蓼科高原日記

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世界山岳全集6(朋文堂)―エベレスト登頂・雲表に聳ゆる峯々

全13巻からなる、朋文堂「世界山岳全集」の第6巻には、成功裡に終わった登山の記録が二編収録されている。

 

そして、両編とも、それぞれの登山隊を率いた隊長によって書かれたという点でも共通している。

 

20220804-世界山岳全集6

 

一つはサー・ジョン・ハントの「エベレスト登頂」、もう一つはアルバート・エグラーの「雲表に聳ゆる峯々」で、前者はそのタイトルが示す通り、1953年の春に達成された世界最高峰エヴェレストの初登頂を、後者はその三年後に実行され、エヴェレストに隣接する8501mのローツェの頂を極めるとともに、さらにエヴェレストへの第二および三登を成し遂げた記録である。

 

 

これら偉業の達成されるまでの経緯をご紹介すると、概ね次のようになる。

 

エヴェレスト登山は、まず1892年にクリントン・デントによりその可能性が思案されたのを皮切りに、翌年にはチャールズ・ブルースとサー・フランシス・ヤングハズバンドがチベットを横断してエベレストへ登ることを話し合い、1907年にはチャールズ・ブルース、トム・ロングスタッフ、アーノルド・マムによる登頂計画が作成されたが、実行には至らなかった。

 

 

 

 


エヴェレスト登山が実行段階へ移ったのは、第一次世界大戦を挟んだ後の1921年のことで、ハワード・ビュリーを隊長とする一行が現地へ入り、周辺地形の調査、地図作成、偵察遠征などを行い、マロリーらがノース・コルを発見した。

 

さらに1922, 24, 32, 35, 36, 38年にも遠征が行われたものの、いずれも登頂には至らず、1924年の第三次登山では頂上へ挑んだマロリーとアービンが戻らないという悲劇も生じている。

 

なお、これらはいずれもチベット側からの、いわゆる北方ルートを辿る山行で、しかもすべてイギリスの登山隊により行われたことを記しておくべきだろう。

 


その後、今度は第二次世界大戦が勃発して登山活動は中断され、戦後再び人々の目がエヴェレストへ向けられた時には、チベット鎖国政策へと転じたため戦前の北方ルートは辿ることができなくなっていたのである。

 

その代わり、従来エヴェレスト登山を禁止していたネパールがそれを翻したことで、必然的に南方からの新たなアプローチを採ることとなり、1951にシプトンを隊長とするやはりイギリスの調査隊がクーンブ氷河ルートを探索し、ウェスタン・クーム末端へ取り付いた。

 

1952年には、イギリス以外の国では初めて、スイスが隊を送り込んで春秋続けての登山を行い、ランデールとシェルパのテンジンがそれまでの最高高度8611mに達したものの、天候に恵まれず頂上を目前にして惜しくも敗退した。

 


しかし、翌1953年、改良された万全の装備を纏ったイギリス隊による、過去の遠征隊の蓄積した知識と経験の上に立った挑戦で、ニュージーランドから参加したエドモンド・ヒラリーテンジン・ノルゲイが5月29日午前11時30分、世界初の登頂に成功。

 

さらにその三年後には、そのイギリスの成果を活かす形で、今度は逆にスイス隊が一度の山行で8000m峰三登頂という快挙を成し遂げたのである。

 

 

 

 


と、こう書いてしまえば、なるほど極めて難かしいことには相違ないにせよ、順調に歩を進めて遂に目的を達成したわけだ――といった感じになってしまうが、その計画・準備にどれほどの時間と労力が費やされたか、そして万全を期したにもかかわらず、実際の山行においてどれほどの問題や困難が生じるか、さらにそれらにどう対処し、克服したかといった記録には、強く胸を打たれた。

 

ただ、これら二編が「成功裡」に終わった登山記録であり、失敗、特に遭難による人名損失を伴った類のものでないからだろう、この後者ではまず注意が向かないであろうことも、いくつか印象に残った。

 


たとえば、隊長のハントが、確かサウス・コル(エヴェレストとローツェの間の鞍部)で、前年にスイス隊の残したツナ缶を見つけたが、それを仲間に告げることなく隠してテントへ持ち帰り、一人で食ってしまったという告白である。

 

ハント自身、なぜあのようなことをしたのか自分でも全く理解できないと述べており、またスイス隊を率いたエグラーも、計画遂行に重大な影響を及ぼすため本来なら慎重な考慮を要する判断を何の気もなく下してしまったことなどを報告している。

 

無論、これらをもってハントやエグラー、さらには山行に携わった人々の人格・人間性を云々すべきではなく、高度そのもの、あるいはそれによる酸素濃度の希薄化といった極限状況が人の心身に与える影響の勘案考察が必要ということで、恐らくその研究は以後なされていると思う。

 


もう一つ、人間が山へ入ることによって、そこが如何に汚されるかという事実も、改めて認識させられた。

 

ヒマラヤへの山行がかなり一般的になった現在では、それら人間による汚れを除去するための清掃登山なども行われているようだが、是非ともそうであるべきだと思う。

 


ともあれ、この暑い時季、良い清涼剤となってくれた一冊だ。