蓼科高原日記

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Yの悲劇 エラリー・クイーン[バーナビー・ロス](著)

改めてご紹介するまでもないかもしれないが、アメリカのミステリー作家エラリー・クイーンは、実際はフレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーという従兄弟同士の二人が、自分たちの共作による推理小説用に採用したペンネームで、同時に作品中で活躍する探偵の名でもある。

 

ただ、上のダネイ、リーという二つもまた筆名ということはあまり知られていないかもしれないのでここに記しておきたい(私も今般初めて知った)。

 


さて、エラリー・クイーンは1929年の処女作「ローマ帽子の謎(The Roman Hat Mystery)」を皮切りに、いわゆる国名シリーズを順次発表していったが、それと並行して、バーナビー・ロスというまた別の名義の下、1932年からは聴覚を失ったため俳優業から退いたドルリー・レーンを主人公探偵とする悲劇シリーズを打ち出した。

 

Yの悲劇(The Tragedy of Y)」は同シリーズ全四作中の第二作である。

 

20220913-Yの悲劇

 


個人的なことを言うと、これまでエラリー・クイーンの作品は「Xの悲劇」「途中の家」「帝王死す」「盤面の敵」といったものを読んだが、正直なところ、いずれも記憶に残っているのは断片的なエピソードだけで、ストーリーなどはほとんど忘却してしまっている。

 

もっともこれは、そもそもこのジャンルにさほど傾倒しているわけでもないことに加え、先に読んだ時から既に数十年という長年月が経過してしまったことが主因であり、本を閉じた際に大きな落胆を感じるようなことはなかったようにも思う。

 

 

 

 


今般繙いた「Yの悲劇」は、先のS.S.ヴァン・ダインの「僧正殺人事件」などと同様、我が国で編まれた推理小説全集・体系の類にはまず漏れなく収録されているという事実が示す通り、数あるクイーン作品の中でもここ日本においてはとりわけ評価の高い作品ということから、さてどんな事件とその謎解きが展開されるのだろう――と愉しみに読んだが、その大きな期待はまず裏切られずに済んだ。

 

このジャンルの作品の興味の一つは、何と言っても謎解きの面白さにあるわけで、そのためには物語中に鏤められたエピソードと推理との論理的整合性が必須要件となるが、この点において同作はまず優秀な合格点を与えられて然るべきだろう。

 

強いて難を付ければ、同作に限ったことではないのだけれど、探偵をはじめとする捜査陣が事件の異様性・奇妙さおよび解決の難しさを盛んに託つのが些か鼻につくのと、最後にレーンの行う説明での犯人の身長に対する推理の論拠が、詰まるところ単なる算数に過ぎないにもかかわらず諄すぎる印象を禁じ得ない点である。

 

若干spoilerとなってしまうが、この後者については、作中、自殺したヨーク・ハッターの残した「探偵小説」の梗概が明らかになった時点で、先に第二の事件として描かれているジャッキー・ハッタ―が毒物入り卵酒を飲んだ理由などを鑑みれば、ほぼ事件の犯人は明らかになってしまうことに対するカムフラージュ、そこから読者の意識を逸らす苦肉の策という感を否めない。

 


しかしともあれ、本格派推理小説の古典的名作として、この種の小説にいささかなりとも関心をお持ちであれば、読むに時間を割いて損をしたと感ずることはまずないのではなかろうか。

 


元々クイーンは先行するヴァン・ダインに対する意識が強く、「Yの悲劇」もその舞台設定に「グリーン家殺人事件」との類似性が認められるが、さらに物語の結末には「僧正殺人事件」との繋がりが感じられる。