蓼科高原日記

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ローカルバスの終点へ 宮脇俊三(著)

宮脇俊三の作品は、今から七年ほど前だったか、「鉄道紀行全集 全6巻」の合冊版電子書籍に、各社このサービスを本格的に展開した時期に当たったのか、破格ともいえるキャンペーン価格が付されているのに遭遇した際に購入して一通り読んだが、今般さらにそこに収録されていないものを何冊か手に入れることとなった。

 

その一つに、「ローカルバスの終点へ」がある。

 

20230711-ローカルバスの終点へ 宮脇俊三(著)

 


タイトルが示す通りこれはバスによる旅の紀行で、そのため上の全集から漏れたのであろう。

 

あとがきになどによると、鉄道による旅が好きでこれを基本とする著者ではあるが、鉄道の到底入り込めないだろう奥地へと走り行く、あるいは終着駅から出て行くバスを車窓から目にする度に、それに乗ってさらなる僻遠を訪れてみたいとの気持ちが募り、雑誌「旅」からの執筆依頼を機にそれを実現したということで、1987年1月号から2年間に亘り同誌に連載された文章から、この「ローカルバスの終点へ」は成っている。

 

すなわち、中央公論社において長らく編集者を務め、役員にまでなった後、1978(昭和53)年、51歳の時に当時の国鉄全線完乗の旅を綴った「時刻表2万キロ」により作家としての歩みを始めてからほぼ十年後の作品ということだ。

 


先に「鉄道紀行全集」を読んだ際、内容の面白さはもちろん、文章の秀逸さにも大きく惹かれたものだが、一点だけ、尻切れ気味に突然終わってしまう例の散見されるのが気になっていた。

 

なぜこんなことになったのだろう?と考えているうち、もしかしたら、当然字数的な制約があるにもかかわらず、熱が入り過ぎて落としどころまで辿り着けなかったのではなかろうか――という理由がふと頭に浮かんできたものである。

 

 

 

 


一方、この「ローカルバスの終点へ」においてはいずれの章もうまく結ばれており、これは著者がバスに対して鉄道ほどの嗜好愛着を感じていないため、冷静に筆を執ることができた結果であると見做せば、以前感じた上の思いの裏打ちになるかもしれない。

 


書かれてから既に四十年近く経った現在、同書で紹介されているバス路線や市町村の行政区分には小さくない変更が生じていることは各章末に注記があるが、宿泊施設(主に民宿)はどうかと、そのいくつかについて屋号と地名をキーワードにネットで検索してみたところ、まだ健在の宿の少なくないことを知り、何となくほッとした。

 


さて、同書での旅の目的が目的だけに、当然ながら人の耳目を驚かすような内容はほとんど含まれていない。

 

しかし「何もない所には何もないなりの良さがある」といった著者の言葉に共鳴できる者にとっては、滋味に満ちた一冊であることは間違いない。

 


バスの発着所までタクシーに乗り、その運転手に「バスなど使わずこの車で行きましょう、」と言われて慌てて断ったり、バスの終点間際、「○○荘へお泊りならこの停留所で下りると便利ですよ、」との運転手やガイドの親切心を辞退して恐れ入る姿にも、著者の人柄が窺われて好もしい。

 

何も恐縮などせず、「終点までバスで行くのがこの旅の目的なんですよ、」と正直に言えばいいような気もするが、こんな言葉は一般には理解してもらえないのかもしれない。

 

それで納得されるだろうと考える自分などは、もう病が膏肓に入っているのかもしれない。