六日目。
朝六時過ぎに宿をチェックアウトし、昨日は高岡通りを辿って来たので、今日は別の殿町・本町・祇園庁の各通りを歩いて駅へ向かった。
前日とは逆に朝の些か観光には早い時間帯とはいえ、やはり人の姿が少な過ぎるように感じる。
しかし建物の佇まいや町の風情を味わうには好適だった。

この日は津和野駅を7:10に出る列車への乗車を皮切りに、山口・新山口・岩国および三原の各駅で乗り継ぎ・乗り換えをして宿泊地の倉敷まで行く。
途中にももちろん食指を動かされる名所は点在しているのだが、今般は遺憾ながら素通りして倉敷への早めの到着を目指し、そこで暫しの観光をするつもりだ。

実は、旅の計画を一通り立てた後で、この日が津和野―新山口間を走るSLやまぐち号の運行日であることを知り、これに乗ることにも少なからず心を惹かれたのだけれど、上手い按配が思い付かず断念。
走る姿を見ることだけはできないわけではないものの、倉敷観光が大きく割りを食うことを鑑みてこれも諦めた。
町中同様、津和野駅にも人影はほとんどなく、列車が到着して乗り込んだのも私のほか一人か二人だった。
山口線の良い意味での鄙びた風情は山口駅の少し前で姿を消し、その後は近郊さらには都市部を延々と行く形となり、個人的には面白みの少なかった道中。
ただ、一部は初乗車、残りも学生時代の昔に一度乗っただけの路線なので、車窓から目を離すことはほとんどなかった。
列車の遅れ等のトラブルもなく、倉敷駅には午後四時前に到着した。
家にある旅のDVDの中の倉敷を紹介した部分で、チボリ公園なるテーマパークが取り上げられているのを目にしたが、私が学生時代に訪れた時にはそんな公園はなかった。
これだけからもこの町が大きく変容していることが予想され、特に関心はないもののその公園を一瞥してみるのもいいかもしれない――などと思っていたのだけれど、駅前の観光案内所で貰った地図を開いてみると、影も形も記載されていない。
これは一体どういうわけだろうとネットで調べたら、チボリ公園は確かに1997年に開園、しかし2008年に早くもその幕を閉じてしまったとのこと。
これほどの短命は異例としても、やはり十年単位の時間は町を大きく変えてしまうのだ。
実際、駅前の景色にもどこも見覚えがなく、かつての記憶が酷く薄れているとはいえまったくの初見という印象を受けた。
駅ビルも今から十年ほど前に8階建てから2階建てに減築されたことを後で知った。
この日の宿は「ホステル クオーレ倉敷」。
旅の最終日でもあり、ちょっと奮発してアイビースクエアにでも泊まろうかとも考えたのだが、同じく美観地区の中にありながら手頃な料金で泊まれるのを目にしてあっさりと変心してしまった。
既にチェックイン可能時間となっていたので、先ずは荷物を置くべくその宿へ。
高松、出雲市のゲストハウスもそうだったが、クオーレ倉敷もカフェ&バーを併設(どちらが主かは不明だが)しており、そこでチェックイン手続きを行う。
宿泊担当者が他のゲストを案内中とのことで少々待たされたが、それを申し訳なく思う心もあってか、カフェの兄さんが色々言葉をかけてくれ、別段急ぎでもないので不満は感じなかった。
やがて案内された部屋は予約通りエコノミーツインルーム 。
ここもドミトリーとシングルユース、両者の料金差が小さかったことから後者を選んだのである。
夏の日もだいぶ西に傾いてきた中、宿を出て美観地区をぶらぶらと散策。
ここには朧な記憶と重なる(記憶を喚起するというべきか)建物も散見されたが、全体の印象はやはり昔日とは大きく異なり、一言で言えば町ぐるみすっかり小奇麗になっているとの感じが強かった。
あとで調べたところ、美観地区は1969年の条例で指定されたということなので、私の訪れた時にも整備は進行していたことになるが、その後大きな進展があったのだろう。
倉敷川の両岸それぞれに沿う形でぐるりと回ったあと、事前に目を付けていた「珈琲 ウエダ」さんへ入った。
有名な(?)看板猫に会いたかったからである。
昼食は軽く摂っただけだったこともあって空腹を覚えたため、少し早いが夕食も済ませてしまうことにしてエビピラフとアイスコーヒーのセット(900円)を注文。
観光地価格を掲げていない、良心的な古き良き喫茶店である。
しかし、店内のあちこちに目を向けても、猫の姿は見えない。
ピラフを食べ終えたのを機にママさんに尋ねると、丁度死角になっていた座席に寝ていることを教えてくれ、猫の横へ行くとテーブルの上に並んでいたものもそこへ移してくれた。
猫はやがて起き、他の客の足元へ出向いて愛想を振り撒いたり、自分の体重で開く自動ドアを通って出たり入ったり……外で暫し過ごそうと思って出るものの、暑さに閉口してすぐ引き返してくるようだった。
その猫のことから言葉のやり取りが始まり、例によって「どちらから」と聞かれたので「長野県の蓼科高原」と応えると、店の大ママの故郷が下諏訪だったことから話が弾み、ふと気が付くと閉店時刻を過ぎていたため、長居を詫びて店を後にした。
宿へ戻ってしばらく休んでいる内、さすがに賑わいの感じられた倉敷の町並みの静かな姿も見ておこうという気持ちが湧いてきて、午後七時過ぎ、日没を待って再び倉敷川へ出向き、先ほどとは反対回りに一周。
逢魔が時、人通りが静まり、灯りの点り始めた町並みは一層の情趣を湛えていた。
