蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

伊予大洲―臥龍山荘・盤泉荘、古い町並み

旅の二日目。

 

眠りが浅く、5時前に目が覚めてしまった。

 

この日最初に乗車するのは7時半過ぎの列車、それまで十分な時間があるので、当地でしか食えないうどんを朝食にしようと考えたが、朝型のうどん店が多いとはいえさすがにこの時間に営業を始めるところはほとんどない。

 

そんな中、「うどんバカ一代」という店が6時から開き、さらに地元をはじめ広く知られていることがわかった。

 

しかも宿から600mほどの距離、歩くのもちょうどよい、と静かに身支度を済ませて出掛けた。

 


こんな朝の早い時間にもかかわらず、店内には既に大勢の先客がおり、一見した感じでは大半が地元の人らしい。

 

しかし待つことはなく入店でき、同店ならではの一品「釜バターうどん」の温・中を注文。

 

念のため食べ方を尋ねると、有名店にありがちな「そんなことも知らんで来たのか」といった態度はまったくなく、親切に教えてくれた。

 

こういうところも多くの人を惹きつける大きな要因となっているのだろう。

 

肝心のうどんの味はというと、うどんにバターという疑問符の頭に浮かびそうな取り合わせが実際は絶妙で、こちらもとても美味かった。

 

店を出る頃には既に行列ができ始めていた。

 


この日の目的地は愛媛県伊予大洲である。

 

JR高松駅7:48発の快速マリンライナー12号に乗るべく、7時過ぎに宿をチェックアウトして駅へ向かった。

 

四国へ来る際は瀬戸大橋の東側を観たので、今度は西側、だから進行方向左側の席に座ろう――などと算段したのだけれど、よく考えれば(というほどのことでもないが)今般の乗車は四国内の坂出駅までゆえ、瀬戸内海の眺望を云々するには当たらなかったのだ。

 

その坂出駅予讃線に乗り換えて終点観音寺まで、さらに予讃線伊予西条行に乗り継ぎこれも終点まで乗り、重ねて予讃線伊予市行に揺られて正午過ぎに松山に到着した。

 

 

 

 


伊予大洲へ向かうべく次に乗る列車としては、13:02発と15:46発の二つが候補となる。

 

松山と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは道後温泉、ちょうど5年にも及ぶ本館の保存修理工事が終わって入浴できるようになったことでもあり、ここは後者を選んで時間を取り、少し足を伸ばして湯に浸かろうかとも思ったが、この日も35℃を超える暑さに見舞われており、折角汗を流してもまたすぐ噴き出してしまうのは間違いなく、さらに伊予大洲到着が夕刻となって、是非実現したいと考えている臥龍山荘および盤泉荘の鑑賞が叶わなくなることから、温泉は別の機会の愉しみに措き早い列車を取ることにした。

 

ご存じの通り、向井原から伊予大洲までは海線と山線の二つの路線がある。

 

新しい山線の方が若干所要時間は短くなる半面、車窓については海線の方が優れているようなのでこちらを辿って14時半に伊予大洲に到着した。

 


先ずは駅に隣接する観光案内所でマップを入手。

 

その際、係員にどこから来たのかと聞かれて長野県の蓼科高原と応えると、何もこの時季にそんな涼しいところからわざわざ来なくても――と呆れられてしまった。

 

案内所員がそんなことを言うのは拙いのではないかという気もするが、思わずそんな言葉が口から出るほどの暑さだったのだろう。

 


伊予大洲の観光資源の集中する肱南エリアまでは駅から徒歩で20分ほど、その入り口となる肱川橋を渡ったところで、少し早いがチェックインできるかを今夜の宿へ電話で尋ねたところ可との返答を得たのでそこへ向かい、荷物を下ろして一息ついた後、臥龍山荘を訪れるべく宿を出た。

 

観光案内書で貰った地図と道標を頼りに歩を運ぶこと10分ほどで目的地へ着くと、それほど大人数ではないながら中学生らしい団体に加え一般観光客の姿も散見されて結構賑わっていた。

 

受付で同山荘に加え盤泉荘と大洲城へも入ることのできる共通観覧券を求めたところ、札止め時刻を考えると三つすべてを観るのは難しいだろうとのことで、大洲城は諦めて盤泉荘との共通券を880円で購入、一時の客となった。

 

20240820-(1)臥龍山荘

 

