寝苦しかったわけでもないのに、また朝五時前に目が覚めてしまった。
旅の五日目は先ず出雲大社に参拝し、山陰本線を下って益田で少し観光をした後、山口線で津和野まで行きここに泊まる。
その山陰本線の列車としては10:21出雲市始発を予定しており、これに乗るにしてもすぐ出るには少々早すぎる感はあったが、時間が余れば適当に潰せばよいだけ、早朝なら参拝もゆったりとできるだろうと考え、支度をして宿を後にした。
JR出雲市駅にほぼ隣接する一畑電車の電鉄出雲市駅で出雲大社前までの往復切符(1000円)を購入して北松江線に乗り、川跡駅で大社線に乗り換えて出雲大社前へ着いたのは7時前。
駅を出ると左手に一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)の聳えているのが見え、本来はここを潜ることから参拝を始めるところだろうけれど、既に参道に入ってしまっているので割愛させて頂くことにし、右手の二の鳥居(勢溜の大鳥居)へと向かった。
これと続く三の鳥居(松の参道の鳥居)を潜って松の参道を辿り、手水舎で手と口を漱ぎ身を清めた後、四の鳥居(銅鳥居)を潜って神域へ。
事前に調べたところでは、参拝には色々な作法があるようだったが、これに拘り過ぎるのもどうかという気もしたため、二礼四拍手一礼という出雲大社独自の基本だけは守りながら、あとは気持ちの赴くまま自然に拝ませて頂いた。
こうして満ち足りた思いで駅へと戻り、出雲市へ戻る列車がちょうど出てしまったところだったのでしばらく待った後に乗客となったが、ふと、出雲大社と言えば誰もが真っ先に連想する巨大なしめ縄はあんなに小さかっただろうか?との疑問が胸に湧いた。
出雲大社へはかつて学生時代に一度、その時は参詣したことがあり、しめ縄の大きさに圧倒された記憶があいまいながら残っていたので、実に奇妙な感じを覚えた。
そこでネットで確認したら、大きな失敗を仕出かしたことが判明。
大しめ縄は、境内の西の門を出て素鵞川を渡った敷地に建つ神楽殿にかけられているというのである。
これに気付いて少なからず意気消沈したのは確かだけれど、今回の第一の目的は参拝で、それはしっかりと果たしたことを思い出すとともに、気持ちは平静に復した。
私に限らず、神楽殿の大しめ縄を見逃す人は少なくないようだ。
上に、山陰本線10:21出雲市始発の列車には早すぎるかもしれないと記したが、宿泊したゲストハウスへ戻り、チェックアウトを済ませてこれに乗るべく駅へ行くと、丁度良い頃合いとなっていた。
入線して来た当該の浜田行は単行列車で、乗車してみるとボックスシートは通路を挟んで二つずつ、すなわち四つしか設置されていない。
しかし、早めに乗車位置最前列に並んでいたので、無事日本海を眺めるに適した進行方向に向いた右窓側の一席を確保。
これから先の車窓を愉しみにしたのだが、間もなく前記事に一言した不愉快事にここで遭遇してしまったのである。
ただ、今更思い返すこともなかろう。
列車は2時間と少し走り、正午過ぎに終点浜田に到着。
乗り継ぐ列車の発車まで一時間半近くあり、昼食を摂りに町へ出たものの、通りすがりの旅行者があれこれ探すほどの余裕はない。
そこで候補だけでも挙がればとネットで検索したところ、「にしきそば 浜田本店」という名が目に留まり、高松でうどんを食ったので蕎麦というのもいいだろう、とここに決めた。
駅から歩くこと五分ほど、暖簾を潜って店へ入ると、昼食時でもあり大勢の先客。
幸いカウンター席は空いていたのでここに腰を据え、ざるそば(720円)を注文。
考えてみれば、蕎麦の本場に長らく住んでいながら、店で蕎麦を食ったことはほとんどない――そんなことを思いながら待ち、出された蕎麦は十分に美味かった。
この始発列車の編成も先のと同じ一両のみ、しかも並ぶ位置がずれており乗り込むのが一瞬遅れたため、日本海側のボックスシートは逃してしまった。
ただ、四国での予土線などと同様、この路線でも適宜席を移動しながら車窓を愉しむことができたので大きな不満はなかった。
終点益田には一時間弱で到着し、ここでは次の列車まで二時間と少しの待ちがある。
これは事前にわかっていたことで、この時間を利用して二つの雪舟庭園を訪ねる計画を立てた。
駅からそれらまで3kmほどの距離があり、歩いて行くのは難しく、バスも頻繁に走っているかどうか今一つはっきりしなかったことから、春の遠野でのようにレンタサイクルを利用することにし、駅前ロータリーにある益田市観光協会へ。
