蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

氷見線・雨晴海岸、大糸線の運休

今回の旅では、宿の種別とすればゲストハウスに入るだろう「エイトポイントイン金沢」に宿泊した。

 

日本では二段ベッドの一区画を個人用(就寝)スペースとするゲストハウスが多い中、ここはキャビンと呼ばれる狭いながらも半独立空間――壁は天井まで届いておらず、また出入り口の仕切りもロールスクリーン――が用意され、そこにベッドが設置されている。

 

個人的に、何にせよ椅子に腰掛ける形でしたい質なので、上のスタイルは非常に好ましく連泊とした。

 

実際に宿泊してみての印象はというと、これまでの蚕棚形式のゲストハウスに比べると確かに快適だったのだが、難を言えばベッド側面のスペースが狭すぎて身体を横にしないと通れず、またこの縁に腰掛けることもできないので、ベッドの幅を狭くしてでもここを広げて欲しいところである。

 

しかし共用スペースは広々としてキャパシティも十分だし、トイレやシャワールームを含め施設全体は清潔だったので、宿泊料金を考えればコストパフォーマンスの高いことは間違いない。

 


旅の最終日もぐずついた空模様で明けた。

 

往路に続いて北陸新幹線を使っては面白みに欠けるので、復路は糸魚川まで行き、そこから大糸線を南に下ることとし、2日間有効な「あいの風・IR・ハピライン連携 北陸3県2Dayパス」をこの日も利用してIRいしかわ鉄道の列車に乗り込んだ。

 

時間的に少し余裕があったため、七尾線乗車は叶わなかったもののせめて氷見線だけは辿っておこうと高岡駅で下車、一旦改札を出て、上のパスの使えない氷見線の切符を購入した後、改めて改札を通って氷見線のホームへ。

 

すでに列車は待機していたが、まだ朝早いこともあってか乗客は少なく、予て考えていた右ボックスシートの窓側席に座ることができた。

 

富山湾越しに立山連峰を眺めようとの想いからである。

 

しかし当日は(も)、事前に天気予報で覚悟はしていたものの、一面雲に覆われた空から雨が落ちていた上、湿った大気が靄を成して立山の麗姿は全く見えなかった。

 

せめて一瞬でも――と期待して雨晴駅で下車し、海岸へ出て暫く眺めたのだけれど、それも儚く散ってしまった。

 

20250214-(1)雨晴海岸

 


後続の氷見行列車の到着まで時間があったので、昔、奥州へと下る源義経が俄か雨に遭い雨宿りをしたという義経岩まで行ってみようと、そぼ降る雨の中を歩くこと10分弱、なるほどこれは雨を遣り過ごすには好適な場所だとの思いを得、事跡を記念して岩の上に建てられた社を拝して駅へと踝を返した。

 

20250214-(2)義経岩

 

 

次の乗車にはちょうど間に合うつもりで歩を運んでいると、後方から微かに鉄の触れ合う音が耳に入り、振り返ると列車が近づいて来る。

 

おかしい、雨晴駅で時間調整でもするのだろうかとよくよく考えてみたら、発時刻を5分遅く取り違えていたことに気付き、慌てて歩調を速め、さらに走りだしたものの、残念ながら乗り逃がしてしまった。

 

仕方なく1時間後の列車を待って乗り込むと、青春18っぷの通用期間内だったこともあるのだろう、雨晴まで来た朝の時とは大きく異なり旅行者らしい姿で座席はすべて埋まっていた。

 


逃してしまった一つ前の列車なら氷見駅周辺を少し散策できたのだが、以後の旅程を辿るにはすぐに折り返さねばならない。

 

そのきっぷを買うべく改札を出ると、同じ目的を持ったかなり多くの人が券売機と窓口の前に群れていた。

 

列になっていないので並ぶべき位置がわからず、最後尾らしい人に聞くと正解、その後ろに付いて停車時間11分で高岡へ戻るこの列車に乗れるだろうかと少々焦ったが、何とか置いてけぼりは喰わずに済んだ。

 

車窓を眺めるに好適とは言えない席ながら腰を下ろすこともでき、雨に煙る風景をぼんやりと眺めながら30分、氷見線を辿る小旅行を終えた。

 

 

 