木蝋の輸出で財を成した大洲出身の河内寅次郎が、文禄年間に藤堂高虎重臣であった渡辺勘兵衛の邸跡に別荘として建てたものだからであろう、徒な壮大さや表だった華美は抑えながら、月を愛でることを筆頭とする遊び心を満たすに相応しい設えに惜しみない贅が凝らされている。

 

観月といえば誰の頭にも浮かぶ京都の桂離宮が山や川などの景物を庭内に人工的に構成しているのに対し、臥龍山荘はこれらに優れた自然の風景の中に自らを置いている。

 

できることならそれぞれの妙趣を味わい比べてみたいものだ。

 

団体客が去って他に観覧者がいなくなったこともあり、係員が特別に解説してくれた話を胸に、次の目当てである盤泉荘へ向かった。

 


臥龍山荘からは徒歩8分と観光マップに記載されているものの、その道の図がかなりデフォルメされている上、道標もなかなか見当たらなかったため、辿り着くのに20分ほどかかってしまった。

 

こちらもやはりフィリピンでの貿易・小売業で巨万の富を築いた実業家、松井傳三郎・國五郎兄弟により、臥龍山荘より少し遅れて大正15(1926)年に建てられた別荘で、その事業の反映であろう、和の精髄を極めたかの感のある龍山荘に対し、東南アジアから輸入された南洋材を建材としていることに加え、和風家屋としては珍しいバルコニーの設置や松井國五郎のイニシャル"K.M"を配した鬼瓦を棟に頂くといった国際性を特徴としている。

 

20240820-(2)盤泉荘

 

時期の近接、および特徴の対照性を鑑みるに、盤泉荘の建築に当たっては松井兄弟の胸中に臥龍山荘が強く意識されていたことは間違いないだろう。

 

この邸が盤泉荘と呼ばれるのは、裏山の岩盤からしみ出す水を利用していたことに因るということだが、ここでも係員が親切にその水源設備を見せてくれ、さらに礼拝堂のような造りだが排水の機構を具えた、何の目的か今もって定かでないという建物へもわざわざ案内してくれた。

 

 

 

 


盤泉荘を後にし、古い町並みを眺めながらぶらぶらと歩いていると、「大洲まちの駅 あさもや」の敷地だったか、その片隅に井戸があり、傍らに浴衣姿の若い女性が二人。

 

海外からの観光客かと思ったが、通りかかった地元の子どもと交わし始めた言葉は日本語だった。

 

日は未だ空に残り気温も高かったけれど、その情景に幾分暑さが和らいだ。

 

20240820-(3)伊予大洲の町並み

 


入場はできないまでも、折角なのでその外観だけは見ておこうと、最後に大洲城を訪れ、目当てとしていた当地での観光は一通り終えた。

 


宿に戻ってすぐに入浴。

 

町をぶらついている時、夕食を摂るのに適当な店はないかと物色していくつか候補は見出しておいたものの、また汗を掻くことを考えると外へ出るのは今一つ気が進まない。

 

そんなことを思いながら、部屋に置かれていた案内書きをめくっていると、来るときに目に入った中華料理屋が出前をしてくれるとの文言が目に留まったので、これで十分と早速電話で注文した。

 

出前とは言っても容器は使い捨てのもので回収はなく、言葉の意味からすると同じながらいわゆるデリバリーサービスである。

 

届いた料理は質・量・価格いずれも十分満足できるもので、特に「定食」に付いていたスープは中華どんぶりに満々と湛えられており、さほど空腹でない時ならこれだけで腹がくちくなりそうだった。

 


この日宿泊した宿は、楽天トラベルを通じて予約した「松楽旅館」。

 

猫が何匹もおり、翌朝、その一匹の三毛猫が6時頃にニャゴニャゴ鳴きながら部屋の前に来たので、戸の下に設けられた猫用通用口を開けると入って来た。

 

しかし人に擦り寄って来る感じではなく、実際、部屋の中をぐるりと一周するとすぐに出て行ってしまった。

 

どうやら自分の領地を検分しているようだ。

 


猫のいることは個人的には好もしく、ランドリー機器を無料で使えることなどもありがたい。

 

建物は古いけれども清潔に保たれているので問題はない。

 

これで一泊4,000円未満なら破格――と言いたいところだが、難点が一つ。

 

主がひどく不愛想で、客商売の基本中の基本であろう言葉すら禄に聞くことができなかった。

 

残念であると同時に、勿体ないとの感を禁じ得ない。