり、女将は基本的に向こうにいるので用事等のある場合は電話して欲しいとのことだった。

 

「シン熊野」のシンはどういう意味だろうと疑問に思っていたが、単純に新のことかもしれない。

 

もっとも、上に書いた通り建物はかなり年季が入ったもので、当てがわれた二階へ上がる階段(というより梯子段)は幅が狭い上にかなり急で、特に下りる際にははじめのうちかなりの慎重さを要した。

 


既に夕闇の迫って来た中、辺りを少し歩いてみようと鉄路を踏切で渡って間もなく、その名もふみきり食堂という店が目に入り、ここで夕餉を認めることにして暖簾を潜った。