当方の書棚に鎮座しているクリフォード・D・シマックの作品は、代表作にして傑作の誉れ高い「都市」をはじめ、「大宇宙の守護者」「マストドニア」「法王計画」「超越の儀式」の五冊である。
この内、処女長編「大宇宙の守護者」は既に読み、今般、さて次はどれを繙こうかと考えて真っ先に目の向いたのは無論「都市」だったが、後年の作を読んでみるのもよいだろうと思い直して「マストドニア」に切り替えた。
シマック(Clifford Donald Simak、1904年8月3日-1988年4月25日)はチェコ系のアメリカ人SF作家で、晩年にはファンタジーの分野でも活躍した。
キャリアの初めはさほど注目されず一旦は斯界から身を引いたが、1937年、ジョン・W・キャンベルがアスタウンディング誌の編集長に就任したのを機に再びペンを取り、同誌の常連作家としてSF黄金時代を支えることとなった。
「マストドニア」に関しては、そのタイトルからして地質時代に材を採った、従って時間SFの系統であることは予想できた。
この予想はある程度の的は射ていたのだが、もう一つ、「大宇宙の守護者」の作者の手になるという事実から漠然と思い描いていたスペース・オペラ的な物語とはまったくの別物であることが判明し、少なからず驚いた。
後で知ったことだが、シマックの特質――特に後期作品について――は牧歌的・田園的と表現されることが多いようで、「マストドニア」もそれを具えた一作だったのである。
初めのうちは、描かれた小さな出来事から、いずれ波乱万丈の事件が展開されるのだろうと思いながら読み進めていくと、確かに多少のストーリーの起伏はあるものの、特に大きく発展することなく後半に至り、これはもしかしたらこのまま終わるのではないか――との考えがそのまま現実となってしまった。
それに、訳文の問題なのか、会話のつながりなどに些かしっくりしない箇所があり、また主人公エイサ・スティールのハイラムに対する感情・態度が特に理由もなく一変するなど腑に落ちない部分がいくつか見られ、正直、物語を心から堪能したとは言い難い。
――と、このように書くと、ひどくつまらない作品と聞こえるかもしれないが、不思議なことに読後感はそれほど悪くないのである。
シマックが同作を書いたのは74歳、従心と言われる年台に達し、既に確固たる名声にも恵まれた作家が、自らの思うところ(思想というほど緻密でも強くもない)を、肩肘張らずに淡々と綴った物語らしい枯淡な味わいがあり、これをそのまま享受すればよいのだけれど、私のように実態にそぐわないイメージをもって読むと、期待外れの感を蒙ることになるわけだ。
読書における予備知識の効用害悪に関しては諸説あるだろうが、少なくともフィクション作品に対してはまず虚心で臨むのを基本とすべきようだ。
書棚に並ぶ他の三作、「都市」「法王計画」「超越の儀式」は如何なる作品なのだろう。