エリック・フランク・ラッセル(Eric Frank Russell)という名を聞いて、すぐにその作品が頭に浮かぶ人は、我が国においては決して多くないだろう。
実は私も、今般、1964年に早川書房から発行された新書版二段組の本で、「超生命ヴァイトン(Sinister Barrier)」を読むまで、この作家の存在を知らなかった。
巻末の解説などによると、E.F.ラッセルは1905年にイギリスに生まれたが、元々は理系の教育を受けた後、エンジニアとしていくつかの職を遍歴して生計を立てていたという。
一方、幼い頃に童話を読み始めたのを皮切りに、神話・伝説、さらには次第に注目を集め始めたSF作品と、不思議なものや出来事に対する嗜好を持ち合わせていたことから、やがて自らペンを摂ることになる。
時に1936年、ラッセルは既に31歳と、歩み出しとしては遅く、その第一作をアメリカのアスタウンディング・ストーリーズ誌の編集長に送ったものの、それまでのキャリアに基づく内容が専門的・難解過ぎるとの理由で没になってしまった。
しかしラッセルは諦めず、翌年再び送付した"Saga of Pelican West"が同紙に掲載され、SF作家として立ったが、彼の名を一躍世に知らしめたのが、この「超生命ヴァイトン(Sinister Barrier)」である。
本作は、いわゆる「人類家畜テーマ(we-are-property-theme)」、すなわち、我々は、より高度な何者かに生かされ、その何者かのために存在しているに過ぎない――との設定に基づく物語で、このジャンルの源泉と見做されているようだ。
タイトルが示す通り、本作において人類の主人(あるいは所有者)の役割を演ずるのはヴァイトンなる球形の生物で、個人による小さな諍いから、国家間の戦争まで、人間の引き起こす様々な愛憎劇は、我々の昂った感情を食物として摂取するため、彼らにより演じさせられている――
そのことに人類は気付いていなかったのだが、ある科学者が、偶然にヴァイトンを視認する方法を見出したことから、我々の置かれた本当の立場・状況が認識され、彼我間の闘争が開始される――
という形で展開する物語は、ラッセルが元々理系畑を歩いてきたこともあってか、科学技術に対する無知無理解に起因する支離滅裂な飛躍や誤謬は見られず、その点、安心して読むことができる。
それでいて決して退屈を感じさせなところに、この作家の力量を見て取ることができると言えよう。
ストーリー展開において、多少短絡的な印象を禁じ得ない箇所はあるものの、SF作品として充分お勧めできるものであると個人的には思う。
なお、ラッセルは、アメリカの著名な超常現象研究家にしてこの分野の開拓者とも言うべきチャールズ・フォートから大きな影響を受けており、本作にもそれが色濃く出ている。
このことは、あらゆる時代を通じ、世界各国で折に触れて目撃されてきた「火の玉」とヴァイトンとの類似性を指摘するだけで納得頂けるはずだ。