蓼科高原日記

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白水社 西域探検紀行全集5 カラコルムを越えて ヤングハズバンド(著)

西域――すなわち、古代の中国人にとっての自国西方タリム盆地の国々、現代においては中央アジアとその周辺を含むさらに広い地域――は、古くから綿々と繰り広げられてきたドラマティックな歴史絵巻に加え、その中央を横断して通ずるシルクロードが人の旅情を刺激することから、数は多くないにしろ熱烈な愛好家が存在する。

 

そんな西域マニアにとってのバイブルとして、スウェーデンの地理学者・探検家スヴェン・ヘディンの「中央アジア探検紀行全集」、またはこれを包含する形の「探検紀行全集」があるが、もう一つ、同じ白水社が1966年から71年にかけて刊行した、「西域探検紀行全集」(全15巻+別巻1巻)も、同格の書籍と言うべきだろう。

 

前者がヘディン一人によって書かれたものであるのに対し、「西域探検紀行全集」の方は、プルジェワルスキー、河口慧海、オーレル・スタイン、オーウェンラティモアといった、ヘディンを中心としてその先達から後進に亘る、世界各国の顕学の手になる点に大きな相違、そして特徴がある。

 


その第5巻として収められているのが、イギリスの軍人ヤングハズバンドが若き日に行った探検の記録「カラコルムを越えて」である。

 

20211214-西域探検紀行全集5

 

まず、本書において述べられている、ヤングハズバンドの辿った地域についてご紹介すべきところだろうが、これは次の目次を挙げるだけで足りるはずだ。

 

長白山
満州から北京へ
北京へ戻る
北京から帰化城へ
ゴビ砂漠横断
トルキスタンからヤルカンドへ
ヒマラヤの心臓部へ
ムスター峠
カンジュート人の襲撃
氷河に囲まれて
カンジュート人の城砦
パミール高原に沿ってフンザ
パミール高原へ―1890年
カシュガルの冬
カシュガルからインドへ
チトラルとフンザ
チトラルと統治者
シナの伝道問題
旅行の印象

 

 

 

 


ところで、本書の原題は「大陸の心臓部(The Heart of a Continent)」であり、上の目次からもおわかりの通り、内容との合致度からは原題の方が遥かに適当であろうと思う。

 

実際、カラコルム周辺の記述が本書の白眉と言えるにしても、前半部分も決して面白みに欠けてはおらず、寧ろ、初めて探検の世界へ足を踏み入れたヤングハズバンドの心の高揚と興奮は、読む者にも鮮烈に看取されて深い趣きがある。

 

タイトルの変更は、より多くの食指を動かして販売部数を上げようといった出版社の目論見によるのだろうが、本全集の刊行に際し、井上靖氏が「あくまで良心的な編集を期待する」と寄せているのは、このような姿勢をやんわりと窘めたのではなかろうか――という気がしないでもない。

 

しかしともあれ、広くは人口に膾炙しにくいこのような全集を敢えて世に問うた点は、やはり白水社さんを称賛すると同時に、同社に感謝したい。

 


さて、著者のヤングハズバンドは、軍人としてのキャリアに加え、後には中央アジアの行政官、さらには王立地理学会の会長、さらにエベレスト委員会の委員長などを歴任し、各方面に多大な貢献をなした人物で、それら業績に対する賛辞は否定すべくもないが、生身の人間として欠点や失敗のあったこともまた事実である。

 

1903年から翌年にかけ、国境問題を解決するためのチベット探検において地元の民衆と対立し、少なからぬ数の殺戮に至った事件がその最たるものとして挙げられようが、このほか、わし座のα星アルタイルにキリストのような指導者がいる、宇宙線には超自然的な魔力がある、自分は神に選ばれた存在である――といった、如何わしさを禁じ得ない思考や言辞も、後年少なからずあったようだ。

 


実は、個人的なことを言うと、本書の主要部である、ユーラシア大陸横断およびその中央部の探検記については、その躍如として輝く精彩を堪能した一方、終章として付された「旅行の印象」を読んだ際、何とはない不自然な感じ、そこはかとない違和感を覚えた。

 

これが一体どこから来るのか判然とせず、不思議に思っていたのだが、上の如きヤングハズバンド後年に現れた姿の一面を知り、その種子、あるいは初期の萌芽が既に現れていることが原因ではなかろうか――という気もまた、しないでもない。