三日目。
九分から瑞芳へ出たあとは、特急列車で花蓮へ向かう。
乗車券は日本を出発する前に台鉄のウェブサイトから予約・購入し、スマートフォンにもアプリを入れeチケットとして入手しておいた。
列車の発時刻は午後二時前、瑞芳で時間を潰すには間があり過ぎたことから、前日平渓線を辿った際に寄らなかった、隣駅猴硐(ホウトン)へ行ってみることにした。
ここは多くの猫と触れ合える場所として人気があり、CNNの選定した「世界6大猫スポット」の一つに数えられているとのこと。
しかし猴硐駅で下車した乗客は数人しかおらず、駅前のちょっとした広場へ出ても人の姿は疎らである。
そして何と言っても、主役たる猫はいったいどこに?という状況に接し、困惑の混じった拍子抜けを喫してしまった。
仕方なしに基隆河の川辺に降りたり遊歩道を一頻りぶらぶらと歩いたりして駅前広場へ戻った時、何気なく目をやったベンチの下にとら猫が一匹見えた。
そこに近づくともう一匹同じようなのが奥にいたのはいいとして、ともにぐったりと寝ており、脅かさないよう口を鳴らしながらそっと手を伸ばして触れてみても、目を覚まさないどころか反応すら全くしない。
どうやら、既に30℃を超え湿度もねっとりと高い空気に包まれて動く気力もないらしい。
そう思って改めて辺りを見回すと、ぽつぽつと、しかしすべて何かの陰に、ぐてッと伸びた猫の姿のあることに気付いた。
こうして、人懐っこい猫が擦り寄って来るようなイメージとはかけ離れていたものの、ともあれ人と共存した猫のいることはわかった。
これを機に瑞芳へ戻ることにし、その列車を待つ間に駅前の小吃店へ入り――というより庇の下のテーブルに着き、鮮蝦河粉なるものを注文。
これはなかなか美味だった。
萩原朔太郎に「猫町」という作品があるが、ホウトンはそこに描かれた幻想的世界とは全く別の、至極明るい散文的にのんびりした町である。
前日から感じていた体調不良はやはり気のせいではなく、身体に怠さがあり、またどうも食欲が湧かない。
かと言って何も口にしないのは良くないだろうと思ったので、ちょうど昼食時の瑞芳で何か適当なものはないかと駅前を歩き始めたところ、素食をメニューに掲げた弁当屋がすぐ目に入った。
素食とは確か野菜のこと、これでビタミンを補給するのがいいかもしれないと一つ注文した。
10種類ほどの惣菜の盛られたトレーから4つ選ぶシステムで、それらを白飯の上にのせて終わりかと思いきや、最後に鶏の骨付き肉がごつい包丁で叩き切られて追加された。
通常なら得をした気分になるところだろうけれど、この時は些か有難迷惑という気がしないでもなかった。
もっとも、駅前のちょっとした待合スペースでその弁当を使ったら、完食してしまった。
やはり身体は栄養を欲していたようだ。
その腹ごなしついでに、現在の表通りから線路を挟んだ向こう側にある老街を軽く歩いた。
瑞芳から花蓮まで乗るのは、特急自強号の中で特別な位置にあるらしい普悠瑪号である。
乗車券予約購入の際の座席指定では、海の見える窓側の席を確保したく、台湾の列車の座席番号について色々調べ、次のことを知った。
まず、
1+4n番, 2+4n番が窓側
3+4n番, 4+4n番が通路側
(n=0, 1, 2, …)
そして、
南北方向に走行する列車では奇数が西側、偶数が東側
東西方向に走行する列車では奇数が北側、偶数が南側。
もっとも、ウェブサイトからの予約でできるのは窓側・通路側の指定だけなので、どうしても海が見たく、かつ割り当てられた座席が山側だった場合は、一旦キャンセルしての再試行が必要となる。
が、幸いこの区間ではその必要なく好個の席を得ることができた。
瑞芳を発車して30分ほどするとその海が車窓に現れ、少々ぼうッとした頭で眺めながら路線を辿ること2時間と少しで花蓮駅へ到着した。
今般の台湾旅行を思い立ったとき、この地に宿泊して翌日は太魯閣渓谷を訪れることを眼目の一つに置いたのだが、計画の概要が固まり細部の検討確認に移った頃、2024年4月に起こった地震で渓谷およびそこまでの道路が大きな被害を受け、ほとんどの地域への立ち入りができなくなっていることを知り、断念した。
駅から歩いて行ける宿にチェックインすると、少し熱っぽい。
ただ、暫くベッドに横になっていたらだいぶ軽くなった感じだったので、これも目当てとしていた、かつて鉄道の駅のあった旧市街に開かれる東大門夜市へ出かけることにした。
体調が万全なら歩いて行けないこともないと思ったが、自重してバスを利用することにして駅前――といってもちょっと離れたバスターミナルへ取って返し、さてどれに乗ればいいのだろうと電光掲示板などを眺めて検討し、これならと思った一台の乗客となった。
夜市の場所までは最短で2kmほどのはずだが、あちこちに寄る経路だったのだろう、20分くらいかかって漸く到着。
まだ空に明るさは残っていたものの、既に灯が点って人も出始めていた。
東大門夜市と一口に言っても、正確には原住民族を主体としたものなどいくつかの夜市が軒を連ねている。
宵闇が濃くなるにつれて賑わいも漸次増す中、ぶらぶらと歩いて夜市の風情の一端を味わい、焼肉バーガーのようなものを夕食代わりに口にして夜市を後にした。