台湾旅行最後の夜は、「K.Gold」というゲストハウスに泊まった。
宿に入ったのはもう夕暮れ時で、元々観光に出る予定もなかったが、ここでも近くに夜市の開かれることは知っていたので、そこで夕食を摂るのもよいだろうと出かけてみた。
しかし、その中華路夜市へ辿り着いてみると、交通量の多い通りに屋台が並んでおり、その前に立ち止まると身体をかすめるようにバイクやスクーターが行き過ぎる。
道路の端、白線で1メートルほど仕切られているのは歩行帯かと思いきや、そうではなく二輪車連中の通行帯であることがわかり、こうなると危なくて買い物などできそうもないことから、早々に退散した。
帰り道にも色々と食べ物屋は見られたものの、夕食時を迎えどこも人で溢れており、異邦人の身にはなかなか入り込み難い。
仕方なしにまたしてもコンビニの世話になった。
台湾ではどこへ行っても、セブンイレブンとファミリーマートが必ずと言ってよいほどある。
日本と少し異なる点は、多くの場合店内にイートインスペースが設けられていることで、外の暑さから逃れようとしてだろう、ほとんど例外なく、そこには言葉は悪いがホームレス風体の姿が見られた。
それを店員をはじめ購買客も特に気にしてはいないようで、駅構内や駅前広場にも、時間を潰しているらしい同じような人々が散見された。
「K.Gold」で泊まった部屋は、ユニットシャワーを具えた広めの個室である。
部屋に窓のないのは頂けなかったが、一泊3000円ほどという料金だし、一夜だけと割り切ることで気を滅入らすこともなく快適に過ごすことができた。
最上階の共用スペースには無料の清涼飲料とカップラーメンが用意されており、飲料の方を三缶馳走になった。
翌朝、台湾を去る日、台中から新自強号で台中線(山線)を辿って新竹へが帰路の第一歩となる。
ここで一時間半ほどの乗り継ぎ時間を取っておいたのは、新竹の町を少し観て歩き、名物の米粉(ビーフン)でも――と考えてのことだったが、体調が結局全快しなかったことから断念。
改札を出て日本統治時代に建造された台湾最古の現存駅舎を暫し眺め、すぐに寧湾線と一部区間を共にする六家線の列車に乗り込んだ。
少し前の紀行文を読むと、寧湾線はローカル色の濃い風情ある路線として描かれているが、現在は台湾高速鉄道(高鐵)が交差して桃園空港、さらには台北までの利便性が飛躍的に向上したためだろう、林立する高層ビルが車窓に目立ち、急速に開発の進んでいることが窺われた。
その一方、緑の中にぽつんぽつんと昔ながらの煤けた建屋が、諦め顔に残っているのも印象的だった。
六家は高鐵新竹駅との接続駅で、ここで時間を潰しつつ構内の売店で稲荷と蒸し海老の寿司セットを買い賞味した。
稲荷の方はほぼ日本の味が感じられたのに対し、海老についてはわさびが入れられていないため、物足りなさを否めなかった。
もっとも、前夜コンビニで買った日式(日本風)蕎麦に付いていたわさびの、気抜けしたような妙に甘ったるい風味を鑑みるに、これが付加されてもあまり有り難くはないかもしれない。
口にするならやはりその土地の食べ物がよいということだろう。
台湾版新幹線である高鐵列車に乗車したのは、(高鐵)桃園までの一駅、僅か10分弱。
これも台湾鉄道の料金体系だからできることだ。
さらにMRTに乗り換えて帰国便の出る機場第一へ。
そのフライトも事前にオンラインでチェックインを済ませ、この時はeチケットが発行されたのでそのまま保安検査を受けようとしたのだが、チケットのバーコードが読めないとの理由で入場させてもらえなかった。
仕方なしにScootのカウンターへ行って事情を説明すると、さも当然といった感じで改めてチェックインが行われ、紙の搭乗券を手渡された。
何のためのウェブチェックインなのだと軽くながら詰問しても、こうしてチェックインしたのだからいいではないかとの態度。
暖簾に腕押ししても埒は明かないのでおとなしく引き下がった。
紙の搭乗券でも、そこに印刷されたバーコード(QRではなかった)を読み取るのに多少手間取ったものの、何とか保安検査に入って無事通過することができた。
どんな形でだったかは忘れたが、ウェブ経由では微妙に異なる二つのバーコードが得られ、後でこれらと紙の搭乗券のバーコードを比較したところでは、もう一つの方を提示すればよかったのかもしれない。
しかしやはり釈然とはしない。
桃園空港でも十分に余裕を持たせておいたので時間に追い立てられることはなかったが、それにしても手持無沙汰が長すぎた。
今後はもう少し詰めようと思う。
復路で割り当てられた座席は窓側だった。
夕方のフライトで空の色が漸次変化するとともに、雲もさまざまな表情を見せてくれたため退屈することはなく、思いのほか多くの写真も得られた。
無事成田空港へ着いたが、自宅のある長野県茅野市までこの日のうちに帰り着くことはできない。
そこで選んだのは夜行バスだ。
成田空港からこれに乗るのは間に合わない恐れがあったので、京成上野駅で捕まえるべく京成線でそこへ。
ここでも駅周辺をぶらぶら歩いて時間を潰したのだけれど、大通りから一つ外れたところでは客引きに頻りに声を掛けられた。
ともあれバスの乗客となり、熟睡とはいかないまでも旅の疲れで数時間微睡んだ後、車内灯の点灯と停留所の案内で目を覚まして、間もなく降車した。