借りたのは普通自転車、いわゆるママチャリで、料金は3時間まで330円、以後1時間ごとに110円と手頃な上、手荷物を無料で預かって貰える(本来は550円必要)のは非常にありがたい。
併せて観光マップをもらい、雪舟庭園のある萬福寺と医光寺までの大まかな道筋の教示を受けて自転車のペダルを漕ぎ出した。
走ること十分ほどで萬福寺に到着。
駐車場に自転車を停めて境内へ入り、案内に従い受付へ行って拝観料500円を払うと、他に拝観者がいなかったこともあってか、係の年配の女性が懇切丁寧な解説をしてくれた。
仏教における宇宙観である、須弥山を中心とする世界を石・木そして水により象徴的に具現したこの庭から最も強く印象されたのは、普遍性とその中での美妙な変幻だ。
その主題と関係するのだろうが、庭を構成する各素材の色彩と形状および配置が、全体として調和しながら、光の加減や見る位置などにより、見る者を徒に驚かせる事なく様々な表情を見せてくれるように感じた。
季節や天候の相違により生じる風情の変容についても、恐らく同じ事が言えるのではないか。
これを確かめるためにも、他の季節に再訪したいと強く思った。
続いて1km弱離れた医光寺へ。
七尾城の大手門を移改築したという見事な総門を潜り、萬福寺と同額の拝観料を払って庭に面した。
こちらの庭は不老長寿を求める蓬莱思想に主題を採り、鶴と亀という吉祥の生き物をそれぞれ池、島とその上の石に仮託したモチーフにより表現している。
そして萬福寺の庭園より、地形を利用した鉛直方向への広がり、大きな樹木の近接による幽邃の感、さらに各季節に色付く花葉を配しての景色の対照をいずれも顕著に出すことにより、根底の意図が見事に達成されている。
この庭に朱を添える樹木として紅葉が植えられているが、それが立ち枯れ状態となっているので尋ねたところ、近隣で土木工事のあった後、地下の水脈が変わってしまったのか弱り始め、手当はしているものの回復は難しそう――とのことだった。
再訪の想いを強く持ったのはこちらも同じ。
しかし観覧者はやはり私独りだった。
この日最後に乗車する列車は、益田駅16:39始発山口線新山口行だ。
入線して来たのは確か三両編成、しかもボックスシート主体の座席構成だったので、久しぶり(?)に旅気分を深くした。
列車に揺られること四十分、午後五半前に津和野へ到着。
広く知られた町で駅舎も立派なのに、無人駅であるとは意外だった。
これは2021(令和)3年12月1日からのことであることを後で知った。
観光案内所は既に閉まっていたので、駅構内に置かれていた観光マップを手にしてこの日の宿へ。
夕方とはいえ、土曜日なのにほとんど観光客らしい姿の見えないのが不思議だったが、もしかしたらこの日行われた津和野祇園祭(鷺舞神事)の人出が引けた「祭りの後の寂しさ」だったのかもしれない。
これを観たいという気持ちはもちろんあったのだが、そのためには出雲市を朝六時前の列車で発たねばならず、後ろ髪引かれつつ諦めたものの一つだ。
宿に入って荷物を下ろし、ほっと一息ついてすぐ、是非訪れたい所があったのでまた表へ出た。
太鼓谷稲成神社である。
宿で行き方を尋ねた際、「いななりじんじゃ」と言って「いなり」と訂正されたが、これで「いなり」と読むのはここだけということだ。
しかし、改めて見ると、読みに関してはこちらの字の方が自然な気がする。
この神社が有名なのは、表参道に連なる、約千基あると言われる鳥居である。
しかし宿からは裏参道へ至る道を上る方が近く、既に夕暮れの気配も色濃かったことからこちらを辿って手水で身を清めた上、神域へ。
参拝を済ませ、千本鳥居を潜りながら表参道を下る途中、そこにあった茶店から出て来た人に、鳥居とともに立つ数多の灯篭は夜灯されるのか――と尋ねたところ、「唯」ということだった。
となると是非その光景を観たいところだけれど、今日は観光でかなり歩いて強い疲労感があり、宵闇の訪れまでにはまだ間があったため、一旦宿へ戻り、もし気力が回復したら――と考えたが、やはりその元気は湧かなかった。
宿の窓からの遠望でその一端を窺うことはできたものの、いつか間近に眺めたいと思う。
この日の宿泊先は「若さぎの宿」。
津和野で一番古い民宿ということで、建物の構えは町並みに合致する時代感を具えている一方、内部は改装されたのか新しく綺麗だった。
女将さんの対応も明るく親切とホスピタリティは万全、料金を考えると破格としか言いようがない。