 


高岡駅に着いたのは11時前。

 

その次に乗車しようと思っていたのは12時15分同駅始発の泊行列車、それまで長い間があるので少し早いが昼食を摂ってしまうことにした。

 

駅ビル内にも食事処は少なくなかったものの、どうせなら少し地方色のある処の方が――とスマートフォンで検索したところ、駅前に蕎麦屋を見つけてそこへ向かい、富山の名物の一つという「にしんそば」を注文。

 

前日の福井でと同じく、個人的にはにしんの味付けがやや濃いように感じたが、これも特色と思えば悪くはない。

 


北陸らしい湿った牡丹雪を少し被って高岡駅へ戻ると、間もなく富山行の列車が到着するとのアナウンスが耳に入った。

 

この先に何が起こるかわからない、その後の泊行を待たずにこの富山行に乗って少しでも先に進んでおこうか――との考えが頭を過ったが、やって来た列車を見ると立ち客も多いほど混雑していたため、やはり次を待って乗客となった。

 


泊駅での10分強の接続時間の後、引き続きあいの風とやま鉄道の直江津行列車に乗り継ぎ、パスの有効区間外となる越中宮崎―糸魚川間の乗り越し精算を検札に来た車掌に済ませて、今般の旅の愉しみの一つとしていた冬の日本海を車窓に眺めつつ糸魚川を目指した――のだが……

 

青海(おうみ)駅を出、間もなくその糸魚川に到着するとのアナウンスとともに知らされたのは、糸魚川発の次の大糸線の列車は運休となった――との情報だった。

 

大糸線を辿ることもこの旅の大きな眼目だったので、これを聞いて意気消沈したのはもちろんだが、それよりずっと重く心を占めたのは、どうやって家まで帰ろうか、そもそも帰り着けるだろうかとの危惧だった。

 


真っ先に頭に浮かんだのは、予定通り糸魚川で下車するが、そこからは新幹線で長野へ出るという案である。

 

次に、糸魚川で降りるのをやめて直江津まで行き、えちごトキめき鉄道妙高跳ねうまラインを下るという手も考えた。

 

ともあれ降りるか乗り続けるかの決定に許されるのはわずか数分、しかしそんな短時間で明確な解を得られるはずもなく、気が付くと反射的に網棚から下ろした荷物を手にホームに立っていた。

 


実は、このような事態の生じる危険性は認識しており、今日ここに至るまでの列車内でも、大糸線沿線の天気現況および予報を二三度確認し、これならまず大丈夫だろう――と考えていたのに、こんなことになってしまったのである。

 

人生において期待したことは起こらない。しかし心配したこともまた同じである――とは誰(M.プルースト?)の言葉だっただろうか、その当たらない例となったわけだ。

 


念のためJRの窓口で大糸線の状況を尋ねると、乗車を予定していた列車は運休だが、その後の白馬までのバス便や列車は運行する予定とのこと。

 

しかし白馬止まりのバスでは埒が明かず、後続列車では家に辿り着くのがかなり遅くなってしまうし、そもそも本当に運行されるか定かでない。

 

いや、天気について改めて調べてみた感じではほとんど期待できそうもない状況だった。

 

糸魚川で一泊――という考えも頭に浮かんだものの、車を停めた駐車場の予約はこの日までで延長できるかどうか分からないし、また糸魚川駅の近くに手頃な宿があるかどうか、宿泊可能かどうかという問題もあったことから、最初に思い浮かんだ北陸新幹線を利用する案を素直に採ることにした。

 


糸魚川での乗り換え時間に海岸まで出向き、車窓からではなく直に日本海を眺めようとも目論んでいたのだけれど、これもご破算、その代わりとしては些か物足りないが、せめてもという気持ちで往路で撮り損ねた新幹線の入線姿を写真に収めた上で乗客となり、本来の計画より少し早く帰宅した。

 

20250214-(3)北陸新幹線

 


あとで改めて考えても、この選択は誤りでなかったようだ。

 

また、もし高岡駅で富山行に乗っていたら――それよりも雨晴駅で一つ前の氷見行に乗れていたら――と調べてみたが、いずれにせよ糸魚川駅で運休となる前の大糸線列車への乗車は叶わなかったことがわかった。