蓼科高原日記

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オリエント急行殺人事件 アガサ・クリスティ(著)

これもよくアガサ・クリスティの代表作の一つと言われる「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」を読んだ、はっきりした記憶はない。

 

しかしながら、映画化された作品を観たことはあり、その斬新とも奇抜とも言えるストーリーははっきりと記憶に刻みつけられていた。

 

それと同時に、多額の報酬で身辺警護を依頼されたポアロの、「私は自分の欲求を満たすのに必要な金は持っている。」「私はあなたの顔が嫌いなんです。」というそれに対する拒絶の言葉を、なぜか鮮明に覚えている。

 


その作品を、今般改めて原作の小説で読み直したのは、最近盛んに疼いている旅心と、それに起因して集め始めた時刻表や紀行をはじめとする鉄道や旅行関連のメディアを眺めている時、古いトーマスクック時刻表にこの列車の名前を目にしたことから、学生時代にヨーロッパを列車で旅した際、確かウィーンからパリまでこの列車に乗ったことを想い出し、その時の情景と物語とを重ね合わせてみたいと思ったからである。

 

20230406-オリエント急行殺人事件 アガサ・クリスティ(著)

 


同作の発表は1934年、既に名探偵ポアロが広く世間に知られ、「牧師館の殺人(The Murder at the Vicarage)」においてはミス・マープルも登場しており、斯界での地位を確立したクリスティがさらなる飛躍へ挑もうとする時期と言えるだろう。

 

執筆の契機としては、その2年前にアメリカで起こった、世界初の大西洋単独無着陸飛行で知られるリンドバーグの長男が誘拐されて殺害された事件と、1931年、クリスティ自身がオリエント急行乗車中に悪天候による立ち往生を経験したことに触発されたとされているが、実際、この二つに基づく要素は「オリエント急行殺人事件」の二大骨格となっている。

 

 

 

 


オリエント急行――と聞くと、日本人は絢爛たる豪華列車を連想するようだが、確かに1883年の誕生から両世界大戦の間までは、ヨーロッパを貫く他の交通機関がなかったこともあって主に貴顕要人の利用する贅を尽くした存在だったものの、その後は次第に客層が広まるとともに列車の位置付けもごく一般的な夜行急行、ただイスタンブールまで伸びている点に小さくない特徴の認められるものへと変化していった。

 

その衰退は第二次大戦後に一層顕著となり、1970年代に一時運行が停止。

 

しかし往時の栄華を惜しみ懐かしんでこの名を冠した復古列車が走り始め、時代的に全世界を駆け巡ったこのニュースが日本へも伝わって、オリエント急行のイメージとして定着してしまったようだ。

 

その後、本家の方も再び運行されるようになり、私の乗ったのも無論これだが、やがてまた路線の短縮を見た末、2009年12月をもって定期列車は姿を消してしまったということだ。

 


なお、クリスティが小説を発表した当時は、同急行が最後の輝きを放っていた時代に当たると思われるけれど、作品中でその豪華さが喧伝されていはいない。

 

作品の性格からして、ストーリーなどを詳しく紹介することは控える代わりに、ふと思ったことを一つ挙げておこう。

 

それすなわち、以前記事にした同女史の「そして誰もいなくなった」は、この「オリエント……」とちょうど鏡像関係にある作品ではなかろうか――ということである。

 

作者自身や評論家によるこれに関する言及を目にしたことはないのだが、「そして……」の筆を執る際、恐らくクリスティの心には、それがexplicitだったか否かは別として、上の動機があったように思う。

 


両者を並べた場合、個人的には今般読んだ「オリエント……」の方をずっと好ましく思うものの、物語の終結部が弱いという印象は禁じ得ない。

 

もちろん徒な急展開や強盗返しは願い下げ、しかしあまりにあっさりし過ぎているのも、やはり何となく物足りない。

 

創作とは難しいものだ。