地図を何冊か購入した。
これまでいくつかの記事に述べてきた通り、空想旅行や追想旅行の強力な資料としてさまざまな時代や地域における鉄道の時刻表を現在収集した結果、鉄道の路線が地球上にどの程度張り巡らされている(いた)か、また色々な地点間の移動に要する(した)時間などを把握することはだいぶできるようになった。
しかしここへきてふと、至極当たり前のことながら、鉄路でどこへでもアクセスできるわけではなく、また時刻表では知ることのできない、各地の標高や気候、正確な位置といった地理的情報にも興味が湧き始めていることに気付いた。
これに応えてくれるものは、勿論地図である。
もっとも、仕事や研究・探検といった重大な目的に使用するわけではなく、現在の最新情報が掲載されている必要はないので、例によって古書でよかろうと探したところ、この手の書籍は一般的に古くなると価値が失われるのか、捨て値とも言える価格で売りに出されているものが散見された。
その中で、先ず平凡社のどちらも定価四千円を超える日本地図帳(Japan Atlas)と世界地図帳(World Atlas)を、その十分の一以下の値で購入。
両者とも結構縮尺が大きく、また情報も豊富なのはありがたい一方、当然ながら図体は大きく重くなっており、紀行などを読みながら参照するには少々不便な感じもしたため、さらに小ぶりで軽量なものを二冊、加えてさまざまな数値情報を掲載した、データベース的に使える一つも併せて入手した。
これで家にいながらかなり自由に世界中を飛び回れることになり、独り悦に入ったのはいいが、如何せん、地図というものは球面を平面へ投影したもので、どんな図法を用いても歪みが生じてしまう。
と思うと、今度は地球儀が目の前にちらつき出した。
しかし、これでは本当に切りがない、さてどうしよう――とさすがにここでは少し踏み止まって逡巡している内、ふと、家のどこかにあったような気がしてきたのである。
記憶というほどはっきりしたものではなく、何時、どのような契機や経緯で入手したのかもまったくわからないのだけれど、ともかく探してみようと納戸や物置を引っ掻き回したところ、何とこれを見出すことができた。
大きさは直径30cmほど、球面およびその上の図像ともに透光性で、内部に包んだ電球を点すと記載された文字情報などがぐッと見易くなる。
こちらもただ愉しみのために使うのであれば十分――、と胸を撫で下ろし、ぐるぐる回しながら世界中を眺めていると、早速一つこれまでの思い込みを正された。
シベリアの中でも特に冬の寒さが厳しく、北半球最寒の地と呼ばれるとともに、人の定住する場所として世界最低気温を記録したオイミャコンは、日本よりかなり西に位置しているものと考えていたのだが、今般地球儀を見て札幌などとほぼ同経度(緯度ではない)にあることに気付いたのである。
これは別に、地球儀の特性によって見えたものではないはずだけれど、ともあれ気付いたことは事実だ。
もっとも、地図のように紙数を増やして縮尺を上げるという自由度の低い地球儀では、表示されない土地も多くなるので、やはり地図と併用してこそ有用性が高まることは間違いない。
今後、ヘディン全集をはじめとする紀行を読むのがこれでますます愉しみになった。