蓼科高原日記

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アメリカ鉄道3万マイル テリー・ピンデル(著)

アメリカ鉄道3万マイル(原題:Making Tracks)」のプロローグには次の言葉が記されている。

 

旅に出た当初は、自分でも何を探しているのかわかっていなかった

 

ただ……(中略)……鉄道の路線をたどることで私の中の過去と現代が、歴史の項目と新聞の見出しが、精神と思い出が一つに結びつくのを見極めたかった

 

本書には二つの物語がある。一つはアメリカの風景を形作る旅客路線が生み出した、アメリカ史の背景となる物語だ。もう一つは、この路線を今日旅する人々の物語である

 


著者テリー・ピンデル(Terry Pindell)は、大学を卒業した後ニューハンプシャー州の高校の国語教師となり、さらに市会議員としての活動を経て市長選挙に立候補したものの落選、この失意と前年に父親を病で失った悲しみという中年の危機を乗り切る手段として、アメリカ全土を鉄道で巡る旅を思い立ったという。

 

その実行の結実が同書である。

 

20230521-アメリカ鉄道3万マイル テリー・ピンデル(著)

 

 

以上の経緯や企図からも窺われる通り、いわゆる「鉄道紀行」としてはかなり重厚長大な一冊で、気軽に楽しめる類の本とは一線を画している。

 


さらに、著者自身は上のように二つの物語を書いた――と述べているが、さらに自身の問題、特に生前の父親との反目・葛藤についての述懐、およびそれを自己清算したいとの思いも重要な要素として含まれている。

 

その結果として、南北戦争前後から現在へ至る時代を縦糸、鉄道関係者・旅客・著者自身と家族を横糸として一つの複雑なタペストリーが織りなされており、これを鑑みても、原題の"Making Tracks"には線路建設の他にもいくつかの意味が籠められているように思われ、「アメリカ鉄道3万マイル」という邦題は些か安直に過ぎる感を否めない。

 

 

 

 


このような内容に加え、著者の性格および経歴によるのだろうが、酷く持って回った、そして修飾語の多い表現が目立つことから、その文体および著述のスタイルに慣れるには少々時間を要するかもしれない。

 

しかしそこを越えれば、実に内容豊かな、読み応えのある本であることは間違いないだろう。

 


訳者にはこのジャンルにおける我が国の代表的作家の一人である宮脇俊三氏の名が冠されているが、実際の訳業はほとんどがもう一人名を連ねる小林理子氏の手で行われたことが訳者あとがきに記されている。

 

もともとは宮脇氏に依頼があってそれを受諾したものの、いざ取り組んでみて到底手に負えないことが判明したため、本職の翻訳家による訳文に手を入れる共訳の形に変更してもらったが、上がって来たものは十分にこなれていたので、結局訳者注の挿入と原書では大雑把な地図の再作成などに留まったということだ。

 


本国アメリカではこの"Making Tracks"が高く評価され、ピンデルは鉄道にまつわる続巻を上梓できたらしいが、ここ日本では日の目を見ていない。

 

これすなわち、「アメリカ鉄道3万マイル」に対する出版社の皮算用が当たらなかったということだろう。

 

しかしながら、企業として利潤を求めるのは当然としても、良いものでも売れそうもなければ出さない――という姿勢を続けていては、やがて読者の質の低下を招いて自らの首を絞めることになる。

 

いや、もう完全にその状況に陥っていると言うべきか。