「世界ノンフィクション全集10」で述べたように、筑摩書房のこの叢書は何度か改版されており、各版の間には総巻数や収録作品に異同がある。
これも上の記事でご紹介したことだが、私の保有するのは1968(昭和43)年に世に出た全30巻のもので、その第12巻には次の4作品が収められている(()内は著者)。
砂漠の反乱(T.E.ロレンス)
セポイの乱(V.D.サヴァルカール)
太平天国[李秀成供状、忠王李秀成自述](李秀成)
ステンカ・ラージン(金子幸彦)
改めて言うまでもなく、これらはいずれも、抑圧されていた民衆がその頸木を脱して自由を獲得しようと起こした反乱の記録である。
併記した著者の内、ロレンスと李秀成は自ら動乱の渦中に身を置いた人物であり、前者については、「アラビアのロレンス」としてデヴィッド・リーン監督の同名作品にも描かれているので、ここで多言を弄する必要はないだろう。
そのロレンスの「砂漠の反乱」は、世紀の奇書として知られる「智慧の七柱(Seven Pillars of Wisdom)」から、主に著者の現世的活動・活躍の部分を抜き出したものということだが、複雑な政治情勢の下でさまざまなジレンマ・葛藤に苦悩する著者の思想的部分も窺うことができて興味深い。
片や「太平天国」の方は、その副題が示す通り、洪秀全に従って行軍し、一兵卒から最後は忠王の称号を得るに至った李秀成が、国破れて敵方の清に捕らえられた後、名臣曽国藩の審問に対して紙筆を乞い 処刑までの九日間で書き綴った文章である。
貧農として生まれ育ち、読み書きの学習期間は二年ほどに過ぎないため、いわゆる名文ではない(らしい)が、その実直な性情と配下の兵士や民衆を慮る温情に満ちたその筆致は、読む者に感銘を与えずにはおかない。
サヴァルカールは直接の関与はなかったものの、インド人の一人として、自国を植民地化し搾取の限りを尽くした(執筆当時は、再び"尽くしている"状態に立ち戻っていた)イギリスに対して半世紀前に同胞の起こした騒乱、宗主国が局限的な「反乱」と規定して過小に評価しようと企てたその運動の本質を、「独立戦争」として捉え、共感を籠めて叙述している。
最後の「ステンカ・ラージン」の執筆がロシア文学者金子幸彦氏に委ねられたのは、ノンフィクションと銘打ったこの全集に収載するに相応しい、史実に忠実なテキストを見出すことができなかったため、と解説に記されている。
これはラージン率いる黒海沿岸ドン地方のコザーク(=コサック、自由民集団)が帝政ロシアに対して蜂起したのが17世紀後半と、現代から時を隔てていることを考えれば致し方なく、また本編自体、他に比して決して読み応えに劣るものでもないことを記しておきたい。
この英雄的かつ伝説的人物も、映画黎明期の一作品としてウラジミール・ロマシコフ監督により撮られており、政府の厳しい禁令にも関わらず民衆の間に民謡として綿々と唄い継がれて現在に至っているので、ロレンス同様細かな紹介は不要であろう。
さて、各編を読んで改めて思うのは、いずれの反乱も抑圧されて鬱積した憤懣・憎悪という負の情念と、よりよい世界へ脱しよう、あるいはそれを構築しようという正の情熱とが混合して生じる激烈なエネルギーにより惹き起こされるもので、したがってそれは極めて劇的な、波乱万丈の展開を見せるということである。
ところが、学校教科書や歴史の概説書においては、上のいずれの事件もまず数行でその紹介は終えられ、これが数ページに及ぶことはまずないだろう。
もちろん、学校教育においては、これはやむを得ないことと思うが、個人のレベルで歴史に親しむには、先ず何か興味を惹かれるトピックを見つけてそれについての詳論を読み、そこから周辺の時代・地域、そして出来事へと範囲を広げていくのがいいように思う。
少なくとも個人的には、今般の読書により、我が書棚に鎮座している岩波講座の「世界歴史」「日本歴史」を読む愉しみが大きく増したことは間違いない。
いや、上のことは独り歴史に限らず、数学や物理学、いや学術一般についても概ね言えるようだ。