アントン・チェーホフと聞けば、「犬を連れた奥さん」「桜の園」「三人姉妹」といったタイトルがすぐ念頭に浮かび、これらを含めてある程度の数の作品を読んだつもりでいたのだが、登場人物は?ストーリーは?となると、遺憾ながらほとんど記憶から呼び出すことができない。
チェーホフ作品の大部分が、大作に比べ記憶に留まりにくい短篇であるにしても、少々妙な気がしたので、改めて書棚を確かめたところ、背表紙にこの作家の名が記されているのは、ごく薄い岩波文庫一冊だけだった。
他に、アンソロジーに収められているものを読んだ例も少なくないとは思うけれど、この、感覚と現実とのギャップには我ながら驚いた。
ともあれ、そんなこともあって、今回「筑摩世界文学大系46」においては、初読の新鮮さをもってチェーホフを読むことができた。
そして思ったのは、これらの中には既読のものも間違いなくあるのに、そして、この手の作品は、私の嗜好、心の琴線と波長の合うものなのに、なぜ内容が深く印象付けられることがなかったのか――ということである。
一方、上に書いたように、既読感は至極強いのだ。
チェーホフの作品は、改めて言うまでもなく、激烈な出来事、感情の爆発などの鏤められた波乱万丈の展開によって人の心を強く揺さぶるようなものではない。
ほんの些細なエピソードという生地に、登場人物の心理や情緒という繊細な色や糸で描かれた一幅の画像とも言える文章世界である。
しかし、もちろん、かくの如き特質ゆえ、人の心を打つ力も弱いということでは決してないはずだ。
その響き方があまりに自然なため、読む者をして、もともと自分の魂の一部であるかの如く完全に吸収させてしまい、このために意識の内での存在感が希薄となるのではなかろうか――
今般、チェーホフを改めて読んで、そんなことを考えた。
そして今後は、これら作品の大部分は生涯忘れることはないと思う。
また、ふと、小津安二郎監督の映画作品に通じる風趣を具えている――とも感じた。
最後に、「筑摩世界文学大系46」に収録されている作品を挙げておく。
たいくつな話
シベリヤの旅
決闘
妻
六号室
中二階のある家
すぐり
恋について
イオーヌィチ
往診中の一事件
可愛い女
犬を連れた奥さん
谷間
いいなずけ
かもめ
ヴーニャ伯父さん
三人姉妹
桜の園
手帖
チェーホフ論(トーマス・マン)