フランツ・カフカについては、改めてご紹介する必要はないだろう。
およそ世界文学全集と名の付く叢書において、この作家の作品を収録していないものはまず見られないことからも、現在カフカがどれほど重視されているかを窺うことができる。
筑摩書房の世界文学大系もその例に漏れず、第58巻をカフカに当て、次の諸作品を収めている。
審判
城
変身
流刑地で
火夫
判決
皇帝の使者
家長の心配
最初の苦悩
断食芸人
カフカ論(ウィリー・ハース)
三つの長編「失踪者」「審判」「城」からは二つを採っており、執筆時期の最も早い「失踪者」が割愛されたのは、紙数の制約と、同作の第一章をなす「火夫」の採否とを勘案してのことだろうか。
これら長編に関し、個人的に「審判」は今般初めて読んだのだが、作品を貫く雰囲気はなるほどカフカだと感じた一方、ドストエフスキーを髣髴させる怒涛の如き文章に遭遇して驚いた。
そして、一体この物語をどのように締めくくるのだろう――と興味深くページを繰っていったのだけれど、正直、最終章は些か落胆を禁じ得なかった。
もっとも、他の二作同様、この「審判」も未完ということなので、作者はエピローグの前に膠となるべき章を構想していたのかもしれない。
が、一方、三作の長編全てが未完という事実を鑑みるに、その辺りを上手く処理できなかったとの見方も否定できないような気がしないでもない(笑)。
ともあれ、上の「火夫」の例に加え、「審判」においても「掟の門」として独立する文章が含まれていることなどからして、カフカの美質は短編にあり、それを累積重畳させたものが長編をなすように思える。
そのカフカの代表作と言えば、まず「変身」を挙げて大過はないだろうが、実際、今般読んだ中でも、分量・纏まり・深み・広がりいずれをも具えた白眉と改めて感じた。
これまでに数度読んできたこの作品で不思議なのは、その都度、主人公グレゴール・ザムザの変身した毒虫のイメージが時に微妙に、時には大きく変化することである。
訳文の相違による影響もあるにせよ、そもそもこの毒虫に対してそれほど綿密精細な描写が行われているわけでもなく、読み落としはないだろうことを思い合わせると、どうにもその印象変化の原因がわからない。
もっとも、同作、延いてはカフカの他の作品に関する解説その他において、斯くの如き経験を表明したものに出会ったことはないので、私固有の特異な現象なのだろう。
ここを掘り起こしてみるのもおもしろそうだが、心の闇に潜む魑魅魍魎を解き放ってしまう懸念がないでもない。
折があれば――程度の興味に留めておくことにしよう。