蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

莒光号・集集線・日月潭

阿里山林業鉄道の乗車を終え、嘉義駅から300mほどの距離にあるこの日の宿「Light Hostel - Chiayi」へ向かった。

 

チェックインを済ませて入ったドミトリー・ルームは、先に書いた台東のゲストハウスのようにユニットシャワーがそこに設えられているものだったが、定員が4人と少ないことに加え、フロント近くに多目的トイレがあったので特に不都合はなく済んだ。

 


相変わらず体調は思わしくなく、勇んで観光へ出る気にはならない。

 

しかし狭い部屋のベッドに収まってしまうには早過ぎることから、近くで開かれる文化路夜市だけでも訪れてみることにして少し休んでから出かけた。

 

その名称の元となっている文化路に500mほどに亘って並ぶ屋台を冷やかしながら一通り歩き、途中で串焼きを二本購入して夜市の端にある文化公園で口にした。

 

これだけではさすがに腹が満たないので、セブンイレブンでちょっとしたものを誂えて宿へ戻った。

 

栄養補給にと買ったこの地名産のバナナが一本約150円と高かったのはコンビニ価格だからだろうか。

 

 

 

 


翌日の朝食は、Googleマップを眺めていて見つけた、早朝から営業している近くの小吃店を訪ね、蛋餅(タンピン)と饅頭(マントウ)、そして紅茶とした。

 

店で摂っていたのは私だけだったが、その間、徒歩やスクーターで何人もがの客が買いに来た。

 

店は綺麗とは言い難いものの、商っているおばさんは愛想がよく、味の方もなかなかだった。

 


この日は列車とバスを乗り継いで日月潭へ、さらにそれを船で渡って宿に入る。

 

先ずは列車で嘉義から二水まで、急行列車の莒光号で行く。

 

この莒光号についても事前にWebから予約を入れようとしたのだけれど、なぜかこの区間については、予約が可能となる乗車予定日の28日前(乗車予定日が土・日曜日の場合は4週前の金曜日)を迎えてすぐであっても、他の列車を含め「すべて満席」となってしまう。

 

台湾の鉄道の大動脈ともいえる縦貫線ゆえ、その主役たる自強号の座席がすぐ埋ってしまう可能性は理解できなくもないが、快速より遅いかもしれない莒光号にまで予約が殺到するとは考えにくい。

 

そしてこれもまた、さらに奇妙なことだが、検索をしている日の4日先までの日付で試してみると、キョ光号は空席ありとしてヒットするのである。

 

つまり、乗りたい日の4日前以降に予約すればよいらしいことがわかった。

 

実際、こうして予約できないまま台湾に入り、乗車予定日4日前に予約を試みて切符を手にすることができた。

 

なぜこんな事象が生じるのかはまったくもって不明である。

 


こうして乗車した莒光号は、案の定空席が目立っていた。

 

日本では既に姿を消し乗ることのできない急行列車に、45分という短い時間ながら揺られたのはいい経験になった。

 

20250725-(1)キョ光号

 


二水駅に着き、一旦改札を出て駅前を少し歩いて戻り、集集線の終着駅車埕までの切符を買って列車に乗り込んだ。

 

20250725-(2)集集線

 

列車が15分ほど走って二駅目の濁水に着くと、ほとんどすべての乗客が下車。

 

そこには観光客らしい姿も含まれていたので、「この辺りに名所旧跡などあっただろうか」と思いながら見送った。

 

のはいいとして、列車がなかなか発車しない。

 

「ここで列車交換か時間調整でもあるのだろう」と待っていると、また約15分後、列車がいま来た方向へ走りだし、「こんなところでスイッチバックするのか……」と思った瞬間、はッと思い出した。

 

当方の旅行時、濁水から先は自然災害により不通となっており、その区間はバスによる代行輸送が行われていたのである。

 

これは事前に認識していたのだが、体調不良の影響だろうか、すっかり失念してしまったのだ。

 


バスへの乗り換えにはそれなりの時間が取られていたにせよ、こうなってはもう後の祭り。

 

