台湾での二日目は、平渓線に沿って点在する観光地をいくつか訪ね、その中でも最も有名であろう九分(にんべんに「分」)に泊まる予定である。
朝食付きのプランだったので宿で食事を済ませて八時前にチェックアウトし、その基点となる瑞芳へと足を踏み出した。
府中駅からまずMRTで台北駅へ行き、ここで台湾鉄道(台湾鉄路管理局)の縦貫線区間車(區間車)に乗り換えた。
台北から離れていく列車ではあるものの、朝のラッシュアワーとあって車内はかなりの混雑だったが、博愛座(優先席)が一つ空いていたのでそこを拝借。
窓を背にして座っているうち、駅に着くごとに混雑は緩和し、どこでだったか大部分の乗客が下車したので、車窓を眺めるのに好個の席に移った。
そこに展開されたのは、日本と非常によく似た風景である。
ただ、日本の建物が概ねのっぺりとした表情をしているのに対し、台湾ではあたかもエンボス加工されたかのように凹凸が目立つ。
この印象は以後の旅程を経るにつれ漸次強まることになる。
台北から一時間ほどで瑞芳駅に到着。
ここで内陸へと向かう盲腸線の平渓線に乗り換え、初めの目的地、天燈(紙ランタン)飛ばしで知られる十分(にんべんに「分」)へ向かう。

名立たる観光路線だけあってほぼ満員の乗客を抱いて列車は発車し、走ること分ほどで十分駅に着いた。
やはりここで乗客のほとんどが下車、その人混みに紛れて改札口を出ると、列車が去った後すぐにいくつかのランタンが空へと上がった。

改めて書くまでもないだろうけれど、これは願い事を書いた紙のランタンの下部に火皿のようなものを付け、そこに火を灯して発生する熱で上昇させる、熱気球の一種のミニチュア版である。
写真などで見るとなかなか風情豊かなようで愉しみにしていたのだが、実際に目にした光景には正直なところ些か落胆を禁じ得なかった。
まず、ランタンが大きすぎる。
そして作りも粗雑な感を否めない。
さらに、空への上昇が急に過ぎて、あたかもアンダンテの楽曲がアレグロで演奏されているのに接すしている印象なのだ。
もしこれが夜だったら――と想像すれば、暗明の対照の妙も期待できるかもしれない。
ともあれ、願い事が叶えばそんなことはどうでもよいのだろう。
一頻りランタン飛ばしを眺めたあと、基隆河に架かる吊り橋を渡って対岸まで往復し、線路に沿った老街を散策した。

老街とはその文字の示す通り古い町並みのことで、これには昔から続く商店街も含まれており、十分もまさにこれに当たるわけだが、売られているものを見た限りでは完全に観光地化されてしまっている――そんなことを思いながらゆっくりと歩いてもすぐに町の外れに来てしまった。
そこにかなり年季の入っていそうな、なかなか趣きのある小吃店があったので、少し早いが昼食を摂ろうと入店して小籠包とわかめスープを注文した。
小籠包のたれは自分で好きなように調合するらしく、醤油をはじめ色々な調味料が雑然と並べられていた。
何を使えばいいのかわからず適当に混ぜ合わせて、これはそれなりに美味く食うことができたが、一方のスープを口にして思わず首を傾げてしまった。
ほとんど味がないのである。
はじめは料理人――店の女将――が味付けを誤ったのかとも思ったが、そんなことはありそうもないことだし、実際、旅行を進めるにつれ折に触れてこれと同じ経験を重ねることとなり、敢えてそうしているのだと理解するに至った。
この非常に薄い味付けは、他の料理の濃厚な味を中和するためで、必要なら上のたれと同様、好みに応じて自分で調味料を加えるのだろう。
食事を終えて時計を見ると、列車を降りてからまだ1時間しか経っていない。
ここ十分には2時間ほど留まり、それから平渓線を先に進んで終点の菁桐駅へ行くつもりだったが、この予定に従うと時間を持て余しそうだ。
老街からさらに30分ほど歩くと、「台湾のナイアガラ」と称される十分瀑布のあることは知っていたものの、そこまで往復するには少々体力的にきつく、また時間も反対に心許ない。
そこで予定を変更し、一本前の列車に乗って、菁桐までの途中にある平渓に立ち寄ることにした。
駅へ戻ると間もなくその列車は到着、相変わらず大勢が下車した一方、乗り込んだのは私独りだけだった。
その前、菁桐方面行きホームへ向かおうとした際には、駅員から「そっちは逆だよ」と言わたものである。
平渓へ行くと伝えて合点を得た後、15分ほど列車に揺られてそこに着いた。
この路線の名になっていることからも、平渓がかつては主要な駅であったことが窺われ、ここにも老街があるのだが、多くの店の前に人の溢れる十分とは対照的にこちらはひっそりと静まり返り、ぽつりぽつりと開いている店にはそこの主人らしき影が置物のよう見えるだけだった。
しかし、老街の風趣はその寂れた町並みにこそあるように思う。

ここに立ち寄ったのは確かによかったのだけれど、次の菁桐行き列車までの1時間を過ごすのは手持無沙汰だ。
そこで老街を抜けて線路に沿って少し歩いてみたところ、基隆河の畔にちょっとした遊歩道と休み処があったので、腰を下ろして水の流れを眺めながら時間を遣り過ごした。

終点菁桐までは平渓から一駅、これは理解していたが、道のりも2kmほどということを後で知った。
これくらいなら歩いてもよかったかもしれない。
その菁桐も、観光地として多くの人を集めた以前の賑わいはなかったものの、終着駅ということもあってか、平渓に比べればぱらぱらながら人の姿が見られた。
ここの滞在は乗って来た列車が折り返し出るまでの10分強、駅前を軽く散策するしかできなかったが、駅舎を含め町並みはなかなか良かった。

復路は平渓線全線を通しての乗車、午後2時過ぎに瑞芳へ戻った。