蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

九分―幻想の老街と清明な海

瑞芳駅から九分へはバスで行く。

 

東口改札を出て、駅前の大通りを左へ200mほど行った所にあるその乗り場に着くと、それなりに先客が待っており、それを目当てに一人のタクシードライバーが現れて妙齢の日本人三人組に声を掛けてきた。

 

タクシー速い、バス遅い――との陳腐で見え透いたセールストークに彼女らは応じ、もう一人くらい相乗り客が他にいないかしら――と言いながらこちらをちらりと窺ってきた。

 

そのやり取りで耳に入った金額はごく妥当なもので、手を挙げてもよかったのだけれど、ここで楽をしてしまうと以後ずっと引き摺りそうな気がしたので身を引いた。

 


さて、遅いというバスはいつ来るのだろうと思ったら、さらに数人の欧米の観光客を車内に詰め込んでタクシーが発車した直後に現れた。

 

人々がどんなに素朴で正直な国でも、タクシー運転手だけは別――とはよく言ったものだ。

 


九分老街までは15分ほど、料金15元を悠遊カード(EasyCard)で支払って下車した。

 

老街の外れにあるこの日の宿「OwlStay Jiufen Wander」のチェックイン開始時刻にはまだ少し間があったので、折に触れて適当な場所に腰を下ろしならがぶらぶらとそこへ向かった。

 

チェックインを済ませて案内された部屋はダブルベッドの置かれた個室。

 

作りつけのちょっとしたカウンターテーブルにデスクチェアも具わっていたものの、外光は30cm四方ほどの開かずの窓から忍び込んで来るだけなので、長く滞在すると気が滅入りそうだった。

 

しかし一晩を過ごすだけなら十分である。

 

 

 

 


そこに荷を下ろし、休息を摂るとともに、陽が傾いて気温が下がり町に明かりの点るのを待とうと、ベッドに横になって暫し眠った後、名立たる九分老街の散策に出かけた。

 

台湾有数の観光地だけあって、老街に入ると大変な人混みである。

 

台湾内地は固より、世界中から集まって来た人々であることが、目や耳に入る彼らの顔形や話し声からわかる。

 

そこにはもちろん我が同胞も含まれていたものの、その比率はごく小さく、日本人のパスポート保有率が20%を割り込んでいるという現状が実感された。

 


これも改めて述べるまでもなく、その九分老街は山の斜面に造られている。

 

そのため線路沿いに延びる十分とは異なり、路地はうねうねと曲がりくねり、そこからさらに何本もの小路が派生しているため、歩いている内に自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。

 

しかも周りを取り囲むのは妖しい装飾を纏った古びた建物、まるで別世界に迷い込んだような不思議な感覚に陥る。

 

特に陽が沈んで至る所にかけられた提灯が点されるとその感は一層強まり、なるほどこれは多くの人を惹きつけるわけだと首肯された。

 

20250703-(1)宵の九分老街

 


しかしこの他にも、遠く眼下に見渡すことのできる、複雑な海外線を具えた海も素晴らしい。

 

陽の光を受けて遠くに明るく輝く眺めから、陽が傾いて次第に色を落としていく様子、さらに宵闇の訪れとともに怜悧に煌めき始める光景、それぞれに捨てがたい趣がある。

 

20250703-(2)昼の海

20250703-(3)夜の海

 

また、平渓・菁桐に見られたのと同じ老街の外れのひっそりとした風情、早朝に人の姿のない老街を歩くのも悪くなかった。

 

20250703-(4)朝の九分老街

 


このように九分を存分に堪能した――と言って言えないことはないのだが、あいにく体の不調に些か邪魔されてしまった。

 

朝の散策の際、発熱や頭痛といったはっきりした症状はないものの、何となく心身ともに重く、これに引き摺られて気持ちも浮かなかったのである。

 


そんな気分を払拭しようと、人の出始めた老街を最後にもう一度、速足で通って停留所を目指し、折よくやって来たバスで瑞芳へ向かった。