二水発車直後に一度検札を受けた女性車掌がまた来て怪訝な顔をされ、事情を説明して理解してはもらえたものの、我ながら情けなかった。

 

上で「ほとんどが降りた」と書いたのは、もう一人、二水から乗ったのを目にした若い女性が、二水駅へ戻り着いた際に先の車掌と何やら頻りに話しあっていたからで、その後少し言葉を交わしたところ、彼女は代行輸送を知らずバスに乗りそびれたとのことだった。

 


次の車埕方面行列車の出るのは約1時間半も先である。

 

しかし特に急ぎの旅でもないし――とのんびり構えたのも束の間、この先の計画はどう変わるのだろうと調べ始めて実に困った事態に陥ったことに気付いた。

 

先述した通り、元々は車埕からバスで日月潭へ行き、そこで遊覧船に乗船して対岸へ渡る予定だったのだが、バスの便数が少ないため乗り継ぎが悪く、遊覧船の最終便に間に合わないのだ。

 

いや、日月潭をぐるりと回るバスがある、こちらはどうか――と時刻表を確認したものの、同じく終バスは出てしまっている。

 

こんな時は現地の人に尋ねるのが得策だろうと宿にメールを送って状況を知らせ、アドバイスを求めたが、レスポンスよく届いたのは「タクシーに乗るか、まだ営業していればレンタサイクル、他にはない」といううれしくもない回答だった。

 

さてどうしようと考えているうち、終点車埕の一つ手前の水里が町としてより大きそうなこと、もしかしたらここから日月潭までのバスがあるかもしれないと思い至り、駄目で元々という気持ちもあってともかくそこまで行くことにした。

 


再び集集線の列車で濁水へ、そして代行バスに乗り換えて水里へ。

 

駅の前に着き下車してすぐ、鉄道かバスの関係者らしい一人を捕まえて日月潭行きのバス乗り場を尋ねると親切にそこまで(といっても数十mほど)案内してくれ、そこにあった窓口で次のバスは何時に出るかと期待と不安を胸に抱きながら聞いたところ、間もなくとの答えを得、これで一気に胸のつかえが取れた。

 


しかし、これまでの気疲れはやはり軽くなかったようで、日月潭までのバスの車窓に何が映っていたかの記憶はほとんどなく、また写真を撮るのも忘れてしまった。

 

さらに日月潭でも、遊覧船乗り場最寄りの停留所で降りたかったところ、Googleマップを見ながらこの辺りと踏んだのが早過ぎて1km以上歩く羽目になってしまった。

 

そしてこれはこちらの落ち度ではないけれど、事前に購入しておいた遊覧船のクーポンを乗車券と引き換える場所がわからず、駐車場近くの窓口では取り扱っていないと拒否され、乗り場を見下ろす展望台にいた員から「あの」と指さされた、確か屋上に赤と白の看板(?)の見える建物の一階で漸く乗車券を手にすることができた。

 


こうして水社から玄光寺を経て伊達邵へと渡り、ここも観光地らしい各種の店の並ぶ坂道を上がったところに位置する今夜の宿「OWL Hostel」に辿り着いた。

 

20250725-(3)伊達邵

 

二段カプセル式のゲストハウスだが、比較的天井が高く中腰になることができたので居住性はまずまずだった。

 


すべて自らの落ち度からとはいえ散々な目にあって疲労困憊してはいたが、これに少し救われ、シャワーを浴びて暫く休息すると人心地着いたので夕暮れの日月潭へ散歩に出、三月の北海道旅行における根室、そして今回の九分でと同様に日が没するまで眺めた。

 

20250725-(4)日月潭

 

宿へ戻る道すがら、夕食を摂るのに良さそうな食べ物屋はないかと注意しながら歩いてみたもののまだあまり食指が動かず、この夜もコンビニで一種の肉まんその他を買って軽く済ませた。

 

いくつか種類のあった中から選んだこの肉まんも美味かった。

 

20250725-(4)日月潭